月別アーカイブ: 2000年6月

『マルチ速学術入門』

昨日、栗山実『マルチ速学術入門―英単語速習法から受験対策まで』(ダイヤモンド社 1987)を読んだ。
勉強したら散歩することで記憶が高まるという点に賛同した。記憶の定着を図るには復習が大切だ。しかし演習問題を行ってすぐに復習してもあまり効果はない。しかし時間を置きすぎても効果は半減してしまう。一番よいのは勉強で疲れたら勉強とまったく関係ないことー特に運動ーを行うことでストレスが発散され、そしてその運動後に復習を行うことでより一番良い記憶定着のリズムが得られるということだ。

『技術と文明の歴史』

星野芳郎『技術と文明の歴史』(岩波ジュニア新書 2000)を読んだ。
岩波ジュニア新書を最近とみに愛読している。すでに家に30冊くらいたまってきた。入門書として簡単に読め、しかも内容がしっかりしているので大人が読んでも得るものは大きい。

『隗より始めよ』

本日、内橋克人『隗より始めよ:日本企業生存条件』(光文社 1993)を読んだ。
今年中に90年代の思想・文学・経済・政治について振り返ってみたいという思いからであったが、あまりにつまらない。内橋氏は最近NHKの番組の解説などやっている。しかし番組でもそうであるが、何かしら「現実感のない具体的提言」というものが彼の持ち味なのであろうか。新自由主義に共鳴する左派の言説といった雰囲気だ。しかし時代は「規制緩和とセーフティネット」が合言葉の「グローバル社会」である。内橋氏の議論に違和感を感じる私の方が古いのであろうか。

最近「IT革命」「IT産業」といった用語がさも定着したかのようにマスコミは報道する。しかし、それらはバブル後の不景気の谷の議論と似ている。振り返ってみればバブル後の景気後退の谷は99年の4月ということになっているが、IT何やらも誰が広めたというものではなく、気付いてみたら定着していたといった風だ。
95年以降特に、政治・経済・社会のあらゆる問題の展開のスピードが上がり、気付いたら転換点が過ぎていたということが多くなった。少年法・教育問題、安保、危機管理、選挙制度、NPO、介護保険とどれも気付いたら議論のピークを過ぎてしまっている。これは新聞をあまり読まなくなった私個人の問題か。それとも連立政権ゆえの政治の密室化が原因か。それともネット社会に遅れをとっているマスコミ側の問題か。
今年一年、じっくりと90年代、ひいては80年代の中曽根以降の臨調・臨教審路線の軌跡を検証していく必要があろう。

非公認『お引越し』ファンクラブ

『お引越し』勝手にファンクラブ(建設中)

このページは1993年公開の映画『お引越し』(相米慎二監督)について語るページです。
私が今まで見た映画の中で一番思い出深い作品である『お引っ越し』について文学的考察を加えていく予定です。

はじめに
私が初めて『お引っ越し』を見たのは94年の3月でした。場所は池袋にあった文芸座という映画館でした。当時、『はるかノスタルジー』というこれまたマイナーな映画との二本立てでした。当初は私はこの『はるか~』を見るのが目的でした。この『はるか~』は大林宣彦監督の作品で、音楽に久石譲という作曲家の「MyLostCity」という私のお気に入りの曲が使われていたので、半ばそれを聴きに出かけたのでした。また『はるか~』の原作は山中恒という反戦の児童文学者だったということもありました。

しかし、私が見終わった後、印象に残ったのは断然『お引っ越し』の方でした。映画館で見た際にはあまり感動はなかったのですが、映画館を出て日常の生活に戻ってから一週間くらい経ってからじわじわと感動が込み上げてきました。この時味わった感動はこれまでの映画・文学からは得られなかった特別な感動でした。当時大学入試が終わり入学式までのほがらかな気分の時に見たせいもあるかもしれない。しかしそれから数ヶ月『お引っ越し』のラストシーンでの主人公の真摯な姿と琵琶湖祭りでの炎と深夜の山の緑が、その後私の脳裏にフラッシュバックして私を捕らえて離さないことが続いた。

その感動の大きさは、ちょうど高校一年生の時に深夜のフジテレビで見た「コヤニスカッチェ」という映像叙情詩とも評される映画を見た後の感動と比肩するものであった。私は高校時代、映画関係の仕事につきたいと思って、学校サボって映画専門学校の文化祭に出かけては映画を見ていた。といっても当時は映画館に通うお金もなかったので、ひたすらテレビの深夜のB級映画を録画しては食い入るように見ていた。ちょうどその時に「コヤニスカッチェ」と出会い、私はその映画にインスパイヤーされる形でビデオ作品を作った……。しかしこれが自分で自分が嫌になるくらい失敗に終わり、以後私の心にトラウマとして残ることになった。このことは私の高校時代の親しい友人にも話しておらず、私の心の奥底に今でも封印してある。当時16歳だった私の心に深く突き刺さり、今でも私の性格・人間観・社会観に大きなくさびを残している。私のものの考え方の根幹に自分でも意識しない歪みがあることを私は友人からの指摘や雑誌などの性格判断などで知ることが出来る。

閑話休題、『お引っ越し』と出会った後、私は早くビデオ化されることを待ち望んだ。足繁くビデオレンタル屋に通い、「一言コーナー」などにしつこく「入荷したら即連絡ください」と要求を出し続けた。主役の田畑智子の凛とした目つきが時折私の脳裏を支配した。確か、94年の7月頃にやっとのことでビデオ化され、私は早速1泊2日の料金にもかかわらすレンタルし、幸せいっぱいで家のビデオデッキに向かった。ビデオ化されたそのパッケージには毎日映画賞受賞作品「ありがとうと言いたくなる映画」との文句が謳われていた。不思議なことに見終わって私の心象風景の中に同じ感動がまたやって来た。ちょうどスピルバーグの『未知との遭遇』のように「期待が予想通りに実現した」ような感謝の気持ちを覚えた。

以後私は幾度も『お引っ越し』を借りた。しかしその度に、新しい発見と同じ感動を味わうことになった。この感動の底にあるものを私は確かめたいのだ。それは単に作品理解という文学的限界を超えて、真に自分理解の一助となるものだ。『お引っ越し』という作品はまた私の人生の転換点に位置した作品であった。するならば『お引っ越し』を見て感動する現在の私の心の基底に潜む歪みはまた、16歳以降の私の人生の根底に流れているデラシネ的な視座の解題となるであろう。


とりあえずお暇な方いましたら、ちょっと大きいレンタルビデオ屋に行けば作品がありますので、ぜひ語りましょう。掲示板等用意する予定です。

『ワープロここが不思議』

昨日古瀬幸広「ワープロここが不思議」(講談社BLUE BACKS)を読んだ。
パソコンが爆発的に普及しつつもワープロ専用機はなくならないだろうという見解が述べられていた。結局パソコンの性能が上がったところでワープロと簡単な表計算とメールとインターネットしかやらないのだから、これ以上のパソコンの高性能化は不要だと言える。私も現在95年に買ったカシオのワープロと98年に買ったマックを使っているが、実際これで十分である。