月別アーカイブ: 2011年12月

『少年少女日本文学全集 壷井栄・林芙美子』

『少年少女日本文学全集 壷井栄・林芙美子』(講談社)を読む。
子ども同士の友情や家族の愛情などがテーマの、子ども向けの短い読み物が多数収められている。
壷井さんの『二十四の瞳』は初めて全文読んだ。先生と生徒のまあありきたりな物語であろうと今まで敬遠していた。治安維持法や戦争を通した先生と生徒たちの人生の物語となっている。戦争よりも強い人間の絆という話が、東日本大震災後の現代の話と読むこともでき興味深かった。
壷井さんと、林芙美子さんは家が隣同士だったということを初めて知った。

死刑執行ゼロ 19年ぶり

本日の東京新聞朝刊に、1992年以来19年ぶりに、今年の死刑執行がゼロであったとの記事が掲載されていた。未執行のまま拘置所に収容されている死刑確定囚は129人いるが、今年に入り法相を務めた三人が、執行に必要な大臣命令を出していない。
現法相の平岡法相は「命令しないのにはさまざまな要因がある」と会見で述べている。刑事訴訟法では、死刑判決確定から原則6ヶ月以内に法相が執行命令を出すよう定めている。しかし、民主党政権下での執行は昨年7月、千葉元法相が2人だけ行っただけで、以後2ヶ月兼務した仙谷由人官房長官、7ヶ月在任した江田五月前法相も執行に慎重な態度を見せていた。

私は国家権力のもとでの死刑執行には反対である。「国民主権」の現憲法においては、国民の一人一人が死刑執行に責任を負うことになる。経済格差や地域・家庭の希薄化、情報の濫造が死刑に至るような重大犯罪を誘発するのであって、100%個人の責任に帰することは危険である。私はそうした社会状況が生み出した犯罪に対する刑罰としての死刑に、主権者として賛成できない。また、検察の捏造や冤罪が後を絶たない現状を鑑みても死刑制度そのものを即時廃止すべきである。

しかし、一方、法相の個人的な哲学で死刑執行が延期されるのも問題である。法治国家である以上、行政府は法律に縛られなくてはならない。行政府は法律の定める範囲内で出来るだけ思いやりを持ち、かつ粛々と仕事を行うべきである。それ以上については法律そのものの改正に期するべきである。死刑制度には反対であるが、刑事訴訟法の執行は厳粛に行っていくべきである。また天皇個人の結婚や就任に伴う恩赦も法制度を根幹から揺るがすものである。個人的な見解や行事で法治国家の原則は曲げてはならない。

『人は「話し方」で9割変わる』

福田健『人は「話し方」で9割変わる』(株式会社経済界 2006)を読む。
挨拶のタイミングから始まり、「アイ・コンタクト」の方法や、初対面の人との話のきっかけ、相槌や質問の入れ方、話の返し方、ユーモア会話術など、およそ会話にまつわる全ての要素についてあれこれ述べられている。

有り体にいえば、駅なかの本屋で平積みされているようなビジネスマナーのハウツー本である。しかし、著者の失敗談など具体例も豊富で、この手の本に生じがちな拒否感もなくすんなりと読むことができた。
また、読み進めながら話しかけて気まずい雰囲気が漂ったり、会話のキャチボールが続かずに話しっぱなし聞きっぱなしになったりした自分自身の体験が思い出された。会話というものには、平常心の余裕を持ち、一歩引いた状態で相手のどんな雰囲気や話の内容にも応対していく間合いが大切である。まさに武道でいう所の「後の先」が必要であると感じた。

『風俗体験記』

水本秀一『風俗体験記』(文芸社 2008)を読む。
タイトルの通り、著者が実際に体験した風俗の女性との交流が延々と書き連ねられている。「身長156cm位、年齢22歳位、F子だった。」「二人目がロリ系ギャルを集めたような店で、紹介してもらったA子だった 身長160cm位、年齢23歳位。」「「次にC子と同じA店に在籍しているD子について 身長161cm位で年齢20歳。」との見出し書きが並び、執拗なまでに話した内容や、プレイの内容、女性の印象が語られる。

出版社からして、おそらくは自費出版であろう。Amazonで検索しても何冊か出てくるので、著者も結構費用を負担しているのではないか。しかし、それを差し引いても、ゆめゆめエキサイトするような代物ではなく、ただ著者のマニア的な露悪な趣味の紹介本に過ぎないと断じざるを得ない。風俗についてのノウハウが記されているのではと、最後まで読んだが、結局は時間の無駄となってしまった。