本日の東京新聞夕刊で、阿刀田高が、スマホなどのIT機器の普及で活字離れが一層酷くなったと嘆いている。作家ならではの読書を通じた知的活動の意義だけでなく、「活字業界」そのもの衰退に警鐘を鳴らしている。
たとえば…スマホでも読書はできる。しかし、これで今までのような読書をする人は少ないし、情報を簡単に、広く、安く入手できることは確かであるけれど(その価値はけっして小さくないけれど)古い読書は、苦労して情報を手に入れるぶんだけ優れた情報への敬意を生み、それを示してくれた人への尊敬も培われる。読書にはこの効能が思いのほか大切なのだ。
ニュース情報も簡単に手に入り、これは時には命を賭けてまでその情報をつかみ報道してくれたジャーナリストへの思慕をないがしろにしてしまう。新聞は売れなくなり、新聞社は優秀なジャーナリストを育てられなくなる。今、日本ではフリーのジャーナリストがいろいろなところでよい仕事をしているが、彼のほとんどが新聞社で修行した人なのだ。新聞の衰退はよきジャーナリストを失う可能性を高くするだろう。
出版界も同様で、これまでは優れた出版社が卓越した編集者を作り、それが世界に冠たる良書の普及を支えてきたのだ。IT機器の普及はよき編集者の誕生を弱体化させ、古典はともかく新しい良書を市場に送りにくくするだろう。しかし私たちは否応なしにそんな曲がり角に立たされているのだ。