日別アーカイブ: 2017年8月10日

東京新聞国際面から

EU離脱後の英国が唯一、EU加盟国と陸続きの国境を接することになる北アイルランドが特集されていた。アイルランド4州と接する北アイルランドのファーマナ州は、かつてカトリック過激派アイルランド共和軍(IRA)の攻撃に最前線で晒された経験を持つ。英国・アイルランドともEUに加盟した後は一日3万人が自由に行き来できるようになったが、今後は英国の欧州連合離脱で人や物の移動に規制が加わることになる。今後、厳格な国境管理が導入されれば、またテロの機運が盛り上がることが懸念される。IRAの政治組織シン・フェイン党は、南北アイルランドの統一は、住民投票で問うべきだと主張するが、ファーマナ州の住民は「EU離脱を利用して、軍事で失敗したアイルランド統一を政治的に達成しようとしている」と反発する。

90年代後半から20年余り、人や物、金が自由に行き来するグローバル社会を礼賛する風潮が続いたが、いよいよそうした自由の代償に対する見直しが始まりつつあり、北アイルランドのような戸惑いが今後も各地で発生してくるであろう。

北アイルランド紛争
1937年に英国から独立したアイルランドに対し、島北部は英領にとどまったが、英国統治を望む多数派のプロテスタント系と、アイルランド帰属を訴える少数派のカトリック系が対立。60年代後半に武力闘争に発展し、計3000人余の犠牲が出た。英国・アイルランド両政府を含む当事者が、98年に和平合意に至った。

さあ、残り1年

先日、ここ数年の懸案だった試験が終了した。
まだ結果は出ていないが、出来は芳しくなかった。
しかし、わだかまりがスッキリと解消し、道筋が見えるようになった。
じっくりとこれからの1年間を使っていこう。

『黒い雨』

井伏鱒二『黒い雨』(新潮文庫 1970)をパラパラと読む。
広島長崎原爆投下の日に合わせて手に取ってみた。
戦後20年を経て、原爆後遺症に悩まされながら、1945年8月5日から15日までの10日間の広島での「被爆日記」を清書しなおすという形で、20年経っても脳裏に焼きついている黒い雨の下での苛烈な体験を浮かび上がらせている。

解説の中で紹介されていたのだが、井伏氏は次のような文章も残している。どぶのなかに残したままの青春のかけらという一節が印象に残る。

 私は学生時代の六年間、ときには例外もあったが殆ど早稲田界隈の下宿で暮し、学校を止してから後の四年間もこの界隈の下宿にいた。したがって私は青春時代の十年間、この界隈の町に縁があった。云いなおせば私は青春という青春をこの辺のどぶのなかに棄ててしまった。いまでもこの町の裏通りを歩いていると、見覚えのある穢いどぶのなかにはまだ自分の青春のかけらが落ちているような気持がする。

『堕落論』

坂口安吾『堕落論』(角川文庫 1957)を少しだけ読む。
確か高校3年生の時に買って以来、いつか読むだろうとずっと本棚に眠っていた本だったように記憶している。高3の冬に横浜駅の有隣堂という本屋で買ったんだっけ?
戦前から戦後にかけての雑誌に掲載されたもので、当時の時代状況が分かっていないと楽しめない作品であった。その中で印象に残った一節を引用しておきたい。

 女の人には秘密が多い。男が何の秘密も意識せずに過ごしている同じ生活の中に、女の人はいろいろな微妙な秘密を見つけだして生活しているものである。(中略)
 このような微妙な心、秘密な匂いをひとつひとつ意識しながら生活している女の人にとっては、一時間一時間が抱きしめたいように大切であろうと僕は思う。自分の身体のどんな小さなもの、一本の髪の毛でも眉毛でも、僕らにはわからぬ「いのち」が女の人には感じられるのではあるまいか。まして容貌の衰えについての悲哀というようなものは、同じものが男の生活にあるにしても、男女のあり方はにははなはだ大きな距(へだた)りがあると思われる。(中略)
 女の人にとっては、失われた時間というものも、生理に根ざした深さを持っているかに思われ、その絢爛たる開花の時と凋落との怖るべき距りについて、すでにそれを中心にした特異な思考を本能的に所有していると考えられる。事実、同じ老年でも、女の人の老年は男に比べてより多く救われがたいものに見える。思考というものが肉体に即している女の人は、そのだいじの肉体が凋落しては万事休すに違いない。女の青春は美しい。その開花は目覚ましい。女の一生がすべて秘密となってその中に閉じこめられている。だから、この点だけから言うと、女の人は人間よりも、もっと動物的なものだというふうに言えないこともなさそうだ。実際、女の人は、人生のジャングルや、ジャングルの中の迷路や敵の湧き出る泉や、そういうものに男の想像を絶した美しいイメージを与える手腕を持っている。もし理智というものを取り去って、女をその本来の肉体に即した思考だけに限定するならば、女の世界には、ただ亡国だけしかあり得ない。女は貞操を失うとき、その祖国も失ってしまう。かくのごとく、その肉体は絶対で、その青春もまた、絶対なのである。