月別アーカイブ: 2004年8月

「ブラインドとしてのオリンピック」

本日の東京新聞夕刊の星野智幸氏の「ブラインドとしてのオリンピック」と題したコラムが興味深かった。
今月に入ってからアテネ五輪の報道がテレビ新聞を賑わせており、「ニッポン」が連呼され、金メダルラッシュによって君が代が何度も流れた。「左翼」的な文脈に乗るならば、「健全」なスポーツを隠れ蓑にして天皇制ナショナリズムが強化されたと書くところだろう。しかし、筆者はそうした安易な議論に異議を差し挟む。なぜなら、本当にナショナリズムが高揚しているのだったら、大会期間中に起きた沖縄米軍ヘリ墜落事故に対して強烈な反米感情が沸騰しているはずであり、政治的なナショナリズムとスポーツにおける愛国感情とは一体のものではないという証明になっていると述べる。

オリンピックはナショナリズムを煽り立てはしない、と私は思う。ただひたすら、見る者を高級な非日常に「日本」という名前を与え、感動の物語に変える。現実の構造とは切り離された、気分の上だけの淡い愛国感情と一体感が、現実を見ないことを正当化する。むしろ、今の日本はナショナリズムに対して免疫がないと思う。五輪で目を逸らしているうちに無意識に蓄積された鬱屈が、いざ現実を直視させられたとき、非常に安直な形のナショナリズムとして爆発することを私は恐れている。

『スチームボーイ』

steamboy_movie

大友克洋監督アニメ『スチームボーイ』(2004 東宝)を観に行った。
産業革命勃興期にいち早く工業化を果たし、「世界の工場」の座に着いたの19世紀のイギリス、ロンドンが舞台である。スティーブンソンによる蒸気機関車の発明によりアジア・アフリカの植民地化が加速化し、「科学」やら「国家」「文明」なるものに振り回され、第一次世界大戦によって破壊されていくヨーロッパの雰囲気をうまくどたばた調に描いている。国家を独占資本企業が支配していく帝国主義の発達の萌芽をロンドン万国博覧会に織り交ぜながら、ロバート・オーウェンが指摘したような工場労働者の過酷な労働環境の改善を訴える人物や、二枚舌外交を演じたロスチャイルド家のマーク・サイクスに似たような人物までも出てきて、時代考証はびっくりするくらい丁寧に出来ている。しかし芸術のような絵、壮大な音楽に比して、人形のような登場人物が舞台設定に対してあまりに緊迫感のないセリフを口にする。また物語世界の中では数週間ちかくの時間が経っているはずなのに、人物像の描き込みが少ないため、その時間の流れが感じられず、薄っぺらな内容になってしまっている。また宮崎駿の『天空の城ラピュタ』を彷彿させるようなシーンやセリフが多かったのも興ざめだ。部分部分のアクションシーンなどはアニメとCGの合成により迫力満点なのに、完璧を求めすぎたのか、全体の流れが淀んでしまったような内容になってしまったのは残念だ。

□ 映画『スチームボーイ』公式サイト ::STEAMBOY:: □

『星の王子さま』

サン・テグジュペリ『星の王子さま』(岩波少年文庫 1953)を読む。
星を旅する王子さまと飛行機故障のため砂漠に往生する私の何気ない会話や思い出話で話が進行していくほのぼのとした作品である。しかし、物事を常識や経験でのみ捉えようとし、素直にものを見、関係を結ぼうとしない大人のつまらなさを逆説的に導き出していく高度な絵本となっている。

『サムライカード、世界へ』

湯谷昇羊『サムライカード、世界へ』(文春新書 2002)を読む。
日本生まれの純国産クレジットカードであるJCBのここ20年近くの独自海外路線を追ったルポルタージュである。ちょうど高度成長期における日本のメーカーの海外進出奮闘記を思わせ、NHKの『プロジェクトX』を観ているような展開である。VISAやマスター、アメックスといったアメリカ系の大手カード会社に対して、日本人のサービス精神を生かしたきめ細かいサービスで対抗しようとするJCBの路線は、アジアを中心に着実に受け入れられ、今や世界の4大カード会社に成長しつつある。現在JCBは国内よりも中国市場にシフトを移しつつあるが、中国での顧客獲得のいかんによっては世界一のカード会社をうかがえそうな勢いである。

『知的創造のヒント』

外山滋比古『知的創造のヒント』(講談社現代新書 1977)を読む。
文章の構成から、今度は着想に関する本を何冊か読もうと思うが、この外山氏の文章はいささか古いせいもあり興味を引くような箇所はなかった。一部日本人論を扱った項があり、そのなかのオリンピックに関する話が興味深かった。当時はモントリオール大会であろうか。世間を重んじる日本人の意識というのは、今回のアテネ大会においてもまだまだ残っているようだ。

オリンピックで日本選手の成績がパッとしないというので、よく強化策が問題になるが、いちばんいけないのは日の丸をもってかけつける応援である。できない相談なのは分かりきっているが、オリンピック選手以外の日本人は行かないように、選手も自分の出場する試合以外のところへは顔をださないようにすれば、選手はリラックスしてもてる力を存分に発揮することができるだろう。なまじ知った人間がいるために、知らなくても日本人の応援があるために、勝たなくてはと固くなって逆に負けてしまう。日本人にはこの「手前」の思惑がことにいけないようだ。