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「戦後を読む」

学生時代に買った月刊誌「発言者」(西部邁事務所 2007年12月号)を本棚の奥の奥から引っ張り出してみた。当時右翼の考え方を学ぼうと3~4ヶ月だけ購読したものの一冊である。

本書の巻頭特集である「歴史教科書、安保条約、憲法」をテーマとしたシンポジウムの基調講演を西部邁氏が担当している。その中で、当時の歴史教科書の運動を担う人々の中に「反左翼」の人々が混じっており、アメリカによって方向付けられた教科書を無批判で受け入れていることに対する警句を発している。また、アメリカもロシアも過去の歴史を意図的に分断してきて大国を作り上げてきたが、そうした過去との分断は国家レベルだけでなく個人レベルでもアイデンティティの喪失につながりかねず、ロシアやアメリカの傘下に嬉々として加わってきた戦後に日本にあり方に対して伊、保守の立場から強固に批判を加えている。
かなり長くなるが、一部を引用してみたい。

 話をさらに進め、日米安保条約のことでありますが、これはアメリカの軍事的な傘の下に戦後日本が半世紀に及んで、庇護されてきたということを意味する。自分たちの国を自分たちの力でいかに守るかということに関して、他の古今東西どこにも見られないような規模において、日本はサボタージュしてきた。
 (中略)保保連合について
 私が幾分啞然としてしまうのは、アメリカが提示せんとしている防衛方針、軍事方針に基本的に協力するという構えを示すのが、日本においては保守というふうに言われているということについてです。アメリカと共同歩調するかたちで台湾、中国、あるいは沖縄を巡る問題を処理していくというのが日本においてはコンサーバティブ、保守というふうに言われているらしい。これは言葉使いにおける、そして思想における、はたまた国家観や歴史観にも及ぶであろう、大いなる歪みだとしか思いようがない。
 政治においてであれ、文化においてであれ、一体何をコンサーブ、保ち守るのであるか。それは、その国の歴史の中から生み出される国柄を何とか確認することです。この国柄の解釈論についての議論を大事にするというのが保守の第一の構えである。
 そして、国柄というものに関して、国民のおおよその同意がとりつけられたのならば、その国柄に基づいて、その国の国益をどういう方向に見定めるか、それが保守の立場だということになる。つまり、国家主義でも民族主義でもなくて、ごく冷静な意味において、その国の歴史の秩序なり良識なりに基づいて国のあり方、そして国民生活のあり方を感じ、考え、論じるのが保守の姿勢である。

 先ほどの話に戻れば、アメリカという日本に決定的に影響を与えた国と歩調を合わせるのが保守であるなどというのは、まことに歪んだ、情けない保守の定義である。一億総保守化の体制になったのだというふうに言われながら、日本という国の国柄と国益というものにきちんとつなげて保守を論じるという態度が希薄になっている。そういう堕落した思想状況になっている。
 たとえば、李登輝総統をはじめとして、台湾の人々が協調しておりますが、5年後ぐらいには、台湾海峡において大変危ない事態が発生すると見込まれている。台湾の国柄と国益のことを心底心配しているのはいわゆる本省人の人々であり、そして本省人としては、日本という隣の国がどういう協力体制を敷こうとしてくれているのかということについて、当然ながら大きな関心がある。また日本という国に対して共感を抱いている台湾人もたくさんいる。
 ところが日本からはほとんどノーメッセージである。もちろん、これについて政治的、軍事的に厄介な事情があるということを私は知らぬわけではない。
 台湾の本省人たちが必死になって日本に協力を求めているから、こちらも応えなければいけないなどということではないけれども、問題は日本側に台湾の要求なり希望なりを感じる力すらがほとんどなくなっているということです。
 今の日本に本当の意味での指導者がいるかどうかは知りませんが、とりあえず指導的な層にいる人々についていうと、彼らは台湾や中国を巡る軍事、政治情勢に関する思考力や判断力を失っている。それが現状だといわざるを得ない。
 今の日本において、保守勢力というふうに言われている人々の幹部クラスにあって、自分たちが青年であった時代に雰囲気として流れていたものの感じ方、考え方が彼らの脳髄の心棒にか奥底にか知りませんが、言わば固着しているのではないか。これは政治にかぎりません。経済団体の長でもかまわないし大学の学長さんでも構わないのだけれども、そういう立場にようやく戦後世代がつき始めている。

 その人たちが、何らかの重大な局面において、自分たちがたとえば青年時代に習い覚えた、あるいは青年時代に染め上げられた観念の枠組みなり感情の仕組みを応用して言動している。
 その枠組みは、一言でいえば、進歩主義的なものです。事が進歩主義だとなると、アメリカという問題がまたしても浮上してこざるをえない。

