東京工芸大学のパンフレット(2013年度版)を読む。
昔神奈川県伊勢原市に住んでいた時、本厚木駅を利用していたので、何となく名前は知ってはいたが、実態がよく分からない大学であった。
歴史は意外に古く、1923年日本初の写真学校として、小西六写真工業(現・コニカミノルタ)社長が創設した小西写真専門学校に源を発する。1926年校名を東京写真専門学校に改称し、1950年東京写真短期大学となる。1966年に本厚木駅からバスで15分ほどの場所に写真工学科と印刷工学科の東京写真大学工学部が開設される。当時、高価な工業製品であったカメラの周辺の技術を学ぶ環境が整備されていき、1973年工業化学科、1974年建築学科、1976年電子工学科を増設し、1977年東京工芸大学に改称している。1994年に短大を改組し写真学科、映像学科、デザイン学科を置く芸術学部を開設している。現在はメディ画像学科、生命環境学科、建築学科、コンピュータ応用学科、電子機械学科の5学科で構成される工学部と、写真学科、映像学科、デザイン学科、インタラクティブメディア学科、アニメーション学科、ゲーム学科、マンガ学科で構成される芸術学部の2学部体制である。2009年より中野キャンパスが全面リニューアルし、2015年より芸術学部の3・4年生が学ぶ予定となっている。
辺鄙な場所にあり、入試倍率も芸術学部ゲーム学科以外1倍をやや越える程度だが、ホームページの基本情報で確認したところ、しっかりと定員は確保されている。やはり写真(画像)を中心に、その周辺の工業技術や芸術などを学ぶというオンリーワンな大学理念が評価されているのだろうか。工学部の就職内定率は90.3%であり、ニコンやペンタックス、キャノンといったカメラメーカーへの就職は強い。芸術学部の就職率は61.9%ということであるが、中身はほぼ専門学校である。
「大学短大専門学校案内」カテゴリーアーカイブ
大学案内研究:東京理科大学
東京理科大学のパンフレット(2014年度版)を読む。
1881年東京帝大出身の理学士が立ち上げた東京物理学講習所が母体となっており、2011年に創立130周年を迎えた伝統ある学校である。夏目漱石の小説「坊ちゃん」の主人公の出身校ともなっている。1949年に理学部のみの単科大学としてスタートを切り、1960年薬学部を新設、1962年工学部、1967年に理工学部と高度経済成長に歩調を合わせる形で理工系総合大学へと発展している。1987年には1年次に長万部で過ごす基礎工学部が開設され、さらに、同年東京理科大学山口短期大学、1990年東京理科大学諏訪短期大学を開学している。1993年にはバブル景気で浮かれてしまったのか、埼玉県久喜市に経営学部を増設している。
現在では8学部33学科、11研究科31専攻を擁する、一学年4000人弱の日本で一番大きな理工系大学となっている。学部卒業生の約3割が理科大の大学院に進学するため、大学院だけで2500名の学生が在籍している。
2013年には理学部と工学部の一部の学科と基礎工学部と経営学部の2年次以降が学ぶ葛飾キャンパスが開設されている。
東京の理学部・工学部と千葉県野田市の理工学部で住み分けがあるのかと思ったが、理工学部にだけ応用生物科学と土木工学科があるだけで、ほとんど内容は同じである。一つの大学ではあるが、似たような2つの大学があると考えた方が分かりやすい。
経営学部は東京理科大学という看板があるので、定員割れはしていないが、成功しているとは言い難い。実質経営学部だけの単科大学であり、取り立てて特徴もなく、久喜駅からスクールバスで10分という不便な場所にある。大学側は葛飾キャンパスに全面移転を申し入れたのだが、久喜市の方で待ったがかかってしまい、2016年より1年次だけ久喜キャンパスという中途半端な形で落とし所が決まってしまった。理工系の学部増設は軒並み成功したが、この経営学部だけが完全にお荷物の状態となってしまっている。
1学科1ページ構成で、カリキュラム表と研究室一覧が延々と続く総合パンフレットだったので、卒読しただけであるが、研究に没頭する大学の雰囲気というか、学生気質というか、イメージ戦略はよく伝わってきた。
大学案内研究:津田塾大学
津田塾大学のパンフレット(2014年度版)を読む。
大学の沿革が日本史の資料集のような内容で、明治の夜明け前から、昭和の初めまでの60数年を駆け抜けた創立者津田梅子の生涯が歴史の流れと合わせて語られている。津田梅子さんは、1871年満6歳で親元を離れ、日本で初めての女子留学生として、岩倉具視と一緒にアメリカに旅立っている。また2度目の留学では、ヘレン・ケラーを訪ね、ナイチンゲールとも会見をしている。そして1900年に麹町区一番町(現・東京千代田区)に女子英学塾を開校している。1931年に小平市に移転し、1948年に英文科のみの単科大学として出発する。1949年に数学科、1969年に私立大学初の国際関係学科が置かれ、2006年には情報数理科学科を改組して、情報科学科が開設されている。小平という都心から離れた不便な場所にあるにも関わらず、全国から学生が集まり、全学科において倍率も3倍弱を保ち、4学科のみの学芸学部1学部という伝統を貫き通している。学科を問わず、外国語教育、少人数教育、国際教育の3つを重視している。
