月別アーカイブ: 2002年6月

『社会主義市場経済の中国』

渡辺利夫『社会主義市場経済の中国』(講談社現代新書)を読む。
社会主義の中国における市場経済というと、日本人の感覚に照らすに国鉄や電電公社の民営化のようなものに捉えがちである。しかしこれまでの日本の歴史にはないことが90年代を通して中国で行われてきたことが分かる。著者はまとめとして次のように述べる。

計画経済から市場経済への転換が主題なのではなく、自給的自然経済から商業的農業、農村工業化へと転換する過程でうまれた市場経済化が、ここでの「主題」なのである。中国の市場経済化が順調に進みえたのは、それが経済発展の「一般型」に沿うものであったからであり、おくれた農業発展段階からその市場経済化が開始されたからでもある。

中国という国は、封建制と帝国による植民地支配から、毛沢東がカリスマ的な人気を背に一気に社会主義体制に仕立て上げた国家である。それゆえに毛沢東の目指した方向は現実の中国の状況から大きく「乖離」したものであった。そうした矛盾は文化大革命によって露呈してしまうのだが、その内紛をうまくまとめたのが鄧小平であった。鄧小平は他国の共産主義国家と異なり、共産党一党独裁体制を崩さずに市場経済を導入した。中共の言うところのマルクス主義解釈はすでに神学論争の域に入っているが、マルクスやら毛沢東やらをアイドル化する中で、競争原理を働かせていく手法は新しいようで古くさい手法である。

K−POP

テレビでもワールドカップ関連で紹介されたが、最近「K−POP」がかなり気に入っている。日本のポップミュージックよりも気持ちアジア的な力強さが感じられる。特にSESというグループが気になっているのだが、しかしCDを買いに行っても置いていない。小さいところだと韓国の音楽が、「ワールドミュージック」という雑多なジャンルに区分されてしまっているのは残念だ。

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『韓国IT革命の勝利』

河信基(ハ・シンギ)『韓国IT革命の勝利』(宝島社新書)を読む。
大きく2部構成になっている。前半は「改革に邁進する韓国、ためらう日本」という章題で、韓国の通信革命の発展を述べ、後半は「知識情報強国への挑戦」と題し、金大中大統領の経済政策や行政改革、通信革命、対外政策を賛美するという内容になっている。今まで文化的側面からしか見えなかった「386世代」について詳しく書かれており一気に読むことが出来た。

『患者よ、がんと闘うな』

過日、慶応大学医学部放射線科講師である近藤誠『患者よ、がんと闘うな』(文芸春秋社)を読んだ。
がん検診による早期治療や抗がん剤治療を統計学的に無意味なものと断定し、手術偏重主義から脱却し、放射線治療の利点を主張するものだ。専門用語の羅列に終わらず文系の私でも十分に理解できる分かりやすい文章であった。しかしタイトルからも分かるように総じて仏教的厭世観がペーソスに流れている感がある。

私は医療で一番大切なことは、だれ一人として後悔しないし後悔させないことだ、と考えています。せっかくよかれと思ってつらい治療をうけたのに、あとで後悔するのはでは悲しすぎるではありませんか。その場合、後悔したのは、現状認識や将来予測と治療の結果とが食い違ったためです。したがって後悔しないためには、がん治療の現状を正確に知り、がんの本質を深く洞察することが必要になるのです。

これまで患者や家族が悲痛にあえいできたについては、がんと闘う、という言葉にも責任があったように思われます。つまりこれまで、闘いだから手術や抗がん剤が必要だ、と考えられてきたわけですが、そのために過酷な治療が行われ患者が苦しんできた、という構図があります。しかし考えてみれば、がんは自分の体の一部です。自分のからだと闘うという思想や理念に矛盾はないのでしょうか。徹底的に闘えば闘うほど、自分の体を痛めつけ、ほろびへの道をあゆむことにならないでしょうか。

がんは老化現象ですが、それはいいかれば”自然現象”ということです。その自然現象に、治療という人為的な働きかけをすれば、からだが不自然で不自由なものになってしまうのは当然です。どうやらわたしたちは、思想や理念のうえで、がんと闘うという言葉から脱却すべきところにきているようです。

またそのように腹をくくったほうが、専門家にすがって無理に治療されてしまうより、長生きできることも多いのです。要するに、治らないことを素直に認めないと、長生きもできないし、楽にも死ねないわけです。

『模倣犯』

今日、春日部文化劇場という春日部東口にある古い映画館に、森田芳光監督・中居正広主演『模倣犯』という映画を観に行った。
古くからある小さい映画館で私が切符を買おうと窓口に赴くと、中でおばあちゃんが一人昼寝をしていた。中へ入ると石油ストーブが焚いてあり、観客も7人しかいなかった。正直内容的にはありきたりな作品でさして述べる点はない。しかし殺人シーンを携帯電話でライブ中継するといった現代的な劇場型犯罪や、トラウマを抱えた犯人の独白など映画というジャンルでは難しい表現をうまく演出していた。

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