月別アーカイブ: 2022年10月

「飼料米への転作 国が助成見直し」

本日の東京新聞朝刊に、主食用米を作っている稲作農家が、牛や豚の餌となる飼料用米へ転作する動きに関する記事が掲載されていた。現在国内の畜産農家は米国やブラジル、アルゼンチンから輸入されたトウモロコシや大豆を飼料として用いている。しかし、今年に入ってからウクライナ戦争による燃料費の高騰や円安による輸入価格の上昇で、畜産農家は悲鳴をあげている。

また、下に昨年度の農林水産省の食料・農業・農村政策審議会・畜産部会の飼料、おっと失礼、資料をあげておいた。カロリーベースでの食料自給率が低い要因として、家畜用飼料の輸入が指摘されている。農林水産省自体が「国産飼料の増産により飼料自給率を上げ、畜産物の国内生産を増加させ、食料自給率の向上を図る」と述べている。

本日の記事を読む限りでは、農林水産省の狙いがよく分からないが、濃厚飼料用の大半を占めるトウモロコシは100%輸入に頼っている現状を考えると、現在の稲作農家の理解と協力を得ながら、飼料用米の増産を目指すのは諸手を上げて賛成である。

しかし、明日の2年生授業がちょうど食料自給率の部分なのだが、この記事はちょっと使いにくいね。

『小説の読み方』

猪野謙二編『小説の読み方:日本の近代小説から』(岩波ジュニア新書 1980)をパラパラと読む。漱石、鴎外、芥川に始まり、有島武郎、志賀直哉、藤村、独歩、樋口一葉、鏡花の8名の作家の作品解説である。また、その解説者が豪華で、漱石の解説を大岡信、芥川の解説を阿部昭、有島の解説を津島佑子など、他、大江健三郎、黒井千次、林京子、野間宏など、錚々たる作家の名前が並ぶ。時代を代表する作家は、同時に卓越した読者であることが分かる。

作品解説は中学高校レベルではなく、大学の文学部の授業レベルである。解説よりも解説者である作家たちのちょっとしたエピソードが面白かった。大岡信は次のように述べる。

中学下級生のころ何を読んだが、それがほとんど思い出せない。戦争がいちだんと激しくなってきた。1943年4月、桜咲きみだれる狩野川べりの沼津中学校に入学したが、それから二年余りの歳月がたって、1945年の真夏の一日、日本は戦争に敗れた。その二年余りの間に、何を読んだか、それがほとんど思い出せない。

他にも、林京子の姉が大学出たての若い青年教師の気をを引くために、樋口一葉の『たけくらべ』の文庫本を購入したところ、学年主任が青年教師が勧めた『たけくらべ』の回収を命じたエピソードなど、堅苦しい解説よりも冒頭の作家との出会いエピソードの方が印象に残った。

『塔上の奇術師』

江戸川乱歩『塔上の奇術師』(ポプラ社 1964)を半分ほど読む。
さすがに飽きた。変装や屋根への逃亡、家丸ごとの改造など、他作品と全く同じパターンの使い回しである。子どもの頃にはスイミングスクールの入り口でワクワクしながら読んでいた記憶があるが、大人が読んで楽しめるものではない。江戸川乱歩作品には昭和の闇が描かれていると、大学のゼミの先生が話していたのを記憶しているが、少なくとも怪人二十面相シリーズには描かれていないと思う。

「高校フルーツ 海外へ」

本日の東京新聞夕刊に、茨城県の農業科の高校で栽培した高級ブドウシャインマスカットがマレーシアに輸出されるという記事が掲載されていた。記事の最後で、指導を担当する教諭が次のように述べている。

人口が減り日本全体の消費が減る中、もうかる農業のためには人口が増加しているところに売っていかないといけない。輸出の流れを勉強し、生徒たちが海外に目を向けるきっかけになるといい

2学期の授業の中でも、日本市場(しじょう)がどんどん小さくなる中で、高校生の君たちはどんどん海外に目を向けてほしい点を強調した。記事のテーマは農業だが、農産物に限った話ではない。日本市場の狭さを実感し、英語を武器にどんどん世界を視野に入れてほしいと思う。その手助けができれば、地理教諭として望外の喜びである。

『レンズの向こうに自分が見える』

野村訓『レンズの向こうに自分が見える』(岩波ジュニア新書 2004)をパラパラと読む。
刊行時、大阪府立大手前高校定時制の教諭だった著者が、顧問を務めていた写真部の生徒が写真を撮ることを通して、自分と見つめ合い、そして成長していくプロセスを語る。

たった一言で、それまでトラウマを抱えて生きてきた生徒が目を輝かせる奇跡が描かれるのだが、教育現場に身を置くものとしては、美談調で学校ドラマ仕立てなのが気になった。実際の学校教育は徒労の積み重ねである。カメラを通して、部活動を通して生徒を支えていくことに異論がある訳ではない。一冊の本になった時に、あまりに切り捨てられているところが多すぎる。