月別アーカイブ: 2007年6月

『一月物語』

平野啓一郎『一月物語』(新潮文庫 1999)を読む。
前作の芥川賞受賞作である『日蝕』同様、漢字検定準1級レベルの熟語が満載で、大正期の文学の風体を装った古典的な作品に仕上がっている。
荘子の夢蝶をモチーフとし、現実と夢の狭間で展開される恋物語であるが、神話的要素やサスペンスな風合いもあり、ぐんぐん大団円に向かって読者を引きつける勢いが文章にある。作者平野氏が弱冠24歳の時の作品である。まさに脱帽である。

『ワーキングプア:いくら働いても報われない時代が来る』

門倉貴史『ワーキングプア:いくら働いても報われない時代が来る』(宝島社新書 2006)を読む。
30代半ばになりながら、年収200万以下で暮らす「ワーキングプア」と呼ばれる若者の生き方を追いながら、そのような格差を是認する社会のあり方について述べる。引きこもりや関係性障害といった個人の心理的な面ではなく、あくまで社会的側面から論を展開する。アルバイトや派遣といった就業形態から抜け出せない構造を生み出した小泉内閣時代の「聖域無き構造改革」を批判的に総括し、正社員への登用を義務づける法律の制定など「ワーキングプア」を助ける政策的なサポートの強化を提言する。

『栄養士・管理栄養士になるには』

藤原眞昭『栄養士・管理栄養士になるには』(ペリカン社 1996 改訂版2003)を読む。
高校生向けの職業選択の定番である「なるにはシリーズ」であるが、今回はかなり苦しい内容であった。栄養士の資格を取得した後、どのような将来や生活が待っているのかを、期待を込めて紹介するのが本書の展開パターンである。しかし、今回は栄養士を取得して学校の授業に参加するとか、出版社を経営するといった例外の紹介が多く、栄養士や管理栄養士を取得した学生が、一体どのような職業に就いているのか、そのマスの部分のの説明がなく、栄養士や管理栄養士の将来はさも薔薇色といった一辺倒な紹介に終わっているのが残念だ。

『続・日本国の研究』

猪瀬直樹『続・日本国の研究』(文春文庫 2002)を読む。
石原都政の参謀を担う東京副都知事に著者猪瀬氏が就任したとのニュースに接し、本棚に眠っていた本を読んでみた。猪瀬氏というと信州大全共闘の議長を務めた経歴もあってか、ある程度左寄りな、自民党に批判的言論人だと思っていた。しかし、著作を読むと、大衆に幻想を抱かないインテリ政治家体質の民主党の小沢一郎を信奉し、特殊法人や公益法人の澱みを徹底して追求する小泉純一郎に賛同するなど、新自由主義的なスタンスを取っているようである。一方で、防衛庁の調達制度の無駄や、原子力政策の不備を付くなど、無理・無駄を追求する、その矛先は幅広い。文章の流れもスムーズで小気味よく読むことができる。

私なんかは税金の効率的な使われ方という観点から、防衛省や宮内庁、引いては天皇制度そのものを無くしてしまえば良いという考えなのだが、天皇制について、猪瀬氏は、慎重なのだか、適当な御託なのだかよく分からないが、次のように述べる。雇用促進事業団や社会保険庁に対して鉄槌を下す姿勢とは全く別物で奇異である。

現在の天皇家は危うい位置にいる。死者を包摂することがかなわない乾いた存在へと移りつつあるからだ。(中略)天皇家がおかれている現実的な環境は官僚機構の下請け”特殊法人”の位置である。天下りの巣窟で、役人が数年ごとに入れ替わるだけで、日本最古のファミリー、死と再生の儀式の司祭に対する処方箋を誰も本気で用意はしていない。
皇居が幻想としての墳墓であるのに対し、戦後憲法は”平和記念館”ということになる。三百万の死者、あるいはアジア二千万人の死者たちをひたすらそこに押し込めた。いつまでも不健全に宙吊りにさせた。戦後憲法は、死者の鎮魂のための祝詞として国民に迎えられたが、死者たちをかえって忘却の彼方に追いやったのである。
天皇制をなくしてしまえ、というなら、憲法もつくりなおせ、ぐらいの覚悟があってもよい。戦後体制の底に沈殿したタブーを掻き回すことでしか自己責任原理の文化はつくれない。

□ 猪瀬直樹オフィシャルホームページ □

子の成長

child20070616

1歳4ヶ月なんなんとする娘であるが、よちよち歩きの「二足歩行」にも少しずつだが慣れてきたようだ。もう少し歩けるようになれば公園に散歩に行けるのだが。
しかし、早く歩いてほしいという願う一方、まだまだハイハイのままの赤ちゃんでいてほしいという気持ちが入り混じる今日この頃である。