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「渋谷署に抗議デモ隊」

本日の東京新聞朝刊に、渋谷署員によるクルド人男性への威圧的な職務質問に対する抗議デモの様子が報じられていた。
クルド人は「国を持たない世界最大の民族」とも呼ばれ、およそ4500万人近い人たちがトルコやイラク、イラン、シリアなどで生活を強いられている。もともとはオスマン帝国下の中東で暮らしていたのだが、第一次世界大戦中にイギリスとフランス、ロシアの間で結ばれたオスマン帝国分割協定によって、生活の場が人為的な国境によって分断されてしまった経緯がある。

現在、日本国内には2000人以上のクルド人がいるとも言われているが、その内の半数以上は埼玉県南部の川口市と蕨市周辺一帯(クルディスタンをもじり「ワラビスタン」とも言われている)に居住し、国内最大のクルド人コミュニティを形成している。東京の話ではなく、埼玉県民にとっても切実な話である。

ちょうど米国でも70を超える都市で黒人差別に対する抗議のデモが広がっているという報道があるが、この事件も個人的な事件としてではなく、日本国内に蔓延する人種差別に起因するものと考えていく必要があると思う。日本も外国人労働者なくしては農業や工業、サービス業が回らない現状がある。外国籍の人たちとの分け隔てのない共生に向けた具体的な方法論について考えていきたい。

『救出』

木暮正夫『救出:日本・トルコ友情のドラマ』(アリス館 2003)を読む。
1890年に和歌山県串本の熊野灘で座礁したトルコのエルトゥールル号の救出劇を描いた絵本である。小学生向けなのだが、それにしても淡々と事実を描写するだけで、物語として駄作の一言だけ。

ぼろぼろの軍艦ではるか日本まで航海せざるを得なかった背景に、ロシアとの軋轢で弱体化しつつあるオスマン帝国の国情が伺えて、歴史の一面という意味では面白かった。

『美味づくし』

新藤朝陽『美味づくし』(双葉文庫 2016)を半分ほど読む。ワンパターンなエロスシーンの繰り返しに食傷気味となった。

『「作家の値うち」の使い方』

福田和也『「作家の値うち」の使い方』(飛鳥新社 2000)を読む。
著者の上梓した小説ミシュランガイドの『作家の値うち』の反響に対する文章や講演、インタビューなどの後日談が収録されている。

『作家〜』はあまり面白くなかったが、こちらの解説本の方が著者の文学のあり方について分かりやすく述べられていて面白かった。

まず福田氏は、『作家〜』に収録された700冊あまりの小説の価値を判断する基準として次のように述べる。

やっぱりバルザック、スタンダール、ディケンズあたりに成立して、せいぜいフロベールまでが継承した”近代社会の中の、相互了解が困難な人間関係の中に起きる大きなうねり”が基本なんです。

そして、とりわけ売れなくても良しとする風潮に甘え、切磋琢磨することの少ない純文学については手厳しい。

(前略)その他の人々の純文学に関わる問いのすべてが、結局は安全地帯の中でしか行われていないように思われるのは、そうした根本的な問いがもたらすはずの過剰なもの、あるいは自己破壊的なスリルがまったくないからである。自らを成立させている基盤まで掘り崩していく問いの過激さは、作品においてきわめて明らかな過剰さを生み出すはずであるのに(後略)

最後に著者は次のように述べる。妙に納得してしまった。

これはよく云われることですけど、『ノルウェイの森』は要するに、漱石の『こゝろ』と同じで、近代文学の三点セット、すなわち「三角関係」と「自殺」と「孤独」という問題を、全部含んでいて、そういう意味では、非常に古典的な、しっかりした近代小説になっている。村上春樹の場合は、小説の構造自体は近代的なんです。

「ダム 全国容量2倍に」

本日の東京新聞朝刊に、全国のダムで大雨予想の3日前から放流し続ければ、雨を堰き止めるダムの容量が全体で2倍になるとの試算を政府がまとめたとの記事が掲載されていた。

記事では触れていなかったが、2年前の西日本豪雨で、愛媛県西予市の野村ダムが満水に近づき、肱川への緊急放流の直後に下流の同市野村地区の650戸が浸水し、5人が死亡するという「事件」が発生した。ダムを管轄する国土交通省は、「予測を上回る雨だった。規則に基づいて適切に運用した」と繰り返すだけで、急な放流による「人災」を否定した。

確かにダム行政は、治水ダムを管理する国土交通省だけでなく、利水ダムは農林水産省や経済産業省が押さえているし、それに気象庁や民間業者、さらに国と県と市町村の管轄が入り混じっていて、外からみても非常にややこしい。しかし、この程度の試算はデータさえあれば、小学生でも出来るものである。皆さんもそう思いませんか。記事を読んでいて、私は一人で憤慨してました。結局は縦割り行政の弊害で、そこで暮らす住民の安否が二の次にされてしまう事態が繰り返されている。

こうした災害によって露呈する政治の貧困についても、原発問題や震災被害と合わせて、3学期の授業の中で触れていきたいと思う。