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『山里の四季をうたう』

井出孫六・石埜正一郎『山里の四季をうたう:信州・1937年の子どもたち』(岩波ジュニア新書,2006)をパラパラと読む。
タイトルにもあるとおり、1937(昭和12)年、長野県諏訪郡本郷村立本郷尋常小学校(現富士見町立本郷小学校)の3年生が書いた自由口語詩が掲載され、当時の小学校の教員事情や時代背景などが補足されている。

当時、小学校教員は師範学校を卒業することが条件であったが、旧制中学校の卒業者でも代用教員として教団に立つ道が開かれていた。任期は1年で一番教えやすいとされる小学校3年生を受け持つのが慣例となっていたようだ。

 

旧制中学を卒業したばかりの先生が

『新しい地球観』

上田誠也『新しい地球観』(岩波新書,1971)を読む。
「新しい」といっても、私が生まれる前の50年以上前の本である。
現在では教科書に載っているプレートテクトニクスやマントルの対流、地磁気の逆転などが、学界の大きなテーマであった頃で、当時の世界中の研究者の熱気が伝わってくる内容であった。

プレートテクトニクスの前の大陸移動説を唱えたアルフレッド・ウェゲナーは、ドイツ人なので、第一次世界大戦のために、研究が大いに妨げられてしまった。しかし、戦後の1924年には、気候学者のケッペンとともに『地質時代の気候』を出版している。
そもそもウェゲナーの大陸移動説は、岩石中の磁気を調べることで岩石がどれほど地磁気に対して移動したかを明らかにした古地磁気学によって復活したのである。

また、第二次大戦後、ドイツの莫大な軍事用火薬を処理する必要から、大西洋上の島で爆発させることになった。そのことを知ったヨーロッパの地質学者たちがいっせいに観測を行ったことから、大規模な地震探査法が登場している。

マントルの対流と書いたが、マントルは核の熱を放出するために対流することが明らかになっている。お椀の中の味噌汁を思い出してみると良い。鍋の下からガスで温めると、鍋の底にある水は、温められて熱膨張して体積が増える。体積が増えれば密度は小さくなって軽くなる。そうするとその部分は上に上がってくる。その代わりに表面にあった冷たい部分の水は下へ降りていく。こうやて対流は熱を伝えているのである。マントル対流の場合も、マントルの下の方の温度が高くて、その部分が熱膨張をし、鍋の中の水と同じように、熱対流を起こしていると考える。

『「悩み」の正体』

香山リカ『「悩み」の正体』(岩波新書,2007)をパラパラと読む。
人間関係や恋愛・結婚・子育て、容姿、生き方など、主に女性をターゲットとした内容となっている。著者曰く「男性たちは、あまり考えることなく仕事に就くことができる。(中略)働く意味まで深く考えずに就職した男性のほうが、途中で疲れやストレスを感じたときには、働くペースをと落としたり、あるいは仕事以外の趣味やボランティアなどに生きがいを見出したり、と働き方をシフトチェンジしやすい」と述べる。一方、「『働くこと」が自分自身の価値や生き方と最初から強くかかわっている女性たちは、たとえその疲労が多忙すぎる結果によるものだったとしても(中略)さらにペースを上げようとする。いずれにしても、そんな女性たちが少しペースを落とすことをまわりからも許され、自分でも受け入れられるのは、いまだに『出産と育児』だけなのではないだろうか」と述べる。

20年前の時代の風潮で、今読んでもピンとこない説明となっている。それだけ時代が進展しているのだろうか。

『雨宮処凛の「オールニートニッポン」』

雨宮処凛『雨宮処凛の「オールニートニッポン」』(祥伝社新書,2007)を読む。
リーマンショック前の就職難が続いて、30代になっても派遣やフリーターから抜け出せないプレカリアート世代の対談集となっている。湯浅誠さんや松本哉さん、赤木智弘さん、大槻ケンヂさんなど、当時30代前半を中心とした方たちと自分たちの境遇や社会について自由に語っている。
印象に残ったのは雨宮さんの次の発言である。共感するところが大きい。

95年のとき20歳だったでしょう、私たちは、あれがすごいおおきかったんですよ。阪神大震災とオウム事件と戦後50年が重ならなければ、私は絶対右翼に行かなかったと確信しています。あそこで価値観とか戦後の物語が崩れた。(中略:阪神大震災・オウム事件)の上に戦後50年がきたので、「戦後日本の誤り」みたいのを1月と3月に思いきり突き付けられた上で、戦争の映像がガーンと8月に来るわけですよね。(中略)
この辺の世代論ってあまりないですけど、面白いと思うのは、同い年で何かを書いたり、ものを言ったりしている人って、みんなフリーター問題が背景にあるんです。松本哉さんもそうだし。

ちょうど、私の卒業論文も1995年のオウム事件とや靖国問題から始まっているので、興味深かった。
また、大槻ケンヂさんは次のように述べる。

僕は高校を卒業してデザインの専門学校へ入るのですが、1学期で課題が追いつかなくなってやめてしまって、それから2浪したんですね、その浪人時代が、浪人といってもほとんど勉強なんかしてなかったから、あのころはニートといってもよかったですね。若い時期には1年とか2年とか、ニートみたいな時期があったほうがいいような気もする。「何やってんだ、おれ」という時期。あの時に精神が培われているような気もします。

『となりの「愛犬バカ」』

勝俣和悦『となりの「愛犬バカ」』(祥伝社新書,2008)を読む。
著者は帯広畜産大学を卒業され、ペット全般に関わるペットコンサルタント・コーディネーターを生業としており、2万頭のペット犬と、3万人の飼い主と関わってきた人物である。
そんな専門家の著者が、飼い主の無理解によって飼い犬が迷惑している点を、犬の性質を踏まえて丁寧に説明している。また、犬は1万4、5000年前から人間と一緒に生活していたらしい。

大半さらっと読み飛ばしたが、飼い主の「ケージに閉じ込めるのは、かわいそう」という項が興味をひいた。飼い主は家の中でも広々としている部屋ならゆっくりとくつろげるはずだと考えがちである。しかし、犬にとっては広くて隠れる場所のないところでは不安が生じる。そのため、ケージは犬にとって外敵から襲われる心配のない安全な場所となる。躾の行き届いた犬ならば、寝るときには自らケージに入っていく。