日別アーカイブ: 2017年8月29日

『のんびり 自転車の旅』

バイシクルクラブ編集部『のんびり 自転車の旅:日帰りで行く小さなツーリング』(エイ文庫 2003)を読む。
雑誌「バイシクルクラブ」で連載されていた読者参加型のポタリング企画がまとめられている。林道や東京都心の裏道など、興味を唆る内容であった。自転車旅について、編集部は次のように語る。

自転車の旅は、日本の四季と風景を心から楽しむための、最良の方法である! 自転車ツーリングの醍醐味はこの言葉に尽きます。齢70歳になる某自転車愛好家も「村から村へ、変化のある旅がおもしろい」とおっしゃっていましたが、日本の良い点は、風景がコロコロと変わっていくこと。

都内サイクリング〜第五福竜丸展示館


10時近くなって出発する。南桜井の三井団地の中を抜け、江戸川サイクリグロード右岸を走る。


途中、三郷でスーパーに立ち寄る。確かこの駐輪場のスペースは、学生時代にバイトで「ラッキーマン」というキャラクターのショーをやった場所ではないか? 正月の初売りセールの客寄せで、「努力マン」という着ぐるみを被って、カセットテープに合わせて振りを付け、子どもと握手をするというバイトだったので、鮮明に記憶に残っている。但し、場所となると、20年以上も前なので記憶も定かではない。

 
江戸川右岸を走ったので、そのまま旧江戸川に入る。工事中や未整備のところも多く、回り道をしながら進む。でもそんな寄り道した風景の方が印象に残っている。


写真では分かりにくいが、シンデレラ城とセンターオブジアースが見える。


葛西臨海公園駅のラーメン屋で餃子を食す。


疲れが出始めていたので、せっかくの海もさらっと流す。


湾岸線も工事中だったので、シクロクロスよろしく、あちこち担いで進む。

 

 

 

 
たまたま通りかかった第五福竜丸展示館に立ち寄る。1954年3月1日、マーシャル諸島ビキニ環礁でアメリカがおこなった水爆実験により被ばくした静岡県焼津港所属の遠洋マグロ延縄漁船の第五福竜丸が展示されている。下から見上げるように展示されておりなかなか迫力があった。しかし、第五福竜丸は建造当時はカツオ漁船であり、日本近海での漁を目的とした全長30メートルの木造のちっぽけな船である。1950年代になり、米軍によって規制されていた日本の遠洋漁業が解禁になり、無理くり遠洋仕様に仕立てたのである。失礼な話だが、こんなボロい船で太平洋の真ん中まで航海していたという事実に驚いた。
ひととおり見学した後、他に観客もいなかったので、ボランティアのおばさんにガイドをお願いした。
第五福竜丸に積んであった「原子マグロ」は築地市場の地下に埋められたそうだ。また、米軍より200万ドルの見舞金が出たことで、水爆実験の反対運動も尻すぼみになったとのこと。展示にもあったが、第五福竜丸は、ゴジラと同様に、現在の日本社会で生きていると実感。

 

 
夢の島から、隅田川沿いをうろうろしながら、浅草駅まで走る。スペーシア改めスカイツリーライナーで帰ってきた。車両も新しくなり、自転車を置くスペースも確保されていた。ビール片手に快適なひと時を過ごした。

 

都立 第五福竜丸展示館 Official Site

「ロヒンギャ数千人が国外に ミャンマー 衝突死者100人超す」

本日の東京新聞に、Myanmar(首都は2006年よりYangonからNaypyidaw)の記事が掲載されていた。記事だけでは、Islām教徒の少数民族ロヒンギャ側のテロ行為が活発化しているのか、ミャンマー軍が先鋭化しているのか判別がつかない。

別記事では、Roma法王フランシスコが来月MyanmarとBangladesh(首都Dacca)を訪れ、宗教や民族の違いを超えた融和を呼びかけ、ロヒンギャ問題の解決を促すとあった。Roma法王は先日、Islām国(IS)からテロ予告を受けたばかりである。仏教徒とIslām教徒の衝突にkatholiekの総本山であるRoma法王が間に入るという試みは評価したい。Aung San Suu Kyi国家顧問兼外相の力量では手に余る問題であろう。

 【ヤンゴン=共同】 ミャンマー西部ラカイン州で、イスラム教徒の少数民族ロヒンギャの武装集団が警察や軍の施設を襲った事件に端を発する衝突で、死者は市民を含め百人を超えた。戦闘から逃れようと、ロヒンギャの数千人が隣国バングラデシュに避難するなど混迷が深まっている。

 武装した数百人が八月二十五日未明、同州北部マウンドー周辺で、警察施設や国軍基地を爆弾や刃物で襲撃した。治安当局が反撃して戦闘は市街地に拡大し、住宅や商店、仏教寺院などが焼けた。政府によると、二十七日までに市民十七人が武装集団に殺され、死者は武装集団の八十人と治安要員十二人を合わせ、百九人に達した。

 地元報道によると、衝突拡大を恐れたロヒンギャの女性や子どもらがバングラデシュに逃れようと国境沿いに押し寄せた。既に二千人以上がバングラデシュに入ったが、ミャンマー側で足止めされた人もいる。

 ミャンマー政府は地元の武装組織「アラカン・ロヒンギャ救世軍」(ARSA)の犯行と断定し「テロ行為だ」と非難。ARSAは二十八日の声明で「官制テロからロヒンギャを守る」と追加攻撃を示唆した。

 シンクタンク「国際危機グループ」は二十七日の報告書で「ARSAが国際的なイスラム過激派グループから訓練を受けた兆候がある」と指摘。当局は六月以降、訓練キャンプを摘発し、手製爆弾や銃を押収。報告書は「軍の反撃で避難民が増えれば、過激派がはびこる素地をつくることになるだろう」と強調した。

 マウンドー周辺では昨年十月にも複数の警察施設が武装集団に襲われ、国軍が掃討作戦を実施。その際も多数のロヒンギャがバングラデシュに逃れていた。

<ロヒンギャ> ミャンマー・ラカイン州を中心に暮らすイスラム教徒の少数民族。同国西部には古くからイスラム教徒が居住、19世紀にはインドからも流入した。1970年代後半以降、ミャンマー軍事政権に迫害され、一部はバングラデシュに逃れた。ミャンマーは人口の9割が仏教徒で、政府はロヒンギャを自国民族と認めていない。国連は2月、治安当局がロヒンギャの殺害やレイプに組織的に加担したとする報告書を出した。 (共同)