また、2年次より所属学科を完全に離れて、独自のカリキュラムによって学習を進める「多文化・国際協力」と「メディアスタディーズ」の2つの特別コースが用意されている。希望者多数の場合は選考を行うということであるが、テーマがよく練られており面白そうなコースである。
パンフレットも大学も紹介という以上に、学問の面白さや、学ぶ意義について丁寧に述べられている。各学科のページに「言語とは」「国際関係学とは」「数とは」「人とコンピューターは」と、学科そのものの成り立ちにまで踏み込んで、学ぶ意味を伝えようとする思いが伝わってくる。今まで読んだ中で1、2番を争うほどの読みやすく分かりやすく興味をかき立てる内容である。
海外留学や、大学院進学、就職、教職課程、日本語教員養成と、どれをとっても地に足のついた内容となっている。
キャンパス内に寮もあり、近隣のアパートも安いので勉学に専念するにはうってつけの大学であろう。
大学案内研究:聖心女子大学
聖心女子大学のパンフレット(2014年度版)を読む。
都心の一等地である広尾にあり、慶応ボーイとつき合う「お嬢様大学」の象徴のような大学である。マスコミにも強く、アナウンサーも多数輩出している。
1908年に創立されたカトリック教育の聖心女子学院外国人部が母体となっている。1916年に私立聖心女子学院高等専門学校(英文科)が開校し、1948年に外国語外国文学科、国語国文科、歴史社会学科、哲学科の4学科で構成される文学部の単科大学として開学している。1952年には女子大学初の大学院文学研究科が設置されている。
パンフレットを読む限りでは、ボランティア活動や宗教的活動も学生サークルを中心に活発なようだ。聖心学院の姉妹校と呼ばれる学校は、世界30カ国、149校もあり、交換留学の提携先ともなっている。
入試段階で学科枠はなく、1年次は全員が基礎課程で「リベラルアーツ」を学び、2年次より5学科9専攻に進む制度になっている。ICUと似ているが、基礎課程に理系科目はほとんど置かれていないので、教養学部というよりは人文学部の趣が強い。2年次からは、英語英文学、日本語日本文学、史学、人間関係、国際交流、哲学、教育学、初等教育学、心理学の9つの主専攻に加え、他専攻科目や学科の枠を越えた総合科目を学ぶ副専攻制度も設けられている。主専攻については受け入れ可能人数の制限があり、初等教育などは人気が高いのであろうか。
定員465名の小規模な大学ながら、ネームバリューは高い。パンフレットを読む限りでは、特に英語に力を入れるわけでもなく、幅広い科目を並べただけの大学である。しかし、いたずらに栄養学科や看護学科といったニーズの高い学科を増設することなく、創立以来の文系リベラルアーツ教育を維持している点は評価してよいであろう。
大学案内研究:横浜美術大学
横浜美術大学のパンフレット(2014年度版)を読む。
1966年、目黒区碑文谷にある小中高校のトキワ松学園の創立50周年を記念して横浜の郊外に開設された、造形美術科を持つトキワ松学園女子短期大学が母体となっている。ちょうど私の実家の近くに位置しており、トキワ松学園短大の正門前をバーベルを持ちながら走った記憶がある。1995年にトキワ松学園横浜美術短期大学に校名を変更し、2010年に4年制大学に鞍替えしている。
ここ数年は定員を満たしていないものの、交通の不便な場所にありながら、定員の8割位の学生を確保しているというのはすごい。
1年次は、絵画や彫刻のA系、クラフトデザインのC系、ビジュアルデザインのV系のいずれかに所属し、2年次より絵画、彫刻、クラフト、プロダクトデザイン、テキスタイルデザイン、ビジュアルコミュニケーション、映像メディアデザイン、イラストレーションの8つのコースに分かれる。
パンフレットにロンドンパラリンピックでゴールボール日本代表として金メダルを獲得した学生の話が紹介されていた。美術というジャンルは時間や協同に左右される音楽に比べ、障碍者の方にとっても親しみやすいものなのであろう。才能ある者が集まり、切羽詰まったような時間の中で演奏会や展覧会をこなしていく音大や美大も大事であるが、基礎から丁寧に教えてくれ、じっくり作品に向き合う時間を大切にする音大や美大もまた必要であろう。ただし、就職は厳しそうなので、金に余裕がある者という限定は外せそうにないが。
学長との対談記事が掲載されていた横浜美術館の逢坂館長の次の言葉が印象に残った。「美術」という言葉を別の言葉に置き換えても使えそうな文章だ。
生きていく上で、美術が与えてくれる役割は大きい。私は学生のみなさんに、是非このことに気づいて4年間という貴重な時間を過ごしてほしいと願っています。日本は物質的に恵まれた国でありながら、先進国の中で幸せだと感じている人の割合が少ない国だと言われています。そんな中で、自分がどうすれば本当に豊かな生き方ができるのか、足もとから見つめ直そうという若者が増えてきているように感じます。生まれたときから身の回りに物や情報が溢れているが故に、逆に自分の道筋、生き方を見つけにくくなっている。しかし、そういうときにこそ、美術を通して自分のオリジナリティを模索する意義は非常に大きいと思うのです。自分の創造性を育むことは、生きていく上で必ずや糧になる能力だと思います。いい環境に身を置いて、美術を通して自分自身とじっくりと向き合う。横浜で過ごす4年間が、みなさんの将来をより豊かなものにしてくれたらと願っています。