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「社会の軍事化が進む」

本日の東京新聞朝刊一面に、日本を「戦える国」に変質させる安保法やその安保法に実質的お墨付きを与える安倍政権による改憲の危機が迫っている現状に対して、家族法・憲法学者の清末愛砂さんのコメントが掲載されていた。

学生時代から変わらない行動力が素晴らしい。確か阪大の院生時代に勉強が楽しいとおっしゃっていたことが記憶の片隅に残っている。全文引用してみたい。


自衛隊を憲法九条に明記する明文改憲が差し迫っている今、本当に戦争できる国づくりが進んでいると実感している。改憲派からは、護憲派は空想論的平和主義者との批判があるが、私はとても現実的な平和主義者だ。パレスチナやアフガニスタンで非暴力運動や難民支援に取り組んだ経験があり、安倍晋三首相よりもはるかに戦闘地や紛争地の現実を知っている。

 銃撃戦や目の前を戦車が走るのを目にし、武器や武力がいかに巨大な暴力を生むかを学んだ。自衛の名の下に暴力が増大する。武力に抑止力なんてない。パレスチナの難民キャンプでは、激しい銃撃戦に、生まれて初めて腰を抜かし動けなくなった。自分がいる建物の壁をガンガン撃たれた恐怖は消えない。殺された友人もいる。

 そうした現実を知らず、想像することすらせずに戦争ができる国づくりを進められても非現実的、非科学的としか思えない。現実的な観点から、憲法九条が非暴力的な社会をつくり出すために生かすことができる条文であると訴えたい。

 安保法制で自衛隊は専守防衛の組織ではなくなった。とりわけ集団的自衛権の限定行使を可能にした点で、侵略軍としての要素を持つようになった。明文改憲で自衛隊が明記されれば、その要素が増し、社会の軍事化が進むだろう。

 安保法制下で自衛隊の海外派遣が進められると、隊員は大きなストレスを抱えることになる。戦闘地には恐怖がまん延し、尋常でない緊張感を強いられる。隊員による派兵先でのさまざまな暴力や内部でのセクハラの悪化を招くだろう。

 安倍政権はどれだけ支持率が下がっても改憲するつもりだろう。護憲派は抵抗の手を緩めてはいけない。

<きよすえ・あいさ> 1972年生まれ。室蘭工業大大学院工学研究科准教授。専門は家族法、憲法。アフガニスタンの女性や難民支援に取り組む。2002年にパレスチナで非暴力の抵抗運動に参加し、デモ参加中にイスラエル軍の発砲で脚に負傷した。

『わたしの出会った子どもたち』

灰谷健次郎『わたしの出会った子どもたち』(新潮文庫 1981)を読む。
灰谷氏というと、『兎の眼』の印象が強く、徹底的に性善説に立って子どもを見つめる教育者というイメージが強かった。しかし、この作品は小説ではなく、灰谷氏の自伝を含むエッセーとなっている。灰谷氏は7人兄弟の貧しい家庭で生まれ、中学校卒業後は職業安定所の列に並び、厳しい労働条件の中で定時制高校に通っていた。その中で、長兄の自殺や友人の死などに接し、人間を見つめる目を養っていく。当時を振りかえって、灰谷氏は次のように述べる。

(ある政党の若者サークルに入り、煽動活動をやっている時に)地下にもぐるというあの秘密めいた感じにぞくぞくするようなところがあった。小林多喜二などもそのころ、読んでいる。
同じころ、同級生だったMと恋愛関係を持つようになっていた。睡眠薬中毒にかかって、その女性をさんざん苦しめる。
飲食店で暴れ、Mがぼくをなだめて、ぼくを海につれ出す。ふと目覚めると、Mの顔がある。午前三時という時刻なのだ-そういうことがたびたびあった。
性欲をもてあますことと、死を考えることは奇妙に一致するものだが、ぼくもまた青春を黒いクレヨンでぬりつぶすようなことをしていたのだ。そのころのぼくの行動は何一つとして筋の通ったものがない。それが青春だといってしまえばそれまでだが、生活というものを一身に背負っていた長兄と比べると、青春の徘徊などと気楽なことはいって折れない。

また、こんなくだりがある。

朝鮮戦争の特需でわいていたとき、大量の橋桁の受注があった。兵器ではないにしても、それが朝鮮の人たちを殺す行為の何パーセントかの加担であることには変わりない。
ぼくは熔接をするとき、その部分にくず鉄を放りこんで熔接棒を焚いた。粗悪品を作ってささやかな抵抗をしたつもりだが、それを抵抗としてとらえる浅薄さが、そっくりそのまま当時のぼくの政治意識だった。

その後、灰谷氏は大学に進み、小学校の教員となる。17年間の教員生活を送るも、突然に職を辞し、あ沖縄やアジアを放浪する。そして放浪の果てに書いた作品が『兎の眼』なのである。確か中学校時代に感想文の宿題で読まされた記憶があ流のだが、彼の経歴を踏まえて読んでみると、また違った感想が出てくるのかもしれない。