 アメリカと旧ソ連の中のロシア(旧ロシア)は表面上は冷たい戦争の中で激しく敵対しておりましたが、国家の成り立ちの本質論といたしましてはそれほど異なった国なのであろうか。アメリカと旧ロシアは言わば伯仲の間柄なのです。
 伯仲の「伯」というのは兄のほうであり、「仲」のほうは弟のほうである。伯仲というのは兄と弟が喧嘩をやってなかなか止めないという状況のことです。アメリカと旧ロシアというのは、喧嘩はしていたけれども実は兄弟であったのだと考えるのが、おそらくは真っ当なアメリカ論でありロシア論なのだというふうに考えられる。
 両方の文明ともイギリスを始めとする西ヨーロッパの近代の中から両極端に分泌してきた特別な国なのだけれども、両方に共通なのは、歴史への軽視です。ロシアの場合、革命というかたちで歴史を破壊した上に、新しい巨大な実験として社会主義というものをつくり上げようとした。
 アメリカのほうは、ヨーロッパから出てきた重荷ピューリタン系統の人々が、アメリカインディアンをあっさりと片付け、その新大陸に、歴史不在の下に巨大な実験国家としてのユナイテッド・ステーツ・オブ・アメリカをつくろうとした。

 私が強調したいのは、アメリカも旧ロシアも社会的実験主義というものを敢行した国なのだということです。社会的実験主義とは何かといったら、歴史とのつながりを破壊したり足蹴にしたり軽蔑したりした上で、進歩主義に基づいて国家を設計することです。
 アメリカの個人主義対旧ロシアの全体主義あるいはアメリカの競争主義対旧ロシアの計画主義というかたちで対決しているように見えたけれども、その根っこを探ると通底している。アメリカは個人主義なり競争主義において巨大な実験国家をつくろうとした。ロシアのほうは官僚主義なり計画主義なりでもって、また巨大な実験国家をつくろうとした。つまり歴史から切断されたところで、巨大な社会的実験として国家をつくろうとしたという意味において、両者は共通しているのだ。

 そして保守にとって最も警戒しなければならないのは、この社会主義的実験なのです。日本の戦後というのは実に情けない半世紀間だった。知識人の動向を見れば一目瞭然なのでありますが、1960年代の半ば頃までは知識人の圧倒的多数が、ソビエト、ロシアの方向にどんどん傾いていく。ところが、ソ連は収容所群島なのだという情報が少しずつ入ってくるあたりから、社会主義は理想であることをやめた。もっと冷静に現実主義でもって対応しなければいけないのだというふうに知識人が言いはじめた。学者、ジャーナリスト、評論家だけではなくて、たとえばビジネスエコノミストといったような知識人が70年代から大量発生してくる。仮にそれを、社会主義的理想主義に対して、自由主義的現実主義の知識人というふうに言えば、その種の知識人たちは、おおまかに眺めたときアメリカ的なものの考え方を受け入れる、アメリカに好意的である。

 戦後日本人は、前半は、ロシア型の理想主義を多かれ少なかれ受け入れ、それを受け入れるところから、たとえば平和主義のようなものをどんどん膨らましてきた。しかしその後半期においては、日本の知識人に見られるごとく、戦後日本人はアメリカ型にものに露骨に近づいていく。しかしながら、私の解釈によれば旧ロシア型とアメリカ型というのは表面上対決しているようだけれども、深いレベルまで降り立てば、ソーシャル・エクスペリメンタリズム、社会的実験という意味において大同小異の関係なのだ。そして両方とも、歴史というものを軽んじる点においては、とても保守的であるというふうに言いがたい国なのだ。

 そういうことをやっておきながら、この世紀末において、日本人は一億総保守化したとか、あるいはその政治が総保守体制になったというふうに言われている。保守という言葉を50年間にわたって軽んじてきたにもかかわらず、今現在に至って、ほとんど保守の言葉しかないといったふうな状態になっている。これぐらい倒錯した思想状況、言論状況はなかろうにと言いたくなる。

 

「西部邁を悼む」

本日の東京新聞夕刊文化欄に、「西部邁を悼む」と題した佐高信氏の追悼文が掲載されていた。
週刊金曜日編集委員を務め「左翼」を代表する佐高氏と保守を自認する西部氏は、水と油のような背反関係にあるかと思っていた。しかし、両者は意外にも好みが似ており、軽薄な言葉を駆使するだけの浅薄な政治家や派手派手しい身ぶりを持ち味とする作家を嫌うという点では一致していたとのこと。
一部を引用しておきたい。

