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「別のしかたで弱いつながりを読み、ウェブ社会のゆくえを考える」

charlie&chiba

長野へ向かう車を運転しながら、Podcastで配信されている鈴木謙介、千葉雅也「別のしかたで弱いつながりを読み、ウェブ社会のゆくえを考える」(TBSラジオ 2014年09月27日放送)を聞いた。
「弱いつながり」とは、東浩紀氏の著書『弱いつながり:検索ワードを探す旅』(幻冬社 2014)に由来するもので、グーグルの変換予想で想定されるような狭い生き方ではなく、身体の移動や旅によってかけがえのない人生を手に入れようという趣旨の本を踏まえた討論である。仕事のことを考えながらだったので、あまり集中して聞いていなかったのだが、東浩紀氏の「旅に出るということは、検索ワードを探しに行くことだ」という著書(?)のフレーズが耳に残った。ちょうど、私自身がまさに「検索ワード」を探しに行く途中だったので、自分自身の行動を言い当てられているような妙な気持ちになった。

続いて、塚越健司プレゼンツ「僕はなぜ『嫌われる勇気』にハマるのか」(TBSラジオ 2014年09月28日放送)を聞いた。
フロイト、ユングと並び「心理学の三大巨頭」と称される、アルフレッド・アドラーの思想をまとめた『嫌われる勇気』にまつわる四方山話が展開される。
こちらはあまり印象に残らなかった。

御嶽砂丘玄武 歴史・文学・地質を巡る 3日目

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鳥取駅近くのビジネスホテルで目が覚める。昨日とは変わって、風呂もトイレもピカピカのきれいなホテルであった。朝食はバイキング方式なので、たっぷりと腹に詰め込んで出発する。

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鳥取県庁の建物。

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鳥取県庁の裏手にある長田神社。立ち寄ろうと思ったが、スマホの充電が切れてしまったので鳥居だけパチリ。

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写真の右手は、鳥取県庁と鳥取城城壁跡の間にある鳥取西高校の校舎である。
駅からは少し遠いが、ロケーションは素晴らしい。

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鳥取城壁跡の向かいにある久松小学校。伝統を感じる校舎の様子。

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鳥取城壁跡。城は残っていないが、かえって想像を掻き立てられ、久松山を背にした堅牢な城が思い浮かぶ。

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鳥取砂丘。湿気もあり、砂漠とは全然非なるものであるが、一瞬砂漠を彷徨っているような感覚に陥る。土産物屋も並んでいたが、ただ砂が広がるだけであり、今の時代には珍しい、金の掛からない観光資源である。

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鳥取砂丘の東側に広がるラッキョウ畑。観光よりも水はけのよい砂地を生かした農業の方に注目したい。

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訪れた日は営業していなかったが、観光用のラクダの厩舎。

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豊岡市日高町辺りの風景。日本海沿岸にはほとんど雪がなかったのに、山を一つ越えた内陸の方は一面銀世界であった。

 

兵庫県豊岡市街を抜けて、今回の旅の最後の目的地である玄武洞に昼前に到着した。
ボランティアのガイドさんにお願いし、玄武洞と青龍洞の2つを一緒に廻った。

以下、山陰ジオパークのホームページの解説より。
玄武洞・青龍洞が国の天然記念物になったのは1931年(昭和6年)と古く、その後1963年(昭和38年)に山陰海岸国立公園に指定されました。玄武洞・青龍洞が有名な訳には3つの特徴が挙げられます。まず1つはきれいな曲線美のある柱状節理です。2つめは「玄武岩」の名の由来となったことです。江戸時代の儒学者・柴野栗山が当時有名な城崎に来遊した時、この珍しい採石場を中国の四神の「玄武」に因んで「玄武洞」と命名しました。
その後、明治になって岩石名に日本語の名称をつける際、東京帝国大学の小藤文次郎博士が、「Basalt」という岩石に対して、この玄武洞にちなんで「玄武岩」と命名したのです。
3つめは世界で最初に第四紀の地磁気逆転が発見された場所だということです。1929年(昭和4年)京都帝国大学の松山基範博士は玄武洞の岩石に現在の南北とは逆の磁性が残されていることを見出し、それをきっかけに地球の磁極が逆転する時代があったことを世界に先駆けて発表しました。彼の栄誉を讃えて、約260万年前から70万年前の地磁気の逆転時期を「松山逆磁極期」といいます。
また、2009年(平成21年)には国際地質学連合によって松山逆磁極期が始まる260万年前を第四紀の始まりとするように定められました。

     
 
