月別アーカイブ: 2002年2月

メルセデスベンツのCMを見て

ここしばらくテレビでも新聞でも鈴木宗男衆院議員の公共事業を巡る疑惑で持ち切りである。「ムネオハウス」や「鈴木踏切」といったテレビ向きの分かりやすいキーワードと、典型的な温情派土建屋的体質は、マスコミにとっても扱いやすく、叩きやすい対象なのであろう。

現在メルセデスベンツのCMがテレビで放映されている。裸の男がひたすら暗やみを走りぬけるものだ。そして「思想が生み出すもの メルセデスベンツ」というテロップが入る。
メルセデス社はダイムラーとベンツとポルシェという3人の技術者が共同で設立した会社だったはずだ。1930年代ナチスの台頭に合わせ、メルセデス社はナチスに協力的な立場をとるようになった。そのためナチスに反対だったポルシェはイタリアに逃れたということだ。その後メルセデス社はナチスとの癒着を深めていく。ベンツの車体に据え付けられるスリーポイントマークは空・海・陸を制するものとして制定され、メルセデスがヒットラーの御用車を作っていたのは有名な話である。
するならばこのCMのキャッチコピーはいかがなものだろうか。ちなみにメルセデスとはダイムラー博士の娘の名前から取られている。

『都の子』

江國香織のエッセイ集『都の子』(集英社文庫)を3分の1だけ読んでやめた。
本の表紙には「繊細な五感と、幼子のようにみずみずしい感性が、眩しく、切ない」と謳われているが、単なる記号的「差異」に執着する消費者意識をリアルに解説したにすぎない。スイカシェイクが好きだの新宿からのリムジンバスが快適だの、実家の和箪笥に懐かしさを感じるだのと、だらだら話は続いていく。

『テロリストのパラソル』

現在の東京での生活において、花粉症はすっかり季語になってしまった。これからさらにひどくなるのかと思うと憂鬱だ。恥ずかしながら昨日からずっとどこへもでかけず本ばかり読んでいる。「晴耕雨読」ならぬ、「晴耕花粉読」になっている。別に農業を生業にしてはいないが…

直木賞受賞作である藤原伊織『テロリストのパラソル』(講談社)を読む。
先月新宿中央公園で起きた爆発事件との類似が指摘された作品だ。東大全共闘当時の友人関係のもつれが事件の底流を流れていたというものだ。1971年頃の全共闘ブームの終焉と1990年代のバブル経済後の社会がうまく結びつけられていて最後まで読者を飽きさせない工夫がなされている。
しかし作者自身が1948年生まれの東大仏文科卒ということだが、69年当時対する甘酸っぱい郷愁に留まってしまって、単なる見せ場の多い推理小説に終わってしまっているのが残念だ。

『友情』

武者小路実篤『友情』『芳子』『小さき世界』『母としてのわが母』『土地』『ある日の一休』を読む。
男の想像中でどんどん理想化されていく女性とのほのかな出会いを描いた『友情』は、当時は斬新な恋愛小説として読めたのだろうが、「ストーカー規制法が成立した現在においては少し歪んだ見方をされてしまうのであろう。