月別アーカイブ: 2015年8月

本日の東京新聞から

本日の東京新聞朝刊に、理化学研究所・創発物性科学研究センターの十川好紀センター長がすすめる「マルチフェロイク物質」に関する記事が掲載されていた。
マルチフェロイク物質とは、パソコンのRAMなどの速くて省エネの電気と、ハードディクなどの情報が消えない磁気のいいとこどりをしたようなもので、電力がかからず情報が消えない材料である。電池に電圧をかけるだけで磁気を自由に帯びさせることができ、消費電力も今の1万分の1ほどで済み、映画1本が1秒くらいでダウンロードできるようになると言われている。

研究成果を出す秘密について、十川氏は「数打ちゃ当たる」ものであり、若い研究者には「いつでも数が打てる状況に自分を置け」とアドバイスをしているそうだ。また、「しまった、と思っても落ち込まない」前向きな姿勢が大事だという。
「いつでも数が打てる状況に自分を置け」という言葉が妙に印象に残った。その真意は面白そうな研究テーマが出てくれば集中打を浴びせるためだということだが、普段からいつでも進撃できる態勢を作っておくことは、どのような分野や現場でも大切なことである。グウタラな私自身への戒めとしたい。

鬼怒川温泉駅から新鹿沼駅まで

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〈ルートラボ http://latlonglab.yahoo.co.jp/ より〉

本日は初の輪行にチャレンジしてみた。
栃木あたりをブラブラしようと思って、雨具も持たず軽装で数年前に購入した折りたたみ式自転車で出かけた。しかし、駅窓口の路線図を見ているうちに、すっかり初期の目的を忘れ、気づいてみると鬼怒川温泉駅までのスペーシアの特急券を手にしていた。

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宇都宮までは晴れていたのだが、宇都宮を過ぎ山の方に近づくにつれて霧雨模様となり、鬼怒川温泉駅に着くころにはすっかり小雨状態となっていた。駅の施設内の弁当販売の店で外の風景を見ながら、後悔すること頻りであった。とりあえず、平地の方に降りていけば雨も止むだろうという勝手な憶測で、雨の中飛び出していった。

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「アルブレイズ」というあさひ自転車から出ていたものなのだが、80キロを超える体重で乗り回していたのでクランクがガタガタになっており、漕ぎにくい上に下り坂でもスピードが出ず、走り始めて30分でヘロヘロになった。日光例幣使街道を自転車で下るという貴重な経験ができたが、明日からの仕事が頭をちらつき、疲れが出ないうちにと新鹿沼駅からスペーシアで帰宅した。都合40キロほどのサイクリングであった。

「太陽光発電 急成長」

本日の東京新聞朝刊1面に、太陽光発電のシェアが原発12基分の6%に達したとの記事が載っていた。2年前は供給力の1%に過ぎなかった太陽光は、すでに今夏の猛暑の需要ピークに欠かせない役割を果たすまでになっている。
都留文科大学の高橋洋教授によれば、太陽光だけでなく豊富な森林資源を活用したバイオマスや風力、地熱などが増え、バランスがとれてくれば、割高な火力依存や原子力発電がなくても現状の供給量をカバーできると述べる。しかし、そのためには電力ネットワークの広域的運用や天然の蓄電池である揚水発電の更なる活用、東西の周波数を変換する能力の強化、家庭用も含め安価な蓄電池の開発が求められるという。
来月9月より、原子力が必要だという意見に対しデータを踏まえた反論ができるように、エネルギー問題についてきちんと勉強していきたい。

「新国立競技場の建設問題」

本日の東京新聞夕刊の中高生向けの紙面に、新国立競技場の建設問題に関するジャーナリスト池上彰氏のニュース解説記事が載っていた。
高校の運動会の盛り上げを巡って、歯止めが利かなくなった検討委員会の模様を引き合いに出しながら、新国立競技場の建設問題で露わになった日本特有の構造的な欠陥について指摘している。非常に分かりやすく、論点が明確な文章だったので、引用しつつ書き方を参考にしてみたい。

 戦前の日本は、中国大陸の「関東州」に陸軍を駐在させていました。ソ連の脅威に備えるためで、それが「関東軍」です。ところが、関東軍が、中国大陸で勝手に戦闘を始めます。日本政府は、戦火が広がらないようにしようとしますが、誰もが関東軍をやめさせることができない。そのうちに、「これだけ日本軍の兵士に犠牲が出ているのだから、ここで戦争をやめるわけにはいかない」という声が高まり、ついには全面的な日中戦争、アメリカとの太平洋戦争へと拡大していきます。多くの人が「戦争やめろ」と言えませんでした。
 戦争が終わった後、連合国による東京裁判は開かれましたが、日本人自らによる開戦の責任の追及は行われませんでした。「一億総懺悔」(一億の国民全員が反省しなければならない)という言葉でうやむやになってしまいました。
 新国立競技場の問題を戦争に置き換えると、こういうことではありませんか。
 つまり日本という国は、巨大なプロジェクトがいったん始まると、誰もがおかしいと言い出せず、途中でやめられない。どうしようもなくなって中止になると、誰もが責任を取らない。「みんなの責任だ」で、終わってしまう。太平洋戦争は、まさに典型でした。
 こうして見ると、いまも日本は、同じような体質を持っていることがわかります。これは健全なことではありません。
 要は目的を明確にすること。多目的にこだわると、無目的になってしまいます。担当者の責任の範囲を明らかにして、問題が起きたらきちんと責任を取る。この基本を徹底させないと、いずれまた同じ失敗を繰り返します。