月別アーカイブ: 2002年3月

Gongendo and so on

今日は幸手の権現堂へ花見に出掛けた。
といっても「花より団子」ならぬ,「花より酒」で,桜はほとんど見なかった(笑)
今年は桜の開花が異様に早かった。桜が咲くまではポカポカ陽気だったが、桜が咲き始めると強風と冷え込みで、花見客相手の商売はあがったりであろう。

最近仕事でエクセルをずっと使っているが、機能が便利になりすぎて、逆に覚えることが多くなり、数字データを隣の列に移動させるだけで一苦労である。
ワープロソフトは各社から様々出ているが、表計算ソフトはエクセル以外に主だったものがなく、せっかくマックを使っているのに、無理矢理マイクロソフトの製品を使わされるようで少々残念である。

今日バイクの自賠責保険の更新の通知はがきが来た。現在のバイクは学生時代の最初の2年間で3万キロ以上走ったが、就職してからの3年間で1万キロしか走ってない。これから30越えて何万キロ乗れるかと考えると自賠責も何年掛けようか迷ってしまう。19・20歳の頃はバイクを降りるなんて信じられなかったが、現在はいつかは降りる時が来るんだろうなという切ない気持ちになっている。

暴走族追放条例

本日広島で「暴走族追放条例」が可決された。
「条例案は禁止行為として、公共の場で許可を得ず、公衆に不安や 恐怖を与えるような集会などを挙げて」おり、「暴走族の背後に控える 「面倒見」の存在を念頭に、集会の指示・命令も禁止した。さらに、市が管理する公共の場で、暴走族が特異な服装で円陣を組み、旗を立てるなどし、市長の中止・退去命令に従わない場合、六月以下の懲役または十万円以下の罰金を科す」という。

この記事を読む限りではこの条例は拡大解釈がいくらでも可能な悪法である。そもそも「暴走族」という語からして定義は曖昧である。「警察24時」的なドキュメンタリー番組で報道されている「暴走族」のイメージを想起しがちであるが、辞書には「グループでオートバイや自動車を乗り回し,他人に迷惑をかける者たち」としか載っていない。また「特異な服装で円陣を組み、旗を立てるなど」の行為とあるが、運用を誤れば様々な団体に適用が可能である。この条例は憲法に定められた表現・集会の自由を侵害している。詳しい情報が入手出来ないのが残念であるが、破防法に似た恐ろしい法案である。

『ソウルミュージック ラバーズオンリー』

第97回直木賞受賞作、山田詠美『ソウルミュージック ラバーズオンリー』(角川文庫 1987)を読む。
彼女の初期の頃の作品であるが、体の結びつきを武器にする男女のすれ違いがテンポよく描かれていた。セックスを愛情表現として捉えるのか、性欲行為として捉えるかといったもどかしさが底流に流れるようなステレオタイプな恋愛小説ではない。セックスは男性にとって征服欲を満たすものであるが、同時に女性にとっても支配欲を満たすものである。女性にとっての支配欲といったものがどこに依拠するのかという問題は単に性欲だけの問題ではない。女性を巡る様々な社会状況に帰していく問題である。
しかし山田詠美さんはそこまではっきりとは述べない。男の征服欲を飲み込んでいくだけの女の「存在感」をひたすら示すだけである。安易な捉え方をするならば女版寺山修司といったところか。

『大学はどこへ行く』

一橋大学学長石弘光『大学はどこへ行く』(講談社現代新書)を読む。
大学入学者全入時代を迎え、日本の大学は、これまでの文部科学省による護送船団方式から、競争原理を導入し、世界に通用する大学を目指さなくてはならない、そのために学生もしっかり勉強しろという内容である。そして学生による授業評価制度、第三者による大学評価、東工大・東京医歯大・東外大との4大学連合構想などの提言があふれている。国立大学の独立行政法人化への移行に際して、行政法の照らして公務員の身分の扱いを論じている項目は興味深かったが、学長という立場からのみ大学を捉えているので、本書の定義する大学が大変狭苦しいものに感じられてならない。例えば学生の表現活動については以下のように述べる。

学生諸君の立看板、ビラ貼り、チラシ配りに関しては、これまで長いこと学内で、「言論の自由」か「学内の美化」かで論争を生んできた。学長選挙の折、公開質問状にもその是非を巡る質問が出されていた。これに関し学生の間でも賛否両論あるようで、副学長の粘り強い交渉にも拘わらず、学生側から譲歩を得るにいたっていない。国立大学の建物・キャンパスは、国民の税金により作られたものである。当然、大学はそれをきちんと管理し、きれいに維持する責任を持っている。いくら言論の自由とか広報活動の意義を認めたとしても、野ざらしの立看板、何十枚も連続で階段に貼り巡らすビラ、期限をすぎてもビラを剥がそうとしない無責任な態度、机のいたるところに無差別にビラを置きまくる行為など、是非自粛して欲しいものだ。

学生に英語力やら、グローバルリテラシーやら自己表現能力を身につけろと述べつつも、都合の悪い意見は潰してしまえというものである。戦後反戦運動、反差別運動に、学生にとっての大学という基盤がどれだけ下支えしたのかという点が石氏の状況認識からはすっぽり抜けてしまっている。1960〜70年代の大学闘争があったからこそ、今まで大学は護送船団方式で一定の「学問の自由」が守られてきたのだ。

同じ一橋大学大学院の教授である鵜飼哲氏と数年前新宿で飲んだことをふと思い出した。鵜飼氏は立看板、ビラ貼りを規制する輩には、所詮議論の土台が違うんだから、そいつの身体に直接糊でビラを貼り付けちゃえと述べていた。乱暴な議論であるが、そんなものだろうと思う。

だらだらとテレビ

今晩は疲れが抜けずに一日だらだらする時間が長かった。夜はずっとTBSの「関口宏の東京フレンドパーク」を見ていた。和田アキ子と彼女の親しい友人たちが出場していた。和田アキ子の友人として松村邦洋や高田純次、池谷幸雄、島崎和歌子らが出ているは納得だったが、島田紳助が出ているのは意外だった。二人の掛け合いを見ながら、昔日テレの「トップテン」の司会者を二人でやってたなあと思い出して合点がいった。

「東京〜」の後は「タイムショック」をぼんやり眺めていた。あの番組は雑学教養クイズの妙、有名芸能人の真剣な表情という面白さ以外に、出身の高校、大学という要素がかみ合ってくるので人気を博しているのであろう。東大、京大、早大、立大、熊大…と芸能人の出身もさまざまである。母校もしくは思い入れのある学校を出ている芸能人を応援したくなる気持ちは理解できるが、数年前のフジテレビの「平成教育委員会」にも多数出演していた定番の「高学歴芸能人」は少々新鮮味が欠けるのではないか。