月別アーカイブ: 2012年2月

夕刊コラム「ギャップイヤーは日本には不向き」(再掲)

古紙回収に出してしまった、2月16日付けの東京新聞夕刊がようやく手に入ったので、改めて早稲田大学教授石原千秋氏の「ギャップイヤーは日本には不向き」と題されたコラムについて補足を加えつつまとめてみたい。改めて目を通すと、「ギャップイヤー」と「秋入学」の明らかな読み違えをしていたことに気付いた。

著者は本論の中で、東京大学主導で検討されている秋入学を大学だけが実施すると、入学前と卒業後の半年の2回、計1年間のギャップイヤー(空白期間)が生じてしまうことを問題視している。そして、秋入学を実施するならば、ギャップイヤーが生じないように、幼稚園から大学院、企業官公庁の秋採用まで含めて、国家規模で一気に教育全体の時間軸を変えなくてはならないと述べる。

イギリスを中心に定着しているギャップイヤーであるが、イギリスでは、年間の学費が40万程度であり、原則、学生は政府から融資を受け、卒業後に収入が一定のレベルに達してから長期返済する仕組みになっている。こうした奨学金制度が確立していない日本で、前後1年間もの空白期間を留学やボランティアなどで有効に活用できるのは教育費にかなり余裕のある富裕層に限定されてしまう。多くの学生は「社会経験」という錦の御旗のもと、その中身はチェーン店を中心としたアルバイト従事で終わってしまう可能性が高い。そのため、秋入学を導入する有力大学に進学できるのは富裕層家庭に傾斜し、「学歴の再生産」が進んでしまう恐れがある。

また、日本の大学では、自身の興味と適性を見極めないままに大学に入学してくる学生が多い。そうした学生は大学に入ってから、この大学で、この学部でよかったのかと悩み始める。ギャップイヤー付きの秋入学の導入はそうした悩む時間を与えながら、出直しにはさらに一年間も浪費せざるを得ず、実質的に自分の来し方行く末を真摯に見つめる機会を遠ざけるシステムとなっている。

現在、秋入学は30数校の国公立大学と早慶の2つの私立大学が前向きに検討を始めていると報じられている。国公立大学や一部の有名大学はいいが、1年間もの学費収入のない空白期間を持ち堪えられない私立大学が出てくるのではと著者は危惧する。

著者は最後に「こうした様々な事態を避けるためには、莫大な費用をかけてでも、ギャップイヤーのない秋入学を国家事業として一気に導入するしかない。それが日本に見合ったやり方である」と述べる。

こう見てくると、ギャップイヤーを伴う「秋入学」というのは、週5日制を前提とした「ゆとり教育」に性格が似ている。十数年前の完全5日制導入時の文科省の宣伝文句は、土曜日の休みをボランティア活動にあてたり、家族や自然、芸術スポーツとの触れ合いの機会にしたりするというものであった。しかし、家族揃って土曜日が休みで自然や芸術に触れる余裕があるのは正社員と専業主婦の一部の家庭だけであって、家でゲームやパソコンに勤しむ小中学生や、バイトに興じる高校生が多く生まれる結果となった。また、塾に行くことができる「ゆとり」の時間が増え、公立学校の授業内容の削減と相俟って、ますます親の経済力と学力の相関関係が密接なものになる悪循環に陥っていった。

一部の大学が先行する形で議論が進んでいるギャップイヤーも、半年や1年の過ごし方という時間だけで捉えるべきものではない。親の経済力や大学の資金力で差を付けるような制度というのは、長期的に見ると経済格差がそのまま教育格差へ繋がる「貧困の連鎖」を生み出してしまう。そうした観点で秋入学の記事を読むようにしたい。

