月別アーカイブ: 2004年4月

『犬婿入り』

1993年に芥川賞を受賞した、多和田葉子『犬婿入り』(講談社 1993)を読む。
犬に足を噛まれてから奇行が目立つようになった太郎と塾講師みつことの奇妙な生活を描いたものだが、脈絡もない話が続くだけで全く面白さが感じられなかった。

『コンセント』

田口ランディ『コンセント』(幻冬舎 2000)を読む。
シャーマン的な能力を持った主人公がひきこもりの末に変死した兄の死の謎を解いていく過程で、この世の現実世界とは別の、人間のあらゆる記憶や感情が詰まった別の世界に迷い込んでしまうというありきたりなオカルト的世界が展開される。ちょうど疲れがたまっている時期で、読みながら何度もうたた寝をしてしまい、夢うつつで読んでいたので、変な感じであった。
筒井康隆の「家族八景、七瀬ふたたび、エディプスの恋人」のテレパス少女の「七瀬3部作」のようなタッチである。作中、主人公が「自問自答する人々は自分に都合の悪いほうへと考えを飛躍させる」と述べているが、自分のことを言われているようではっとしてしまった。

『子どもが子どもだったころ』

毛利子来・橋本治『子どもが子どもだったころ』(集英社 1998)を読む。
毛利氏は、ピアジェの発達心理学が戦後日本の教育界に入ってきて以来、子どもは未熟であるがゆえに大人による指導教育によって成熟していく必要があるという近代義務教育制度の行き過ぎが子どもから子どもの世界を奪ったと指摘する。また、ルソー以来連綿と流れる「子どもの発見」なる動きを警戒する。最近「子どもは無限の可能性を持った存在」だとする向きがあるが、これは「子ども」を尊重するようでいて、かえって人間として差異化し、「大人」の支配の下に置いてしまうのではないかと危惧する。そして「子ども」と「大人」の区別はアイマイにしておいた方がよいと指摘する。

『イノセンス』

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押井守監督アニメ映画『イノセンス』(2004 東宝)を岩井へ観に行った。
前作の『甲殻機動隊』の続編なのだが、前作の内容をすっかり忘れてしまっていたので、主人公の経歴など話の前提がいまいち飲み込めなかった。人間の思考すらも電脳化され、操る身体はいくらでも替えがきいてしまうサイボーグ人間がコンピュータ制御された人形とその存在意義を巡ってやり合うという近未来の世界が話の舞台である。人間の思考そのものがコンピュータの情報に還元されてしまうという設定は古くは手塚治虫の『火の鳥』や、鈴木光司の『バースディ』辺りでもあったが、今後形を変えながら使われ続けるテーマであろう。