その後、灰谷氏は教育評論家という道を歩んでいく。宮城教育大学で学長を務めながら、小学校で授業実践を続けていた林竹二先生は、授業のあり方について次のように述べる。

私の授業の展開は、あなたま枷で、ほとんど子どもがひっぱっていくわけです。よく、「何かプランがあるでしょう」ときかれるんですが、絶対にない(笑い)と私はいっているのです。自分が思いどおりに進行した授業はつまらない。子どもから思いがけないものが出てきて、こっちが面くらって何とか筋道を探り当てて展開していくような授業がほんとうはいい授業なわけです。そういう時に、まごまごする能力が教師には必要です。(笑い)ほんとうにまごまごしたり、子どもといっしょに途方にくれたりということが教師にも子どもにも必要なのですが、かっこうつけようとすると無理して強引に自分の答えられるところに問題を持っていってしまったりする。そういうことが授業をひどく貧しくするのでしょうね。

 

次に、本書の10年後に書かれた『林先生に伝えたいこと』(新潮文庫 1991)を手に取ってみた。『わたしの〜』の持つ「熱量」が薄れ、評論家っぽい文章が続くので途中で読むのをやめてしまった。

「南郡兵士像撤去 トランプ氏異議」

本日の東京新聞夕刊に、トランプ米大統領が17日、南北戦争で奴隷制継続を主張した南軍兵士らの記念像などを撤去する動きが各地で広がっている現状について、ツイッターに「偉大なわが国の歴史と文化が引き裂かれるのは悲しい」と書き込んだとの記事が載っていた。

トランプ氏は投稿で「歴史は変えられないが、そこから学ぶことはできる」と主張し、南軍司令官ロバート・リー将軍などの記念像撤去を例示しつつ、「次は誰か。ワシントンか。本当に馬鹿げている」と批判し、「都市や街、公園からこうした美観が取り除かれれば、大変寂しいし、二度と元に戻せないだろう」と述べている。

確かに、トランプ氏が「歴史から学ぶことができる」というのは正しい。アウシュビッツの強制収容所や原爆ドームなどの「負の文化遺産」は、人類が犯した悲惨な出来事を伝え、そうした悲劇を二度と起こさないための戒めとすることに意味がある。しかし、それは戦争や人種差別が政府見解によって正式に否定され、国民の歴史教育の中でも公式に否定されていることが大前提である。政府や歴史教育において、その評価を曖昧にしたまま負の遺産を残すことは、百害あって一利なしだと考える。

「読書離れ」

本日の東京新聞夕刊で、阿刀田高が、スマホなどのIT機器の普及で活字離れが一層酷くなったと嘆いている。作家ならではの読書を通じた知的活動の意義だけでなく、「活字業界」そのもの衰退に警鐘を鳴らしている。

 たとえば…スマホでも読書はできる。しかし、これで今までのような読書をする人は少ないし、情報を簡単に、広く、安く入手できることは確かであるけれど(その価値はけっして小さくないけれど)古い読書は、苦労して情報を手に入れるぶんだけ優れた情報への敬意を生み、それを示してくれた人への尊敬も培われる。読書にはこの効能が思いのほか大切なのだ。

ニュース情報も簡単に手に入り、これは時には命を賭けてまでその情報をつかみ報道してくれたジャーナリストへの思慕をないがしろにしてしまう。新聞は売れなくなり、新聞社は優秀なジャーナリストを育てられなくなる。今、日本ではフリーのジャーナリストがいろいろなところでよい仕事をしているが、彼のほとんどが新聞社で修行した人なのだ。新聞の衰退はよきジャーナリストを失う可能性を高くするだろう。

出版界も同様で、これまでは優れた出版社が卓越した編集者を作り、それが世界に冠たる良書の普及を支えてきたのだ。IT機器の普及はよき編集者の誕生を弱体化させ、古典はともかく新しい良書を市場に送りにくくするだろう。しかし私たちは否応なしにそんな曲がり角に立たされているのだ。

『シーラカンス殺人事件』

内田康夫『シーラカンス殺人事件』(徳間文庫 1995)を読む。
1983年に刊行された本の文庫化である。警視庁の名探偵刑事岡部警部の緻密な捜査によって、ほとんど容疑者が決まりかけていた事件が、ドミノが倒れるように一気にどんでん返しで解決される。内田氏の初期の作品にあたり、最後の最後で謎が全て明かされ合点が行く仕掛けの浅見光彦シリーズに繋がる展開となっている。

僕はどちらかといえばサスペンスタッチのものよりも、パズルを解くようなものが好きですし、意外性や不思議を大切にしたい性格なのです。推理小説の楽しさは、ゲーム感覚で読める-という点にあるといっていいかもしれません。

小説の舞台となったシーラカンスの生息地のコモロ・イスラム共和国という国が本当にあるとは知らなかった。現在ではコモロ連合と名を変え、モザンビークとマダガスカルの間の海峡にある小さな3つの島からなる国である。人口は約80万人であり、3つの島から大統領が輪番制で選出され政治的安定が保たれている。