浅田次郎『見知らぬ妻へ』(光文社 1998)を読む。
今年最後の読書は良質な短編集となった。表題作の他7編が収められている。ちょうど作者浅田氏が執筆当時40代後半であり、どの作品も「人生の折り返し地点」に立った40代半ばの中年男性が主人公となっている。社会や家族に流されてしまった現在と、まだ可能性のあった20代の過去の風景が絶妙に入り交じる。短編であるにも関わらず作品にぐっとはまり込んでしまうのは流石である。
今年最後の読書となったが、印象深い作品に出会うことができた。
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『「日本型」の思考法ではもう勝てない』
平尾誠二『「日本型」の思考法ではもう勝てない』(ダイヤモンド社 2001)を読む。
元ラグビー全日本代表、元全日本監督の平尾氏が、監督在任中に、河合隼雄、古田敦也、神戸大学教授金井壽宏の3氏と行った対談がまとめられている。平尾氏というと、伏見工業高校時代に全国制覇した時の中心メンバーである。ちょうど私たち団塊ジュニア世代が小学校の時に爆発的なブームを巻き起こしたドラマ「スクール・ウォーズ」の元になったことでも知られる。
ダイヤモンド社刊行なので、スポーツの解説書ではなく、ラグビー全日本監督として、チームをどのようにまとめ、目標に向かって動かしていくのか、といったリーダー論となっている。野球やソフトボールといった攻守の順番が決められている球技は、監督の指示で動くことが多く、個々の選手が戦局を判断することがない。しかし、サッカーやバスケットボール、ラグビーといった球技は、攻撃と守備が瞬時に入れ替わる。そのため、個々の選手の状況を見る力、判断する力が求められるという。しかし、そうした個人の力はフィールドだけで培われるものではなく、教育や社会全体で、個人の動きを涵養する土壌を作る必要があると述 べる。
『方丈記』
市古貞次校注・鴨長明『方丈記』(岩波文庫 1989)を読む。
冬休みで時間があったので、長らく本棚に眠っていた本を引っ張りだしてきた。近いうちに家の購入を検討している私に、ハッとさせる文章があった。
惣て世の人のすみかを作るならひ、必ずしも事(自分)の為にせず。或いは妻子、眷属(親族)の為に作り、或いは親昵、朋友の為に作る。或いは主君、師匠及び、財宝のためにさへこれを作る。われ今、身の為にむすべり、人の為に作らず。
鴨長明は自身の生活の基本は住処であるとし、その住処を自分以外の人の為に作るというのは、自身のアイデンティティの喪失にもつながりかねないと述べている。たとえ狭くてもボロくても、自分だけの空間を拵えるというのは大切であると感じた。
『姉飼』
第10回日本ホラー小説大賞受賞作、遠藤徹『姉飼』(角川書店 2003)を読む。
表題作の他、3編が収められている。横溝正史作品のような昭和20年代の閉鎖的な田舎の雰囲気と、スプラッター映画のような惨殺なイメージが融合した作品となっている。