月別アーカイブ: 2014年1月

「ウィ・シャル・オーバーカム」

本日の東京新聞朝刊コラムに、「will」と「shall」の違いに触れながら、1950、60年代に人種差別解消を求めたアメリカ公民権運動のテーマソングともなった「ウィ・シャル・オーバーカム」の曲を歌ったフォーク歌手ビート・シーガーさんが、今月27日に94歳で亡くなったという話が掲載されていた。元々この歌の原曲は、黒人のチャールズ・アルバート・ティンドリー牧師が1901年に発表した霊歌であり「アイ・ウィル・オーバーカム・サムデー」といったそうだ。主語は「私」だけであり、助動詞も「shall」よりも消極的な意味合いの「will」だった。しかし、ある黒人女性の「こっちの方が好き」と言ったのがきっかけで、現在の曲名になったそうだ。
曲を口ずさむと、童謡や地方歌のような生活感と、メッセージの力強さが心の底からわき上がってくるような雰囲気を感じる。革命歌として「K点」越えであろう。ソチゆえに寛大な措置を(ノッさん風で)。

『共喰い』

第146回芥川賞受賞作、田中慎弥『共喰い』(集英社 2012)を読む。
表題作の他、短編『第三紀層の魚』が収録されている。
どちらも作者の生まれ育った山口県下関市を舞台にしている。『共喰い』の方は、作者と同じく昭和63年7月に17歳の誕生日を迎えた高校生が主人公であり、『第三紀層の魚』も、作者と同じく4歳で父親を亡くした少年の心模様がテーマとなっている。
特に、『共喰い』の方は、セックスや暴力をを通した父と息子の水面下の対立が克明に描かれており、古き良き時代の昭和の日活ロマンポルノの脚本を読んでいるような印象深い作品であった。

『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[新編] 叛逆の物語』

7cf64f6e80eb3c06ba5817ede6edd391

わざわざ羽生のイオンまで、『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編] 叛逆の物語(2013 ワーナーブラザース)を観に行った。
最初は変身シーンといい、5人揃っての愛らしい闘いといい、「プリキュアかい!」とツッコミを入れたくなるような内容であった。しかし、そこは制作側の思う壷で、テレビ版と同じく、かわいらしい魔法少女映画から、中盤一転して複雑な物語世界へと変わっていった。
テレビ版の最終話で完結したはずの鹿目まどかの支配するパラダイムが崩れ、魔女であるはずの暁美ほむらの考えるパラダイムへと変わっていく。そして最後はテレビ版の話を使用しながら、鹿目まどかと一緒に居たいという暁美ほむらの欲望が支配する悪魔の理想的な世界が描かれフィナーレを迎える。
途中、うつらうつらとしてしまい、暁美ほむらの世界に変わっていった流れが押さえきれなかったのだが、大体の流れは理解することができた。しかし、テレビ版の世界そのものをひっくり返すという手法については、テレビ版が好きな観客にとっては評価の分かれるところであろう。昔、『リング』や『らせん』で有名な鈴木光司氏の第3作『ループ』を読んだ時のような複雑な感想を抱いた。しかし、あの完成されたテレビ版からよくも今回の映画までつなげられたものだ。脚本家の虚淵玄(うろぶちげん)氏の手腕の高さを改めて実感した。もう一度細かい場面をじーっと観たい映画である。

『自虐の詩』

main_img

地上波で放映された、堤幸彦監督、中谷美紀・阿部寛主演『自虐の詩』(2007 松竹)を観た。
『週刊宝石』で連載されたギャグの4コママンガを映画にしたという冒険的な作品である。
前半がドタバタのコメディタッチな展開であった分だけ、後半のメロドラマが妙にシリアスさが増し、ハッピーエンドで幕を閉じる。
評価の分かれる映画であるが、幸薄い主役を中谷美紀が好演しており、最後まで興味が続く内容であった。
原作の4コママンガの愛読者も楽しめる話だったのではないか。

『女子大生がヤバイ!』

小沢章友『女子大生がヤバイ!』(新潮新書 2009)を読む。
東京近郊の某女子大学で15年にわたって「文章創作」講座を担当する著者が、授業で提出された「小説」を採り上げ、昨今の女子大生の内面と、彼女らを取り巻く社会状況について考察を加えている。特に彼女らに影響の大きい、家族、友人、彼氏、性的妄想、携帯の5つのジャンルに分けられ、上辺だけの友人付き合いや、家族に対する恨み辛み、倒錯した性や暴力願望などをテーマにした小説が次々と紹介され、彼女らの心の闇が次々と明るみに出ていく。
自分の気持ちを共感的に相手に伝えることに長けた女性ならではの感性に感心するばかりであった。