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『敗戦の逆説』
進藤榮一『敗戦の逆説:戦後日本はどうつくられたか』(ちくま新書 1999)を読む。
戦前の1940年代体制へ憧憬や、戦後のGHQの押し付け憲法や政策が日本を間違った方向に誘導したとする一部の「保守層」の我田引水な歴史観に対して、戦前から戦後にかけての日米の政治家や官僚の発言や文書から丁寧に反論を展開している。
新書なのだが、歴史の大まかな流れの概説を省いて、いきなり専門書レベルの内容に入っていくので、筆者の言いたいことは良く分からなかった。
戦前日本にあって、全就業人口の5割が農業に従事しながら、農民の3分の2は小作農であり、農地の過半を占める水田の50%は小作地であった。そして小作農は、収穫の50〜60%に及ぶ小作料を地主に納めることを法的に義務づけられて悲惨な生活を送らざるをえなかった。(中略)しかも小作料自体が農業に再投資されることが少なかったために、農業生産性はほとんど向上せず、全就業人口の半分近くが農業に従事しながら、戦前期にあって日本は米の自給すらできなかった。それが、台湾や朝鮮などの外地から大量の米を輸入させながら、満州を含めたそれら外地に大量の人口を”植民”させ、したがってそれら周辺諸地域に植民地として獲得し拡大する動きを嚮導していかざるをえなかったのである。
築地を目指すものの、小伝馬町あたりでUターン
仕事帰りにサイクリングに出かけた。
築地や豊洲を見て回ろうと思ったが、天候が悪く、歯医者の予約もあっため、小伝馬町あたりでUターンして帰ってきた。地図なしにゆっくりと走ったが、ここ最近の疲れが出てしまった。
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『十三の墓標』
内田康夫『十三の墓標』(祥伝社 1992)を読む。
1987年に刊行された本に加筆・訂正を加えたものである。
名探偵浅見光彦は登場せず、警視庁の岡部警部の部下である坂口刑事が活躍する。全国各地に存在する和泉式部の墓や遺跡をモチーフに話が展開する歴史ミステリーである。内田作品初期の少し堅い雰囲気のある作品である。作品の展開と連動しながら、頭の中の地図がぐるぐると動いていった。1981年に実際に起きた余部鉄橋の列車転落事故が作品に絡んでおり、昭和という時代の歴史も合わせて感じることができた。最後はいつもどおり強引な展開で締めくくられてしまうが、ソアラで高速道路を疾走する浅見光彦シリーズとは異なり、鉄道の車窓からのんびりとした昭和の風景を一緒に味わえるのが一興である。
オウム死刑囚全員執行の問題点
以下、救援連絡センターのMLから
7月6日に東京拘置所で松本智津夫(麻原彰晃)さん、土谷正実さん、遠藤誠一さん、大阪拘置所で井上嘉浩さん 、新實智光さん、広島拘置所で中川智正さん 、福岡拘置所で早川紀代秀さんの死刑が執行され、20日後の26日に名古屋拘置所で宮前一明さん、横山真人さん、東京拘置所で端本悟さん、豊田亨さん、広瀬健一さん、仙台拘置支所で小池泰男さんの死刑が執行された。13人の死刑執行は21世紀日本の大虐殺事件といえるだろう。
今回の執行はとてつもなく大きな問題を孕んでいる。それはひと月に13人の死刑執行という数の問題だけではない。7月6日の執行では同一事件同時執行という原則を破り、まず教団の省庁の「大臣」だった者を選んで執行を行っている。これは確定順でも判決で認定された事件別でもなく、オウム真理教の元「幹部」を執行することで、オウム真理教という組織を抹殺するという政治的な意思を見せつけるものだ。
そしてもう1つの大きな問題は再審請求中の死刑執行だ。昨年7月に大阪で再審請求中の1人の死刑囚の執行が行われたが、彼は同じ理由で再審を繰り返す者への執行はためらわないことを法務省はこれまでにおわせてきた。しかしその再審の可否のを判断するのは裁判所であって法相ではない。法相は裁判所を無視して執行をしているのである。
12月には弁護人をつけて再審請求をしていた2人が執行された。1人は第四次再審請求で裁判所から求意見が来ており、もう1人は第3次再審の即時抗告中だった。ここで再審請求中であっても裁判所の決定を待つことなく執行することを法務省は明確にしたのだった。
今回は13人中10人が再審請求中であり、そのうち5人は一度目の再審請求中だ。これまで1度目の再審請求中のものが執行されたことはないはずだ。再審請求の内容も見ず、裁判所の判断を待つことなく、問答無用で死刑執行命令書に署名する。そのくせ上川陽子法相は「裁判所の十分な審理を経た上で死刑が確定した。慎重な上にも慎重な検討を重ね、執行を命令した」と記者会見で語っている。
