月別アーカイブ: 2002年8月

『インターネット的』

糸井重里『インターネット的』(PHP新書 2001)を読む。
内容的には特に目新しいものはなく、著者の主催しているサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」のコンセプトについて社会学的に語ったものだ。しかしさすがにコピーライターらしい文章仕上がりになっている。私自身今月に入りこのページに毎日書き込みをしているわけだが、共感できる点も多かった。私自身がいま考えている問題とも大きく重なってる部分を引用してみたい。

いま思っていることは新鮮なうちに、いま言ってしまわないと、ほとんどが消えてしまうのです。その程度で消えてしまうものはたいしたものじゃない、という言い方もできるのですが、試しに語ってみる、とりあえず始めてみることによって、アイデアやクリエイティブは膨らんだり、転がったりして、大きな何かに化ける可能性があるのです。(中略)とにかく、いろんな場面で着想の断片でもいいから投げかけあう。(中略)インターネットができたことで、「誰でも思ったことを垂れ流せる」という意見は否定的にせよ肯定的にせよ、よく語られてきました。しかし、もっとも重要なのは、垂れ流せるとわかったおかげで、「思ったり考えたりすることの虚しさがなくなった」ということだと思います。画面の向こう側とこちら側に「人間がいて、つながっている」という実感が、クリエイティブを生み出すこと、送ること、受け取ることの楽しさを思い起こさせてくれたことが、革命的なのだと思っています。

インターネットが爆発的に日本に普及してすでに7年あまりの月日が流れているが、最近はネットバブルの崩壊や出会い系殺人など否定的な側面で捉えられがちであるが、インターネットの持つそもそもの「つながる」という感動を著者は改めて指摘している。

また著者はかつてファミコンのゲーム「mother」の製作を指揮していたが、彼の描くユートピア的な社会観がこの本にも滲み出ている。彼は「インターネット的」社会について次のように語る

「食物を持つ・生きられる満足」を得ようとする農業社会の時代が、「ものを持つ・力を持つ満足」の工業化社会の時代に移行し、「ことを持つ・知恵を持つ満足」の情報化社会の時代がきたのですから、次は、持つことから自由になって「魂を満足させることを求める」社会がくるのではないかと考えても、そんなに不思議はないと思うのですが。

糸井氏は、山岸俊男著『安心社会から信頼社会へ』(中公新書)から大きなヒントを得て、「ほぼ日」が生まれたという。山崎氏の「正直は最大の戦略である」という主張を、「無理に他人をだましたりしなくてもいいし、好き好んで善人であろうとして不自然なガマンをしなくてもいい、という「自由」な生き方を肯定してくれる思想になる」と読み替え、インターネット的社会の根幹には「信頼と魂」が据えられると主張する。ノンセクトラジカル的というかアナーキスト的というか不明だが、当たり前のことを述べているようで、やはり確実に全共闘の思想を通過している。(確か彼は法政の中核派に属したことがあったのでは…、いやノンセクトに「転向」したんだっけ…)

『「超能力」から「能力」へ』

今日は家でゆっくりとくつろいで、本を少し読んだのだが、大変いかがわしい本に出会って休み気分が害された。
村上龍・山岸隆『「超能力」から「能力」へ』(講談社 1995)を読む。
この本によると、「パーフェクトハーモニー研鑽会」なる団体の筆者山岸隆氏はある日突然「特殊エネルギー」なるものが身に付いたというのだ。そしてその「エネルギー」が宿った紫色の両手を駆使することで、コーヒーの味を変えたり、筋肉の弛緩が可能になるというのだ。そしてそのエネルギーが注入されたCDを聞くとストレスから解放されたり、頭の回転が早くなったり、癌が直ったりする優れ物なのだ。まあ、ここまでの話はよくあるタイプのもので、たま出版から発行されている本ならば、軽く読み飛ばせばよい代物である。中身についてここで詳しく述べるのは控える。
しかし講談社という業界一位の出版社が村上龍の名前を冠して、何の注意書きもなしにこの手の本を発行しているということの方が問題であろう。いやはや出版社の良識を疑わざるを得ないだろう。

千葉へドライブ

今日は東京湾アクアラインの海ホタルへ出かけた。相変わらず海ホタルの観光客以外の通行は少なかった。ここしばらく道路公団民営化の話がかまびすしいが、実際にがらがらの高速道路を走るに、整備計画中の道路について原則「凍結」という方針は止むを得ないのだろう。
そして木更津からさらに養老渓谷の方へ出かけた。途中君津市の林道の奥にある福野小学校という学校へ寄ってみた。複式学級の小さい学校なんだろうなと思いつつ、山道を走っていったのだが、案の定本当に小さい小さい学校であった。しかしグランドを歩いていると2002年度3月付けで廃校になった旨の石碑があった。グランドの真ん中に大きい木が一本立っており、印象に残る学校であった。生徒数が数名の公立学校を維持するのは難しいことであるが、是非地区の中心として残してほしい学校であった。

