月別アーカイブ: 2003年12月

『タレント文化人100人斬り』

佐高信『タレント文化人100人斬り』(社会思想社 1998)を読む。
月刊誌「噂の真相」に連載されたコラムをまとめたもので、表題通り、テレビや雑誌に顔を出す西部邁や弘兼憲史、猪瀬直樹などの政治家、評論家を丁寧な分析のもとに切り裂いて行く。特に、「西部のイヤらしさは、自らが保守派という多数の尻馬に乗りながら、少数を気取るところにある」など、頑固一徹を貫く作者は「転向派」には厳しい批判を加える。
また猪瀬氏に対しては「大体、猪瀬のは、『ハラハラ止まり』で、私は田中康夫のように、圧力によって連載を打ち切りになったことはないだろう。その程度の『安全な』ものかきなのだ」と述べる。そして(天皇制を批判的に扱った猪瀬著『ミカドの肖像』に対して)「皇居のまわりをジョギングしたようなもの」と厳しい。猪瀬氏は先日道路関係四公団民営化推進委員会にて、反「道路族」を槍玉にあげたが、すったもんだした挙げ句、結局は自民党寄りの答申をまとめた人物だ。佐高氏は猪瀬氏のそのような傍観者的体質を予見していたのだろうか。

本論とはずれるが、岩波の『世界』の創刊についての話が興味深かった。戦争末期、武者小路実篤や志賀直哉や安倍能成を中心に戦争を終わらせるための会合を開いていたところ、憲兵に盗聴されみなびくついてしまった中で、志賀は憤慨して「われわれの息子たちが自分の責任でもない戦争に引き出されて命を犠牲にしているのに、われわれのような年寄りが、身の危険を案じてこんな会合さえやめようと言うのか。それでは余りにも不甲斐がなさすぎるじゃないか」と言ったという。そしてそのグループが中心になって、戦後『世界』が創刊されたのだが、志賀は年寄りばかりではダメだからとグループに共産党の中野重治や宮本百合子を加えるも提案したとか。大正期の白樺派の印象が強い志賀であるが、少し見方が変わった。

『十三番目の人格ISOLA』

貴志祐介『十三番目の人格ISOLA』(角川ホラー文庫 1996)を読む。
多重人格を題材にした作品であり、最後まで飽きさせずスピーディに話は展開していく。多重人格というのはミステリー小説として扱いやすい素材なのだろうが、内容的には人間の身体に霊が住み着くといったありきたりなホラーもので終わってしまっているのが残念だ。

『中国・台湾・香港』

中島嶺雄『中国・台湾・香港』(PHP新書1999)を読む。
PHPから出されているくらいなので、自由と民主主義の成功により経済成長著しい国として台湾を取り上げ、共産主義への相変わらずの偏向的な見方が随所に見られるが、中国の置かれている状況の一端が理解出来た。著者はかつて「『中華連邦共和国』試論」という論文を書き、多元的な中国像を提案し、中国共産党からビザの発行停止扱いを受けている。中国共産党は台湾の独立が国家分裂のきっかけになってしまうのが怖いのだ。現在でもウイグル自治区やチベットの独立運動に関わっているものを徹底的に処分しているときく。著者はこうした状況を踏まえ、米中対立構造を基調に据え、改めてアメリカ支持を打ち出しながら、中国を封じ込めていく政策を提案する。著者のスタンスには同調しないが、北朝鮮ばかりに関心が行き過ぎている中、中国共産党の軍事依存体質や軍需産業には逐一批判を加えていくべきだろう。

『蒼白の馬上』

見沢知廉『蒼白の馬上』(青林堂 2001)を手に取る。
しかしほとんど理解出来ず、10分ほど斜め読みしただけである。作者見沢氏は元ブント戦旗派の活動家であり、内ゲバ殺人などで12年間も服役した人物である。政治的判断に基づいて殺人を行うということの重さを小説に仮託して述べている訳だが、話の文脈を追う事は出来なかった。

『くたばれ!専業主婦』

石原里紗『くたばれ!専業主婦』(光文社知恵の森文庫 2003)を読む。
現在の年金制度の改悪に歩を合わせるように、収入のない専業主婦は「ただの無職であり、ダンナに寄生するカチク以下の立場であり、働く人すべてから搾取する、社会の粗大ゴミのような存在」だと過激な言葉のみが踊る内容のない文章が続く。男性の作者であれば、クレームが集中するところだが、女性の、そして元主婦による執筆という建前なので質が悪い。読後感の悪い作品であった。