今年になって冤罪の可能性が極端に高いにもかかわらず死刑を執行されてしまった飯塚事件の久間三千年さんの死後再審を福岡高裁が認めず、袴田事件の静岡地裁の再審開始決定を東京高裁は6月11日に再審開始せずとの決定を出した。それは死刑再審は国が絶対に認めない、国の過ちは認めないという宣言だ。そして今回、驚くべきことに1度目の再審中の者まで死刑を執行するというとんでもない段階に入ってしまった。 誤った裁判を訂正すべき再審制度を国は認めないのである。
もうひとつの問題は、法務省は確定順の死刑執行を心掛けて来た。再審請求中、恩赦申立中、心身の重篤な病気の者、高齢者、共犯者が逃亡中あるいは共犯者が再審申立中の者を除外し、ほぼ確定順の執行が原則だった。もちろん法務省は公式には執行の順番は言わないが、そうでなければ執行の公平さに欠けるから、ほぼ確定順というのが慣例であった。それを今回は恣意的にねじ曲げての執行だった。6日に執行された松本さんは確定順だと38番目だから早すぎることは確かだ。
今回の執行は、今後国は1度死刑が確定すれば、誰であれ恣意的に執行できる前例を作ってしまった。順番だけではない、同時に執行する人数もこれまでのような2、3人ではなくなるかもしれない。国は死刑が確定すれば、誰でもいつでも殺す力を持ってしまったのだ。
執行抗議集会開催
2度目に執行のあった日の翌27日、フォーラム90とアムネスティ・インターナショナル日本、監獄人権センター、「死刑を止めよう」宗教者ネットワークの四団体は文京区民センターで抗議集会を持った。今回の異常な執行に驚愕し、危機感を抱えた300人が会場に詰めかけた。集会は6日の7人執行に対する抗議集会として準備していたが、急遽、26日に執行された6人の関係者にも登壇をお願いし、長時間の集会となった。
まず安田好弘弁護士が松本さんの再審弁護人として、地下鉄サリン事件の共謀をしたとされている「リムジン謀議」なるものは存在しなかったという新証言をもとに第4次再審請求を行い、かつ人身保護請求をしたことを明かした。また心神喪失状態で10年以上拘置されているので本人の生死すら誰も目撃できていないので、法務省矯正局へ拘置所で本人を確認させてほしいとの請願を行い、法務大臣に死刑執行中止命令を出せという訴訟をしたが期日が入らないまま執行された。恩赦の出願は心神喪失状態の本人は書けないのでお子さんの委任でやったが拘置所は出願書を送り返し、恩赦そのものさえ拒否した。そういうなかで今回の執行が行われた。
大逆事件(幸徳事件)では24人が死刑判決を受け、12人が恩赦となった。いかに安倍政権とはいえ13人全員執行ではなく、恩赦もありうるのではないか。というのも横山さんのケースは死者が1人も出ていないのに死刑、井上さんは1審で無期だったのが2審で逆転死刑になっている。しかし甘い見通しで大逆事件の12人執行を越える執行となり、死刑を巡る状況が100年以上逆戻りしたと語った。
続いて端本悟さん、新實智光さん、遠藤誠一さん、林(小池)泰男さん、井上嘉浩さんの弁護人からそれぞれの人物像と再審の動きが話され、豊田亨さん、中川智正さん、横山真人さんの弁護人や支援者からのアピールが朗読された。また宮前一明さんがかつて死刑廃止のための大道寺幸子・赤堀政夫基金に応募した絵画作品が会場に展示され、執行された日に投函された彼のアンケートの一部を司会が読み上げた。そこにはこう書かれている。
「名拘へ移管して4カ月目の7月6日。麻原を含む7名の即執行には覚悟していただけに、どうして某が残ったのか? とも考え、その後、前世の兄弟を失う如く大きな喪失感に包まれたものです。これは、彼らの御両親の念と重なるからです。麻原が存在しなければ、世のため人のために、人生を歩むはずの彼らが、どうして麻原と一緒の刑にと……。生き証人として果たすべくことは沢山あるのに、残念なことです。」
続いて監獄人権センター代表の海渡雄一弁護士、オウム家族の会の永岡英子さん、作家の森達也さんが話し、抗議声明を採択して集会は終了した。
ところでなぜオウム死刑囚に関してはここまで乱暴な執行がなされたのか。処刑されたほとんどの人が矯正可能な人たちであることは明らかだ。しかし問題はそこにはないのだろう。オウム真理教を国家の敵・民衆の敵という存在としてイメージを作り、それを抹殺する国家の力を安倍政権は誇示したかったのに違いない。ビン・ラディン暗殺をホワイトハウスで中継で見ていたアメリカ大統領と安倍内閣は重なる。
1998年12月30日、韓国では23人の死刑確定者が執行された。それから20年、韓国では死刑執行はない。私たちの住む野蛮国・日本が今後韓国の道を歩むか、それともさらなる死刑大国への道を歩むか。死刑執行停止・死刑廃止へむけて、私たちのやるべきことは多い。
(深田卓/死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90)