『「勝ち抜く大人」の勉強法』

中山治『「勝ち抜く大人」の勉強法』(洋泉社 2001)を読む。
これまでの日本の詰め込み型の勉強ではなく、「良質な知識情報の蓄積とその戦略的活用」を説く。参考書の選び方から始まって、柔軟な思考法や決断力、表現力と話は展開していく。
著者の中山氏は、「この本のなかで言っていることも、必ず批判的に読むこと」と述べるが、子どもが遊ぶ脇でぼーっとしながら「なるほどな〜」と思いながら読んだ。

『権力とは何か:中国七大兵書を読む』

安能務『権力とは何か:中国七大兵書を読む』(文春新書 1999)を読む。
ちょうど、授業で「臥薪嘗胆」を扱っており、教材研究の一環として手に取ってみた。
タイトルにある通り、商君や韓非子、管仲、呉起、孫子といった春秋時代の有能な政治家の著書や言葉を紹介しながら、「権力」という語の定義付けを試みる。
結局著者安能氏の結論はよく分からなかったが、伍子胥と伯嚭のやり取りや、闔廬と孫武の話など、「史書」に描かれたエピソードが、君主と臣下の力関係や法制度といった新しい観点で紹介されており、そちらの方が面白かった。

特に韓非子が戒めるべき官僚の「権謀術数」として、「貪臓枉法」−臓(わいろ)を貪(むさぼ)って法を枉(ま)げる−を指摘しているのは興味深かった。春秋時代から中国では、宮殿や公共施設の建造と、河川や道路や橋梁などの土木工事において、主幹の官僚の懐に多額の賄賂が収められていた。そのため建築や土木工事の責任者や監督官にだれが就任するかの争いは凄まじく、儲けは専ら材料の横領と賃金や食料のピンハネであり、工期は長ければ長いほどよかったそうだ。

「中国四千年の歴史」と巷間言われるが、「貪臓枉法」の歴史もまた長い。

『ウェブ人間論』

梅田望夫・平野啓一郎『ウェブ人間論』(新潮新書 2006)を読む。
1日8〜10時間もネットの世界と繋がっているIT企業の経営コンサルタントの梅田氏と、芥川賞作家平野氏の対談集である。そして、計16時間にも及ぶ対談の中で、ネットと現実の折り合いの付け方や、価値観の違い、引いてはネットに生きることの意味を論じている。グーグルという会社の経営思想など興味深い話もあり、一気に読むことができた。

障害者雇用 県教委積極採用へ

 本日の埼玉新聞朝刊の一面に、2012年度の障害者雇用について、県教委が県の財源で非常勤職員17人の採用を予定しているとの記事が大きく掲載されていた。県教委の障害者雇用率は11年6月時点で1.67%と法定雇用率の2.0%に届かず、不足数83人は全国ワースト4位であるという。

昨年11年度は国からの緊急雇用創出事業交付金を活用し、41人の非常勤職員を採用したが、雇用期間が1年未満のため、雇用率には反映されなかった。今回の17人は雇用期間が丸1年であり、契約の更新を含めれば3年近く雇用の改善につながるのではないかと思う。

県教育局の説明によると、「職員の9割以上は教員だが、教員免許を持つ障害者が少ないため、教員採用試験の受験者が少ない」と説明している。全国の都道府県教委でも法定雇用率を達成しているのは14教委と3割程度であるという。しかし、これは裏を返せば、教委の障害者雇用の環境が悪いから、敬遠しているとも考えられる。全国で3割もの自治体で雇用率を達成しているので、埼玉県教委も雇用率の達成に向けた息の長い施策を打ち出す必要がある。

今回の県教委の取り組みについて、埼玉労働局の小野寺徳子職業安定部長は「大変大きな一歩を踏み出していただいた。今後も継続して、障害者雇用の促進に努めてほしい」と評価している。

また、県内に本社を置く企業の障害者雇用率も1.51%と法定の1.8%を大きく下回り、全国最下位に低迷している。都内に職場を求めている人も多いのであろうが、まずは国や自治体が率先し、県全体の雇用の改善に向けて動き出してほしいと思う。