月別アーカイブ: 2011年5月

『トロッコ・鼻』

芥川龍之介の短編集『トロッコ・鼻:少年少女日本文学館』(講談社 1985)を読んだ。
何年か前に芥川の作品を固めて読むという経験をしたが、だいぶ記憶が薄れており、来月に『羅生門』を授業で扱うので教材研究として手に取ってみた。芥川らしくない童話も収録されていて興味深かった。友を裏切った結果姿を変えられても、忠義を尽くそうとする犬を描いた『白』が面白かった。いつか機会があれば 子どもに読み聞かせしたい作品であった。

『スワロウテイル』

岩井俊二『スワロウテイル』(角川書店 1996)を読む。
元々が映画のシナリオなので、性急な展開となっているが、円高の日本の風俗街に集まるアジア系民族の人間模様が描かれる。
昔の『仁義なき戦い』のような銃撃戦や残虐シーンといった派手な映像が思い浮かぶ作品であった。

『明日もまた今日のごとく』

最首悟『明日もまた今日のごとく』(どうぶつ社 1988)を読む。
長らく本棚に眠り続けていた本であったが、福島第一原発事故と水俣病の類似点を知りたいと思い一念発起して読んだ。久しぶりに硬派な内容の読書となった。
重度のダウン症を抱える娘の存在を通じた教育や福祉についての提言や、水俣病の調査や裁判についての詳しいレポートがまとめられている。

著者の最首氏は東大全学共闘会議助手共闘に参加した活動家として知られる。そして執筆当時も同大の助手を務めている。その助手という立場を意識して次のように述べている。

わたしには、足尾鉱毒拡大についての田中正造の言葉が、ずっと響いている。
「大学廃すべし-地方教育、学生の精神を腐らす。中央の(帝国)大学また同じ。学ばざるにしかず」、あるいは、「今の学士は皆壮年にして智識あり。能く国家を滅ぼすに足るの力あり。無経験にして悪事を働く能者たり。勢力猖獗有為の士なり」。
水銀百パーセント回収と銘うって、その実、全く機能を果たさなかったサイクレーターを設置した技術者たち、早々と水俣病終結宣言を出した医学者たち、非有機水銀を主張した化学者たち、原因物質の公表を10年も遅らせた実務官僚群、彼らは全て、水俣病を不知火海域へ一挙に拡大させた有為の学士である。彼らと近縁であるという他ないわたし(たち)は、彼らの一つ一つの軌跡が、ほんとうに無知の故に免責されるのか、あるいは妥協、屈服のすえの故意によるのかを 突きとめなくては、田中正造の言葉を振り切ることができないのである。
学士として立つ倫理からも、水俣調査は続行されなければならないだろう。

水俣を福島原発に置き換えれば、そのまま現在でも通用するような文章である。また、水俣病の発生について次のような文章を書いている。

人類がはじめて体験する水俣病は、このように、結核や戦争と交錯して発生していること、および、水俣病をひきおこしたのは、一 私企業でなく、意識して実績としても、天皇制絶対主義国家を背負ってたつ半国家企業であることの認識が肝要である。そのことは、昭和18年1月の日窒肥料 (株)と水俣町漁業協同組合の契約書に表されている。
この契約書は、日窒水俣工場の汚染水無処理放流によって生じた水俣湾馬刀潟と水俣川川尻の漁場崩壊に対して、漁協が漁業権を放棄し、その補償を日窒がなそうとするものである。その第2条に、漁協は、この漁場に対して、将来永久に一切の損害補償を主張してはならないのはもちろんのこととした上で、水俣工場が「平時戦時ヲ問ハズ国家ノ存立上最モ緊要ナル地位ニアルコト」を認識して、漁協はその経営に支障のないように協力しなければならないとしている。
今ですら背筋の冷える不敬罪・反逆罪への、当時の人びとの恐怖はすさまじかった。貧困・差別・病い・戦争被害にあえぐ湯堂(水俣湾に面した町)の戦後の歴史は、その苦しみに追い打ちをかける水俣病被害の歴史であり、水俣病の発生源が判明するにつれて村をおおっていった、ものいえば唇が寒くなるような恐怖の拡大の日々でもあった。
それゆえにこそ、この湯堂から、「ただいまより国家に刃向かう」という宣言が、昭和44年、裁判にうって出た渡辺栄蔵おじいさんの口から発せられることになるのである。

これまた、水俣を福島原発に変えれば、周辺住民の生活を破壊してまで国策として進めてきた化学肥料、そして原子力発電の負の側面が浮き彫りにされる。
また、最首氏は現場で生活する人間のみならず、当たり前のように便利な生活を享受してきた人たちの対しても次のような文章を突きつけている。福島原発事故 後の生活を考えていく上で大変示唆的な文章なので、少々長いが引用してみたい。

水俣と、その先に開く不知火海には、自然と共に生きる生活があった。現金収入がほとんどなく米がとれないことで貧しく、海の幸 を満喫するということでは豊かだった。
そこへ最新の化学工場がやってきた。お金が落ちはじめ、人々は、経済的な豊かさに向っていると信じることができた。つくり出す製品は化学肥料と塩化ビニールで、これらも人間生活を向上させないはずはなかった。この時代の人々のしあわせ、あるいは期待について、私たちは様々な角度から考えることができる。
しかし、脳細胞を不加逆的におかす広範かつ悲惨な水俣病被害によって、それも人々の希望の的であった化学工場の人間無視の利潤追求のために、測り知れない規模の被害となったときに、水俣はついに「しあわせとは何か」という根本的な問いにさらされた。
患者たちは、長い長い筆舌に尽くせぬ苦闘によって補償金をとった。何百億という補償金が人々の手に渡りはじめたとき、さらに決定的に「何がしあわせか」に人々は直面したのである。

「しあわせ」は、たぶん定義不能である。穏やかでしみじみしたものから、激しい一瞬の高揚まで、千変万化する。けれどもというのか、しかもというのか、この「しあわせ」の追求こそは、人間の本質である。
ところが、いつの頃からか、私たちは「しあわせ」を、進歩とか、快適さとか、安楽さと同義であるかのようにみなしはじめた。と言って悪ければ、進歩や快適さを、実現できる「しあわせ」の一様相とみなし、そのうちに進歩や快適さこそが、「しあわせ」であると錯覚するようになった。
そして、このような「しあわせ」を求めて人々が懸命に働くなかで、平時の最大の人間被害-水俣病がひきおこされた。広島・長崎につぐ悲惨が水俣を襲った。この無惨な人間冒涜をふたたびおこさないために、私たちは何をしたらよいのか。
安楽さの追求という土台を、そのままにしておいての公害防止という答えでは、決定的に不足である。真剣に公害防止策を講ずれば、物質に依拠した安楽さはふきとんでしまうはずだ。
二律背反的な、いい加減の、欺瞞的な対応を止めて、私たちは原点にかえって「しあわせ」を問わなければならない。その原点的場が、水俣にあると私は信じる。

『ろくべえまってろよ』

灰谷健次郎『ろくべえまってろよ』(角川文庫 1998)を手に取ってみた。
1975年から1981年にかけて発表された、表題作を含む8編の童話が収められている。私はこの手の童話が大変苦手である。感性が乏しいので、どうして も子どもの正直な思いや言動に共感ができない。今回も2編だけ読んで挫折した。いずれ子どもに読み聞かせしたい作品であった。