 
一番の中心である玄武洞の様子。右側が亀の甲羅、左側が蛇に似ているということから、脚の長い亀に蛇が巻き付いた中国の神である「玄武」の名がついている。

 
玄武洞近くの樹木の根っこ。岩の隙間から根が入り込んでいる。

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玄武洞の隣の青龍洞の様子。水面に映った岩が美しい。柱状節理自体が大きく湾曲しており、地殻変動のエネルギーが伝わってくる。

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写真の真ん中あたりに落ちそうで落ちない岩が写っている。受験にご利益があるとかないとか。
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青龍洞を背にした円山川の様子。昔はコウノトリがこの周辺にいたそうだ。現在は絶滅してしまい、中国から連れてきたコウノトリの繁殖が試みられている。また、ガイドさんによると昔は行李柳の木がたくさんあり、その木を編んで出来たのが柳行李である。現在でも豊岡で作られたカバンは全国に知られている。

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ガイドさんと別れて、一人で白虎洞を散策する。玄武洞や青龍洞と比較すると、見劣りは否めない。

 
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北朱雀洞と南朱雀洞の様子。こちらの方もちょっと小さく、玄武洞ほどの感動はなかった。

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玄武洞周辺の法面を保護する構造物にも玄武岩が用いられていた。

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東京へ帰る前に、JR山陰線豊岡駅のコンビニでおにぎりを購入して腹拵え。
この後、11時間ほぼノンストップで豊岡から養父、篠岡、亀岡と一般道をつなぎ、京都市内を国道9号線、1号線と通り、京都東ICから高速をすっ飛ばして帰ってきた。

御嶽砂丘玄武 歴史・文学・地質を巡る 2日目

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6時半前に目が覚める。大垣を発つ前に市内観光でもと思い、大垣城の周りを散歩してみた。
大垣城の建物自体は戦後になって建て替えられたものであり、真新しい白壁が周囲の風景から浮き上がっているように見えた。
外壁の真向かいに、埼玉では珍しくなったソープランドがあった。大垣城よりもこちらの方が印象深かった。

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大垣城の近くに、『奥の細道』の最後の場面で芭蕉と一行が別れを告げた小さい公園がある。
有名な「ふたみに別れ行く秋ぞ」の句碑もあった。
朝早い時間だったので、記念館に入ることはできなかったが、旅の緊張感を少しだけ味わうことができた。
教員になってから十数年、芭蕉の旅した土地を巡ってきたが、古典を追い求める私自身の旅も終わりを告げようとしている。

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福井の方へ抜けていく途中で、時間もないところであったが、関ヶ原で少し寄り道をした。
天下分け目の戦い」が行われた場所で、各所に将軍誰々が陣取った記念碑が残されてはいるが、田んぼや住宅地が広がるだけであり、想像力貧困な私の目には強者どもの姿は浮かんでこなかった。

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琵琶湖近くの国道からの風景。湿度の関係なのか、雲がかなり低い位置にある。

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琵琶湖の北端からの様子。竹生島らしき島影が写っている。

 

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関ヶ原から一気に丹後半島まで抜けようと思っていたが、原発関連施設の道路標識を見て、Uターンして大飯原発に向かった。しかし、大飯原発は急峻な山の奥にあり、一般道路からは全く見えないところに建設されている。旧ソ連の「秘密都市」を思わせる。海岸沿いまで行ったが、施設はほとんど見えなかった。東日本大震災以降に作られたであろう比較的新しい放射能測定施設があった。

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大飯原発近くの大飯総合運動公園。およそ過疎化が進行する地域に似つかわしくない立派な体育館である。原発マネーが地域の象的な大型施設に使われるのは全国共通か。

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ついでだったので高浜原発にも立ち寄ってみた。こちらの方は一般道からも軽水炉施設が良く見えた。
茨城県・東海村の原発施設とは異なり、大飯原発も高浜原発も住宅地から離れた場所にある。また、日本海側なので海洋プレートの沈み込みに由来する地震が多発する地域でもない。しかし、原発そのものの是非が問われているのであり、どの原発が比較的安全で、どの原発がより危険度が高いかという議論は無意味であろう。

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海上自衛隊舞鶴造修補給所の前で。
原発は巧妙に市民の目から隠されているのに、自衛艦はあけっぴろげに公開されているのは何だか腑に落ちないところである。

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舞鶴から天橋立に向かう国道178号線を走っていると綺麗な虹が見えた。当たり前の話だが、虹は光学現象に過ぎないので、下をくぐり抜けることなんてできない。しかし、あまりに近くにはっきりと見えるので、つい虹を追いかけてしまう。

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天橋立をパスし、丹後半島の先端の経ケ岬にやってきた。雨、風、寒の3拍子がそろっており、これぞ「ザ・日本海」といった雰囲気あふれる場所であった。海はフランス語でもロシア語でも女性名詞であるが、冬の日本海は男性名詞が似つかわしい。