ブックトークの原稿

本日で司書教諭の講習が終了した。結果は10月ということなので、楽しみに待ちたい。講習中行ったブックトークの原稿を紹介したい。

ブックトーク

  1. タイトル:戦争について考えよう
  2. 対象:中学一年生  試演時間 十五分
  3. ねらい:ただ事実を並べ年号順に出来事を暗記するだけでなく、写真や評論や絵本を使いながら戦争を多角的に捉えてみる。
  4. 展開(シナリオ)

紹介する本             ポイントになる言葉・その他

  1. 野村昇司作『羽田 九月二十一日』(ぬぷん児童図書出版 1988)
    夏休み中、テレビや新聞で戦争について考えてみた人はいますか?
    8月15日に小泉首相は全国戦没者追悼式の中で次のように述べました。(黒板に掲示する)
    では五七年前の日本の敗戦後の様子を見てみましょう。(6ページ程読む)
  2. 『写真記録 日中戦争 5 アジア・太平洋戦争』
    一九四一年の真珠湾奇襲攻撃の様子を紹介する
    →アジアへの進出は当初非常にうまく行きました。
    →シンガポール、フィリピン、インドネシアの戦いの様子を紹介
    しかし一九四三年に入ってから連合軍の攻撃が本格的になってから日本軍は段々後退を余儀なくされていきました。
    →ガダルカナル島、サイパン島の戦いの写真
    当時の小学生は集団疎開をし、中学生は軍需工場で働いていました。
  3. 『HIROSHIMA 半世紀の肖像』
    そして一九四五年八月六日に広島、九日に長崎に原爆が落ちて、日本は一五日にポツダム宣言を受諾して、無条件降伏をしました。
    →原爆ドーム、原爆に苦しむ人々の写真を提示
  4. 『戦時下写真ニュース5 戦地編』
    では、どうしてこのような戦争に一億総国民が加担してしまったのでしょうか。当時の日本の政府はこうした戦争のおそろしさを正確に国民に伝えようとしませんでした。
    →昭和一八年から一九年にかけての「同盟通信写真ニュース」を五つほど紹介する
    当時の音声の悪いラジオ放送の声を真似して紹介
  5. 家永三郎『戦争責任』(岩波書店 1985)
    では、果たして現在の日本の教科書はこうした歴史の真実を伝えているでしょうか。みんなの持ってる日本史の教科書を見てましょう。
    →現行の教科書を紹介
    当時の新聞に比べるとかなり具体的に書かれていますね。
    ここで日本史の教科書検定制度の裁判に長く携わってきた家永三郎さんの本を紹介しましょう。
    →「戦争を知らない世代にも責任はあるか」を読む。
    戦争責任を戦後責任と読みかえて、今歴史の真実を知ることから、考えていくことの大切さに重点をおいて区切りをつける。

図書の選択について

図書館司書教諭講習より
図書の選択について

1 図書の選択の変遷

17世紀以降、大学に図書館が設置されて以来、図書の選択について様々な見解が出された。その変遷をかいつまんで紹介したい。

  1. 教養中心説
    イギリス図書館界の指導的立場であったエドワーズが図書館法の制定にあたり、「紳士は古典・哲学書・宗教書を読み、素養を身につけるべきだ」という主張のもと、教養書を中心とした選択基準が示された。
  2. 社会需要説
    イギリスのマッコルヴィンは、図書館そのものが社会の必要性によって生み出されたものである以上、図書館の蔵書は社会の需要に基づいて構成されるべきだとし、図書選択に当たっても各図書は社会の需要に供給うするという感覚で評価する必要があるとした。
  3. 文化機能論
    アメリカのバトラーは「図書は民族の記憶を保存する社会機構の一つで、図書館は生活する個人の意識にこれを伝達する社会施設の一つである」と主張した。このの思想は現在でも世界の図書館界の主流を占めている。バトラーは図書館とは人類の獲得してきた知識を収集保管しておき、これを必要とする人にはだれという区別なしに提供する社会的機関だとするわけであるが、図書館は一人ひとりの生活、人間向上、社会的進歩などを考慮し、究極的には人類の反映につながるような内容の本を選ぶべきだとした。