何よりも二人は嫌いな人間が同じだった。言葉に体重がかかっていない竹中平蔵や橋下徹を嫌悪する点で共通していた。(中略)誰かが言っていたが、西部さんは左翼は嫌いで、右翼は大嫌いだった。左翼に反対するしか能のない右翼を反左翼と称して軽蔑していたが、アメリカに何も言えない現政権がそれに含まれることは断るまでもない。

 

BRM128埼玉200 アタック霞ヶ浦

昨日、オダックス埼玉主催の「BRM128埼玉200 アタック霞ヶ浦」に参加し、12時間17分で無事にゴールすることができた。
昨年も申し込んだのだが、首の怪我で参加できず仕舞いだったもので、1年越しの完走である。
越谷の出羽公園をスタートし、霞ヶ浦大橋を渡って100km地点にあるコンビニまで往復するコースである。氷点下が続き雪が残っていて走れないということで、当日にコース変更があった。
幸い風が全くなかったものの、日中もほとんど気温が上がらず、距離よりも寒さとの戦いであった。

スタートから50km地点の最初のポイントチェックまでは、土地勘もあるところであり、ほぼ集団走だったので楽だった。
70kmを越えてから一人になり、90kmを越えた辺りであまりの寒さのために足が攣ってしまい、明日の仕事に支障があってはと棄権が頭をよぎる。しかし、先日購入したばかりのスポーツバルムを太ももに入念に塗り込んだところ、不思議とそれ以降は全く平気であった。
150kmを越えてからが地獄であった。日が沈んで指先だけでなく身体の芯まで冷えてしまい、10kmが本当に長く感じた。コンビニで少し体を温めては、冷蔵庫よりも寒い中を走り抜けることの繰り返しで、心身ともにクタクタでった。

ゴール後のチェックでは「お疲れ」の一言しかなかったが、達成感は十分に味わうことができた。
自転車のメンテナンスの不足や冬仕度の工夫などの反省も多々あったが、たまには自分をギリギリに追い込むのも良い。
ちなみに記念写真は、パッとしない風景の中に写る自転車の写真の2枚だけ。

 

「日仏防衛協力強化で一致」

本日の東京新聞夕刊に、小野寺五典防衛相がフランスのパルリ国防相と会談し、共同訓練の拡充など両国の防衛協力の強化を確認したとの記事が掲載されていた。また、阿倍晋三首相が掲げる「自由で開かれたインド太平洋戦略」について意見を交わし、核・ミサイル開発を進める北朝鮮への圧力を継続する方針で一致したとのこと。

小野寺氏は会談冒頭で「フランスは太平洋に領土と広大な排他的経済水域(EEZ)を有し、自由や民主主義といった基本的な価値観を共有する特別なパートナーだ」と指摘し、2月には海上自衛隊とフランス海軍フリゲート艦による初の二国間訓練が予定されている。無人潜水機に搭載する機雷探知技術の共同研究など、防衛装備品の共同開発推進も確認され、フランスパレードへの日本側の出席も呼びかけられたとのこと。

夕刊の一記事なので見過ごしがちだが、いったいインド太平洋でフランス軍と軍事協力を進めることに何の意味があるのか。30年におよぶフランスの核実験場となったポリネシア・ムルロア環礁の防衛・安全管理に自衛隊が出動するのであろうか。そもそも19世紀の植民地政策で、原住民の生活を根絶やしにされてきたインド洋太平洋の諸島や海域を守ることに何の意味があるのか。

北朝鮮への圧力とあるが、何を仕出かすか分からない北朝鮮のイメージを悪用した便乗であり、この上ない愚作である。

『「東大国語」入試問題で鍛える! 齋藤孝の 読むチカラ』

齋藤孝『「東大国語」入試問題で鍛える! 齋藤孝の 読むチカラ』(宝島社 2004)を半分ほど読む。
タイトルそのまま、著者が感銘を受けた東大の現代文を取り上げ、前半はその狙いについて解読し、後半は実際の入試問題の解説となっている。
個人個人の主観と主観が重なるグレーゾーンのことを「間主観性」というが、東大の現代文はその間主観性に客観性を求め、なおかつ間主観性を踏まえて受験生個人の人生経験を表現させるという、東大のポリシーが反映されている。
著者は次のように述べる。

東大の入試問題では、ギリギリまで間主観性を追い込み、共通理解を抽出し、再構築することが求められています。考え抜き、最終的なところまで追い込んで行って、「この辺が妥当だろう」というところに行きつくわけです。東大入試の問題は、考え抜くと、正解にたどり着くという良問なのです。