学習・学び」カテゴリーアーカイブ

長崎1日目

15年ぶりの長崎
日教組の平和集会の運営委員として、一足早く長崎入り。
12月の寒さだった埼玉と違って暑い!
下の写真の宝雲亭は揚げ餃子と唐揚げの専門店である。ラーメンやチャーハンといったメニューはない。結構飲んだ。

昨日の埼玉教研の感想

★会場となった国立女性教育会館

10月19日、第75次全国教研につながる第36回埼玉教研が開催された。会場となった嵐山町の国立女性教育会館(ヌエック)であるが、内閣府の説明では機能としては現在地に残されるものの、宿泊棟、研修棟、体育施設等は撤去される方向で議論が進んでいる。地元の嵐山町議会では、全会一致で施設の存続意見を提出しており、今後の動向が注目される施設となっている。

さて、開会行事の冒頭、羽田埼玉高教組委員長の挨拶の中で、特別支援学校分校が本校との分離教育を前提としたものであり、本来のインクルーシブ教育とはかけ離れたものになっているとの懸念が表明された。教組の鳥羽教文部長からは、不登校児童生徒が11年連続過去最多となっている学校現場で、「カリキュラム・オーバーロード」により教員も生徒も疲弊している現状が報告された。子どもを主体としたカリキュラムづくりや教育実践の発信、協力・協働による職場環境の充実が求められる。

★「殺伐の 社会に在れど 明日も吾 真実一路 花咲く日まで」

午前中の記念行事では、今年の3月に亡くなられた石川一雄さんへの追悼の意を込め、講演会と一人芝居が行われた。講演会では、部落解放同盟埼玉県連合会書記長の小野寺一規氏を迎え、「狭山事件と狭山闘争〜第4次再審請求に向けて」とのテーマで、狭山事件の解説と、再審請求の難しさについての話があった。

狭山事件とは、今から60年以上前の1963年、埼玉県狭山市で女子高生殺害の疑いで、被差別部落出身の石川さんが逮捕されたことに始まる。その後、警察による自白の強要や証拠品の捏造等によって、浦和地裁では死刑、控訴審でも無期懲役刑が確定し、石川さんはその後1994年まで31年7ヶ月間にわたって拘置所・刑務所で生活することとなる。上告審が棄却された1977年から再審請求が始まるが、第1次、第2次とも棄却、第3次請求は、受理され審理が始まるも、今年3月の石川さんの死去で打ち切りが決定している。

そもそも再審請求の条件として、「無罪を言い渡すべき明らかな証拠をあらたに発見したとき」(刑訴法435条6号)に限られており、60年以上前の事件の証拠集めが困難を極めることは想像に難くない。実際2017~21年に再審請求をしたのは約1160人で、再審開始の決定が出たのは13人。単純計算で1%程度である。

講演の中で、小野寺氏は万年筆の成分や脅迫状の文体・筆跡の齟齬を取り上げ、第4次再審闘争勝利に向けて力強く語られていた。狭山事件は警察の取り調べや冤罪、部落差別、裁判制度など多くの課題が含まれている。人権教育、主権者教育に携わる教員だからこそ、きちんと学習し、生徒へ共有したい問題である。

後半は、埼玉県上尾市で定年まで中学校の教員を務め、埼玉県教組のOBでもある岩崎正芳さんの一人芝居「石蕗の花〜石川一雄・短歌に託して〜」が披露された。石川さんが獄中で言葉を覚えながら詠んだ短歌への思いを、迫力ある動きとセリフで見事に再現されていた。

★活発に行われた分科会

午後は平和教育、人権教育、教科教育、教育条件整備など6つの分科会に分かれ、小中高特支の学校種の壁を超えて教育実践を持ち寄り、活発な議論が行われた。平和教育の分科会では、日中韓の平和教材の実践交流会や1993年から続く「坂戸鶴ヶ島地区原爆絵画展」、毛呂山町・比企地区の戦争遺跡、世界情勢から考える核兵器開発・核抑止論など、多様なレポート報告があり、時間ギリギリまで議論が続いた。取っ付きにくい平和教育へのお祭り的なイベントの是非や、実りある歴史教育に時間を割くことができなくなっている学校現場や教員集団への懸念など、普段の職員室では聞くことのできない話が飛び交った。今回参加できなかった方も、来年の教研で、普段の学校で抱えている腹ふくるる思いをぶつけてみてはいかがでしょうか。

「教育現場に涼風を」

『月刊JTU』2025年10月号の巻頭コラムに、東京大学大学院の本田由紀教授が寄稿されている。今月号は「教育現場に涼風を」と題して、彼女が「これは!」と思ったイベントや講演会でのメモがいくつか紹介されている。

その中の一つに「仕込みが行き届いた官僚作文と、学者の理想主義が結びつくとあぶない。そうして掲げられる方針を、実際に現場で行わされるのはごく普通の人間であり、普通の人間にとっては遂行するのが無理なようなこまごまとした指示や抽象的な理念が、リソースもないままに上から降ってくる」というものがあった。次の学習指導要領の検討状況に関する指摘である。

全く同感である。批判を許さない官僚作文と理想主義こそ、扱いにくいものはない。一人一人の現場の教員の主観や思いを第一にしたい。

鹿島港見学

ホテルを出発して、近くの鹿島港に立ち寄った。
国土交通省関東地方整備局のホームページによると、鹿島港は茨城県鹿島市と神栖市の両市にまたがり、鉄鋼、石油化学、飼料、木材の輸入基地となっている。コンテナは思ったほど多くはなかった。かつては砂丘が広がる地域だったが、高度経済成長の1960年代から建設が始まった人工の掘込港である。港湾の建設と工業団地の建設が同時に進んだため、石油化学コンビナートと鉄鋼コンビナート、飼料コンビナートがきれいに区割りされている。また、海水だけでなく、霞ヶ浦の豊富な淡水も利用できる立地も好まれたとのこと。

2023年度の農林水産省の統計によると、鹿児島・志布志港と北海道・苫小牧港、茨城・鹿島港で日本の飼料の輸入の半分を担っている。

残念なことに、展望台は老朽化のため5年ほど前に利用が休止されており、遊覧船も船体の不具合のため営業を中止していた。さらっと見ただけであるが、人工で作った港の規模の大きさはしっかりと実感できた。

銚子ジオパーク

子どもと一緒に銚子の犬吠埼の灯台と銚子ジオパークミュージアムに出かけた。
灯台の方はたった30m登るだけで立っていられないほどの強風であった。ネットで調べてみたところ、風速15〜17mくらいだったようだ。風速20mや30mの世界がどれほど怖いのか、少し想像が働くようになった。

その後、銚子ジオパークミュージアムに出かけた。子どもは飽きたようで、私一人の見学であったが、私もすぐに飽きてしまった。説明のパネルも少なく、模型物も映像もない学生の発表のような内容であった。