2 学校図書館における図書選択

学校図書館は、学校教育の効果を最大限に高めるよう、学校教育を援助・充実せしめるように機能しなければならない。その役割から引き出される選択基準は、”その図書は自校の教育に役立つかどうか”である。当然教育的色彩が強い選択基準になり、ほとんどの図書を教育課程の展開と生徒の人間的成長に資する立場で選ぶことになる。各教科の参考文献、また名作と呼ばれる本や参考図書を備える必要がある。またその選択に当たっては教員はもとより、生徒や父母の要求にも応えていかなくてはならない。

全国学校図書館協議会は1988年に「図書選定基準」をまとめている。その中では、教科の参考文献、名作にとどまらず、科学的な正しさ、論理的展開、資料の適切さ、異見・異説の紹介、原拠が示されているかどうかにまで踏み込んで基準を示している。また内容だけでなく、適切な表現や構成、造本・印刷の点も考慮に入れることを提唱している。

3 これから求められる図書の選択について

戦後学校図書館法が成立した後も、図書館は学校の隅に追いやられ、本好きな子供のみを対象とした本の保管場所という地位に位置づけられていた。しかし1998年に文科省より、小学校の学習指導要領の中で、「自ら課題を見付け、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する資質や能力を育てること。学び方やものの考え方を身に付け、問題の解決や探求活動に主体的、創造的に取り組む態度を育て、自己の生き方を考えることができるようにすること」という方針が出された。これは初等・中等教育全体に示された考え方で、学校図書館を「利用」することから、「活用」することへの転換が表されていると考えることが出来る。これまで教科の範囲外で、読書の大切さや、読書感想文の指導がなされてきた。しかしこれからは教科の中で、生徒が問題解決能力を向上させていくための積極的な図書館活用が求められている。そのためには図書の選択についても、教科書の巻末に挙げられているような文学歴史作品を中心とした既存の「名作」だけでなく、様々な教科の教員が選定に加わり、その学校に応じた本の選択基準の考え方を共有していかねばならない。

4 私自身の図書選択基準

昨年度の末、私が職員会議に提出した図書選択に当たっての見解の一部を抜粋して紹介したい。進学校の高校を対象としているが、ほとんどの高校において通用する考え方と選択図書を示したつもりである。

これから学問の世界を目指していく段階にあり、進路等で悩みを抱えている高校生の耳目を広く開かせていくような本を生徒に提供していきたいと考える。文学作品だけでなく、人文系・社会系・自然系分野において、教科の範囲から一歩踏み込んでいく生徒の関心をつかむような大学1年生レベルの入門書の充実が望まれる。また大学入試(とりわけ小論文対策)も視野に入れ、ブックレットのような使いやすい資料も必要であると考える。私見として、社会系・自然系分野の本が少ないと思われる。法学、日韓問題、人権問題、情報分野、遺伝子や臓器移植関連の本、物理・化学・生物学・地学の基礎的参考書、哲学、現代思想、英語の原文などの本を揃えていきたい。

  • 岩波書店刊行「岩波ジュニア新書」(全250冊程)「岩波科学ライブラリー」(全83冊)、現代書館刊行「フォービギナーズシリーズ」(全90冊)〔注1〕「フォービギナーズサイエンス」(全7冊)講談社刊行「なっとくシリーズ」(全26冊)〔注2〕「ゼロから学ぶシリーズ」(全4冊)については過去に遡って購入できるものはすべて購入する。また今後逐次刊行され次第購入する。
  • 講談社刊行「ブルーバックス」、岩波書店刊行「岩波ブックレット」について過去3年間で手に入るものは購入する。また今後刊行され次第購入する。
  • 講談社刊行「現代新書」岩波書店刊行「岩波新書」は過去1年間に遡って購入できるものはすべて購入するまた今後刊行され次第逐次購入する。
  • NHK出版刊行「宇宙〜未来への大紀行」(全4冊)購入する。また今後NHK出版刊行の大型企画の本は逐次購入予定。
  • 自由国民社刊行「現代用語の基礎知識」集英社刊行「イミダス」朝日新聞社刊行「知恵蔵」文芸春秋社刊行「日本の論点」等の年次刊行物については既に刊行されている最新版より今後逐次購入する。
  • 文学・歴史への興味・関心を持たせるために、漫画の類いは検討の上、購入していく。今年度予算においては、横山光輝作「三国志」(潮出版社全60冊)、「史記」(小学館全15冊)、大和和紀「あさきゆめみし」(講談社全13冊)を購入する。

参考文献:前園主計[ほか]『図書館資料論』(東京書籍 1983)
黒沢浩編・著『新・学校図書館入門』(草土文化 2001)