月別アーカイブ: 2019年12月

「沈黙スーチー氏に住民失望」

本日の東京新聞朝刊に、環境破壊のおそれのあるミャンマー北部のミッソンダムをめぐるミャンマー国内の受け止め方に関する記事が掲載されていた。

記事にもあるように、中国は、習近平国家主席が中国、アジア、欧州、アフリカを結ぶ経済構想「一帯一路」を立ち上げて以来、就中インド洋の制覇に力を注いでいる。

今後数十年、人口が増加し市場の拡大が見込まれるのはアフリカである。現在12億人の人口が、2050年には25億人、2100年には44億人に爆発すると予想されている。そのアフリカに投資を続けているのが中国である。

しかし、中国からアフリカは遠い。現在は中国沿岸部から、シンガポールとマレーシア、インドネシアの3国に挟まれたマラッカ海峡を通って、インド洋を横切ってアフリカ東部に行く航路しかない。しかしこの航路はイギリスの息のかかったシンガポールを経由することになり、中国にとってはまことに具合が悪い。

そこで、中国はマラッカ海峡を経ずに直にインド洋に出られるために、中国からミャンマーまで高速道路と貨物鉄道で結び、ミャンマーを親中国に仕立てあげようと融資を拡大している。

ミャンマーは大統領制をとっているのだが、実質はイギリスに留学経験があり、ノーベル平和賞を受賞したアウン・サン・スー・チー国家顧問が内政も外交も握っている。(外国籍の親族を持つものは大統領になれないため)

授業でも少しだけ扱ったのだが、ミャンマー国内には、ちょうど中国が進出を狙っているミャンマー沿岸にあるラカイン州に住む、ロヒンギャの問題を抱えている。現政権は、イスラム教が主流のロヒンギャを隣国のバングラデシュに強制的に移住させようと軍事圧力を加えている。しかし、アジア最貧国レベルのバングラデシュに受け入れる余地はなく、ミャンマー国境沿いで数十万人ものロヒンギャが難民化している。

記事にあるダム建設と同じく、難民問題も中国サイドの圧力が背景にあることは容易に推測できることである。ミャンマーは天然ガスや米くらいしか輸出できない貧しい国なのに、インド洋に面しているという地理的条件のために、政治も経済も歪められてしまうのである。

次年度の授業でも貿易問題については、最新のニュースと統計に基づいて考えていきたい。

「日米貿易協定あす発行」

本日の東京新聞に、今秋締結した日米貿易協定に関する簡単な記事が掲載されていた。来月より、米国産の牛肉や豚肉、チーズなどの関税が大幅に下がる。コメだけはTPP交渉と同様の形で、関税を課すことで国内農家に配慮したものの、それ以外の農産品は海外の安い輸入物との際限ない価格競争に晒されることになる。

一方、日本からの輸出の大半を占める自動車や自動車部品については、関税が廃止されると、米国の自動車メーカーが打撃を受け、労働者の賃金や解雇などの実害が生じるということで、追加の関税こそ免れたものの、廃止の見込みはない。

但し、話はこれで終わらない。今後は保険や医療などさまざまな分野についても、米国企業の参入が声高に要求されることは必至である。古い話だが、1858年の日米修好通商条約でも、日本は不条理な大幅譲歩を迫られた。今回の日米貿易協定でも、米国が決めた「市場開放・透明化」を押しつけ、様々な圧力で妥協を迫るものである。

これからの日本の第一次産業がどのように成長・衰退していくのか、その分岐点が2020年ということになるであろう。

『ニュースの“なぜ?”は世界史に学べ』

茂木誠『ニュースの“なぜ?”は世界史に学べ:日本人が知らない100の疑問』(ソフトバンク新書 2015)を読む。
著者は駿台予備学校世界史科講師を努めながら、他の予備校のネット授業やユーチューブでも授業を配信しており、近年はテレビ出演でも知られている。

ウクライナ紛争に始まり、EUや中東、米国、中国に関するニュースについて、日本人には分かりにくい宗教や民族に関する近現代史を踏まえて分かりやすく解説を加える。特にロシアや中東については、入り混じった宗教や領土について、予備校の授業のように説明されており、大変勉強になった。

一方、中国や米国については、チャート式で分かりやすくまとめてあるのだが、あまりに単純明快過ぎて、却って疑問符が湧いてしまった。大国がそこまで著者の原理原則通りに政治が動いていくのだろうか?

後半はいささか、安倍政権を擁護するような姿勢が目立ち、前半の感動が薄れてしまった。

『JOKER』

久しぶりに、春日部イオンまで映画を観に行った。自分のための映画を観るなんて何ヶ月ぶりであろうか。作品は、トッド・フィリップス脚本・監督、ホアキン・フェニックス主演『JOKER』(2019 米)である。
『バットマン』を観たことがなかったので、純粋にオリジナル・ストーリーとして画面に釘付けとなった。

日本でも最近話題になる「無敵の人(家族や仕事、財産など、失うものが何もないので、犯罪を犯して一般の人を巻き込むことにさほど抵抗を感じない人)」による殺害事件をテーマとしており、米国の分断された社会が露わになる。また、貧困や銃、統合失調症など、一筋縄では片付かない問題も呈され、究極の社会派映画ともなっている。

喜劇や妄想といった二面性のある要素に彩られているので、喜劇を通して米国の抱える格差を訴えた内容だとも、全てが主人公の妄想であったとも言える。こういう趣旨の映画だと断言できない。

『聖母マリア伝承』

中丸明『聖母マリア伝承』(文春新書 1999)をざっと読む。
著者はスペインに関するエッセーや評論を数多く出版している人物で、冷静な立場でキリスト教の聖母マリアに関する伝説やヨーロッパでの受け止め方について論じている。

キリスト教徒ではない者にとって、マリアという存在は三位一体の一角をなすとはいえ、イエスの母というだけで、マイナーな存在である。イエスをウルトラマンに例えるなら、マリアはほとんど物語に登場しないウルトラの母という立場でしかない。

しかし、プロテスタントが「聖母マリア」を認めない一方、ギリシア正教会では聖母マリアを中心に据えたイコンを崇敬するなど、キリスト教界でも論争がある。現在ではマリア論争はキリがないので、棚上げされているようである。

本論からは離れてしまうが、気になったこぼれ話を拾っておきたい。

オーストリアの女帝マリア・テレジアは、ひと腹で16人の子どもを産んでいるが、末娘がかのマリー・アントワネットである。執務に疲れた女帝が「ヨッコラショ」と肘掛け椅子にもたれたその途端、「ドッコイショ」っと椅子の上にマリーがころがり出てきたというエピソードは、あまりにも有名だ。

地中海のマルタ島は、使徒パウロが布教の途上、ローマの官憲に捕えられてローマへ護送される途中、嵐のために難破して、二週間の漂流ののち打ち上げられた島だが、パウロはここで三ヶ月牢屋に入れられ、その間ずっと祈りつづけた。このため、マルタ島はキリスト教徒の聖地になっている。

人間第一号なる者は、アダン(土塊)をこねくりまわして製造されたことから、「アダム」と命名された。(中略)こうして造られたイヴ(エバ)は、「いのち」というほどの意味である。

スペインは闘牛を国技とする国だが、リングをどよめかす「オーレ!」ole!という掛け声は、アラーAlaが転じたものである。