日別アーカイブ: 2017年8月22日

『市民が選んださいたま百景』

さいたま百景選定市民委員会編『市民が選んださいたま百景』(さきたま出版会 2010)をぱらぱらと読む。
地形、川、風土、四季、歴史、祝祭、ランドマーク、道、現代都市、パノラマの10のテーマから、さいたま市内の100の景観写真が収められている。旧市に配慮したのか、大宮市、浦和市、与野市、岩槻市から満遍なく選出されている。

 


さいたま百景選定市民委員会

『歩いて楽しむ 江戸東京旧街道めぐり』

岩垣顕『歩いて楽しむ 江戸東京旧街道めぐり』(街と暮らし社 2005)をぱらぱらと読む。
東京都区内にあった東海道、中原街道、大山街道、甲州街道、中山道、川越街道、岩槻街道、日光街道の8つの旧街道で、国道や主要道から外れてしまった街道の痕跡を訪ねるというのんびりとした企画の本である。そうした旧街道には、寺社や道標、地蔵が点在し、通りには古い商家などの往時の佇まいを残っている。車優先で通行人には冷たい現在の国道と違って、温かみのある風景が広がっている。

『忠敬と伊能図』

伊能忠敬研究会編『忠敬と伊能図』(現代書館 1998)をぱらぱらと読む。
忠敬が作製した3万6千分の1の地図大図、21万6千分の1の中図、43万2千分の1の小図の3種類の測量地図が紹介されている。また、彼が用いた「量程車」や「渾天儀」「折衷尺」などの測量器具の写真もあって楽しむことができた。彼の作成する地図は、測量に基づく正しい縮尺を元に、山脈の襞や地名などが手書きで書き加えられ、デジタルとアナログの融合のような美しさすら感じる。

『わが心のスペイン』

 【パリ=渡辺泰之】スペイン北東部バルセロナ中心部の繁華街で十七日午後五時(日本時間十八日午前零時)ごろ、ワゴン車が群衆に突っ込んだ事件で、AFP通信などによると、計十三人が死亡、百人以上が負傷した。捜査当局は十七日夜、テロ関連容疑で二人の男を拘束。過激派組織「イスラム国」(IS)の系列メディアは「攻撃を実行したのはIS戦士だ」と、事実上の犯行声明を発表。スペインのラホイ首相も「イスラム過激派による攻撃」との見方を示した。(東京新聞)

五木寛之『わが心のスペイン:シンポジウム〈スペイン戦争+1930年代』(角川文庫 1973)を読み返す。
高校時代に手に取って以来本棚の奥で眠っていた本である。バルセロナで起きたテロ事件の容疑者がモロッコ出身の過激派組織「イスラム国」(IS)との報道があり、もう一度ページをさらさらと繰っていった。というのも、1936年にスペイン領モロッコにおいて、フランコ将軍などのファシスト将校が決起、これをのろしにスペイン本土各地に軍隊の反乱が起こったのがスペイン内戦の始まりだったからである。

五木氏はスペイン内戦を総括して次のように述べる。現在とは状況が異なるが、「人民戦線政府側」をキリスト教徒、「フランコ側」をイスラム過激派と置き換えた場合、話が何となくであるがつながってしまうのが怖い。

スペイン戦争でフランコ側は、ナチとムッソリーニはもちろん、応援したのは間違いないけれども、それに対して、米英仏は最初はスペイン(人民戦線政府)を応援したわけですね。それが途中で不干渉条約みたいなものを結んで、手を引こうじゃないかということになる。ところが、実際には武器や物資は金を取ってどんどん送り込んでいるし、今度は逆に米資本の石油会社なんかが、フランコ側にどんどん石油を提供したりしている。はっきりと代理戦争という形がここで出ているということが、二十世紀の戦争の非常に大きなパターンになっているだろうと思うのです。当時のスペイン政府の人民戦線側が、国有財産としてスペイン銀行に保管していた、没収した元スペイン王家の金とか、国家の金を全部ソビエトの方に渡してあるわけですね。

その金がどういうふうに動いたか、金のルートをたどっていって、そこからスペイン戦争が、コミュニズムとファシズム、あるいはデモクラシーとアナーキズムという図式的対立ではなくて、非常に大きな世界資本というようなものが、背後に介入していたんだと見るわけです。つまり、人民戦線側に武器を送り、フランコ側にも石油を送るというような形で、アメリカの石油資本が参加したというふうなことがとっても象徴的で、いまのベトナム、カンボジア、ラオスとすぐにつなげて考えられるところから、スペイン戦争というものが、いまの若い連中の関心の的になっているのではないかと思うのです。

『カトマンズ百景』

内田良平写真集『カトマンズ百景』(山と溪谷社 1992)を眺める。
ネパールの首都カトマンズ盆地全域の人物や建物、自然の風景が収められている。
カトマンズは北緯28度で日本の奄美大島の緯度とほぼ同じであるが、平均高度は1331メートルもある。寒いのか暑いのかよく分からないが、ケッペンの気候区分ではCwaに属し、一年を通して過ごしやすい。
ヒンドゥー教とチベット仏教の寺院やら仏像が混在する不思議な町である。またネパールはインド・オーストラリアプレートが北上してユーラシアプレートに沈み込み、海底の堆積物が押し上げられて作られたヒマラヤ山脈に位置する。地震大国なのに、日干し煉瓦に瓦屋根の高層建築が目立つ。素人でも2年前のネパール地震での被害の甚大さが推測される。

日本政府は2015年4月の大地震後、約16.8億円の緊急無償資金協力と、住宅、学校、公共インフラの再建を中心とした総額320億円の復旧・復興支援を行っている。日本の技術が発揮される援助として賛同するが、8000人を超える犠牲者が出る前にもっとできることはなかったのか。原発輸出の前に、世界の最先端を進む地震対策技術こそ、どんどん輸出すべきである。