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経ケ岬にほど近い、日本海に面した漁村集落である袖志の街並み。これまた私の貧弱な日本海沿岸の街のイメージにぴったりの佇まいであった。自動車が写ってなければ、昭和40年代の風景といっても疑わないであろう。
しかし、こうした狭い路地裏を歩いていると、ワクワクした気持ちになる。

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左の写真が風光明媚な松島に似た丹後松島。右の写真が屏風の形をしているということで屏風岩と呼ばれているそうだ。

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道の駅てんきてんき丹後に立ち寄る。山陰ジオパークのパネル展示コーナーが設置されていた。道の駅から自転車に乗り換え、5分ほど走ると立岩が姿を表す。まるで、映画『風の谷のナウシカ』に出てくる巨大生物の王蟲のようである。
以下、山陰ジオパークのホームページの解説より。
後ヶ浜東端の竹野川河口に位置する周囲約1km、高さ約20mの巨岩です。地下から上昇してきたマグマが固まったもので、その後の侵食により周囲の岩石が削り取られてこの岩が残されました。垂直に延びた柱状節理が美しいことで有名です。特に雪化粧した冬の立岩は、日本海の荒波と相まってモノトーンの絶妙のコントラストを醸し出します。

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道の駅で立岩を廻った跡、疲れが出てしまい、1時間ほど寝てしまった。起きたら暗くなっていたので、仕方なくホテルを探すことになった。とりあえず西を目指そうということで、城崎温泉に立ち寄った。
文学散歩と行きたかったが、7時を廻ってしまったので、駅前の足湯を利用しただけで、温泉旅館が立ち並ぶ目抜き通りを抜けていった。途中、志賀直哉『城崎にて』にも出てくる「一の湯」の前で。

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最後は鳥取駅近くのホテルへ。缶ビール1本でぐっすりと熟睡した。

御嶽砂丘玄武 歴史・文学・地質を巡る 初日

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今夏に出かけた「中央構造線」を巡る旅の後、御嶽山の噴火や、長野県神城断層地震、西ノ島新島の活動など、地質学的な変化が続いた。特に御嶽山は何度もテレビで放映された映像を見ており、自分の目で見てみたいという思いを抱えていた。
また、仕事のストレス解消も兼ねて、何十年や何千年という長い時間軸の中で自分を少し見つめ直したいと思った。地殻変動の証拠が数多く残る山陰ジオパークを辿りながら、60年1クールという時間を積み重ねている出雲大社を参拝しようと、いつも通り10万分の1の地図を頼りに行き当たりバッタリのドライブに出た。先日ヤフオクで1,000円で購入したホイール付きの中古スタッドレスタイヤの性能を試す好機でもある。

普段、休みの日は遅くまで起きていて早起きなどできやしないのに、こういう日はぱちりと目が覚める。とりあえず長野方面に行こうと、首都高経由で中央道を走る。諏訪湖ICで昼食をとる。

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中央道を伊那ICで降り、木曽へ抜ける国道361号線沿いの風景。好奇心が募る。

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JR中央本線の木曽福島の駅。観光客も少なめでタクシーの運転手も浮かない顔つきであった。

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御嶽山へ向かう途中の御嶽湖のほとりにて。野生のニホンザルが屯していた。ついカッコつけて、李白の「両岸猿声啼不住」という句が頭をよぎるが、別れを惜しむような鳴き声など聞こえるわけがない。

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御嶽山へ向かう山道。時折アイスバーンがあるが、スタッドレスタイヤのお陰で普通に走ることができた。
素直に中古スタッドレスタイヤの威力に驚いた。

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御嶽山麓のスキー場「おんたけ2240」の様子。今冬は「噴火警戒レベル」が出て営業停止となっていた。
「しーん」という擬態語が聞こえてきそうなほどの寂しさであった。来年は営業再開できるであろうか。しかし、その判断は難しいであろう。

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御嶽山からの帰りに木曽大社に少しだけ立ち寄る。ここも年の瀬なのか、住職を除いて人の気配がない。

この後、国道19号をひたすら走り抜け。大垣のビジネスホテルで宿泊することになった。

『津和野殺人事件』

内田康夫『津和野殺人事件』(光文社文庫 1988)を読む。
1984年に刊行された本で、国鉄という響きが懐かしい「昭和」を感じる作品であった。
ただ観光地の地名だけを借りたインチキな旅情ミステリーとは違い、山深い島根県津和野の文化や因習をモチーフとした連続殺人事件物である、津和野と東京の対比が、田舎体質と都会の空気、引いては戦前と戦後の社会のあり方の隔絶を象徴しており、一流の文学作品と評してもいい内容であった。
ご存知名探偵浅見光彦の推理と寸分違わずに物語が進行していくが、物語のスケールが大きいために、かえって強引なスピード感が小気味良かった。