野本陽代『宇宙の果てにせまる』(岩波新書,1998)をさらっと読む。
宇宙の年齢やビッグバン、暗黒物質など、宇宙にまつわる面白い章立てとなっているのだが、天文学者の学説の紹介が延々と続く。著者本人の経歴や実験などが全く書かれていないので、文章を読んでも興味が湧いてこなかった。
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『天竺への道』
陳舜臣『天竺への道』(朝日新聞社,1986)をパラパラと読む。
仏教のところは読み飛ばしたが、三蔵法師玄奘が旅の途中で50日ほど滞在した高昌国の話が興味深かった。高昌国は現在の新疆ウイグル自治区のトルファンに位置し、かつてはイラン系住民が多かったようだ。宗教も仏教やゾロアスター教、ミニ教やネストリウス派のキリスト教も信仰されていた、東は漢民族、西はトルコ系に挟まれ、民族色豊かな交易都市であったことが伺われる。
『ネアンデルタール人類のなぞ』
奈良貴史『ネアンデルタール人類のなぞ』(岩波ジュニア新書,2003)を読む。
ネアンデルタール人は、1856年にドイツのデュッセルドルフ郊外のネアンデル渓谷で見つかった人骨の研究が契機となっている。「旧人」として知られ、氷期の3万5000年前に絶滅している。ヨーロッパ全域からカスピ海東部の中央アジアにかけての狭い地域のみに分布しており、アフリカからは化石が発掘されていない。
一般的に500万年前の猿人から100万年前の原人、そして50万年前の旧人から20万年前の新人へと一直線に進化したと教えられるが、実際は旧人類のネアンデルタール人と現生人類のホモ・サピエンスは全くの別種で、併存していたそうだ。骨格の研究から言語を話すことはできなかったようだが、著者は火の使用や埋葬の習慣などはあったと主張している。
『マレー獏は悪夢を見ない』
大泉実成『マレー獏は悪夢を見ない:夢をコントロールする民族・セノイへの旅』(扶桑社,1994)を読む。
文章が分かりやすく、著者と一緒にマレーシアのジャングルの奥地へ旅する感覚を感じることができた。しかし、一体タイトルにもあるセノイ族の元へ何しにいったのか、最後までよく分からなかった。
著者は学生時代に何かしらのイベントで呼んだ記憶がある。しかし、私自身はイベントに参加した記憶もなく、漫画研究会枠だったのか、現代芸術研究会枠だったのか、獏、いや漠として思い出せない。
『予備校教師からの提言』
竹内久顕『予備校教師からの提言:授業・入試改革に向けて』(高文研,2001)を読む。
著者は現在東京女子大学で准教授となられているが、執筆当時は駿台予備校の講師を務めている。1990年代前半の受験競争や予備校バブル、そして、1990年代後半に入って一気に少子化が進み、競争を売りにできなくなった受験業界について、現場感覚を交えて丁寧に説明している。後半は著者の専門である日本史の入試問題を取り上げ、暗記や機械的な解法では解けない良問が紹介されている。
団塊ジュニアど真ん中の私は、受験戦争という中で青春期を送ったが、すでに2000年の頃には良くも悪くも競争のない、暗記やテクニックに頼らない論理的な思考を試す授業が提言されているのだ。重ね重ね意識しておきたい。