月別アーカイブ: 2008年2月

『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?:身近な疑問からはじめる会計学』

山田真哉『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?:身近な疑問からはじめる会計学』(光文社新書 2005)を読む。
タイトルが誰しもが疑問に思いながら深く考えたこともない都市伝説めいていたのでつい手に取ってしまった。さおだけ屋の話は会計学の一端を紹介する冒頭の章段の具体例に過ぎない。他にもどこにでもある住宅街に突如として現れる高級フランス料理店や在庫だらけの自然食品店なども紹介され、商売の巧みさや会計を複眼的に見る視点などを説く。タイトルにはいささか騙された感が拭えないが、会計の面白さが伝わってくる読みやすい本であった。

□ 公認会計士 山田真哉工房 〜『女子大生会計士の事件簿』公式サイト〜 □

「大波小波」

本日の東京新聞夕刊の匿名コラム「大波小波」を興味深く読んだ。短い文章であるが、小論文としてお手本になるような小気味よいくらいの勢いで切り込んだような論理展開だった。

中国製冷凍ギョーザの中毒事件は、低価格を競う無制限な市場競争の制度疲労が現れたと言えよう。百円ショップの棚を見なさい。手間かけた中国製ざるやスリッパが並ぶ。流通経費が入ってこれだから、現地労働者の手取り賃金はいかばかりか。輸入国による植民地的収奪である。
本紙で清水美和論説委員はギョーザ事件について過酷な待遇に抗議する現地労働者の破壊活動説を示唆していた。本来、外国企業が進出したり、生産を委託したりして生じる雇用で現地労働者の生活は向上するはずである。ところが、賃金が上がると、企業は再び安い賃金を求めてよそに行きかねない。企業を引き止める過酷な労働はいつまでも続くことになる。
その賃金競争が日本にも還流して名だたる大企業が国際競争力維持を理由に不法な派遣労働、偽装請負、名だけの管理職といった労働力の買い叩きを行い、ワーキングプアーの土壌を支える。
一九九〇年代以降の国際的な競争政策はこうして内外の労働者に、低賃金をめぐるデスマッチを要求している。初期資本主義に先祖返りしたようなこの競争システムに歯止めをかけないと、安さの代償として深刻な事態が起きる気がする。

なにやらマルクスが『資本論』の冒頭、商品の流通過程から貨幣の流れ、そして労働力の本質を明らかにしていったように、ギョーザ−ギョーザのパッケージに空けられた小さな穴から進入した農薬であるが−という子どもでもつまむことができる小さな商品から、穴が空けられた背景に潜むグローバル資本主義の欠陥が抉り出している。

『22才の別れ』

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幸手市内にある4号沿いのシネコンで大林宣彦監督・筧利夫主演『22才の別れ』(2006 角川)を観た。
かぐや姫の伊勢正三の名曲「22才の別れ」をテーマに、大林宣彦監督がオリジナルで脚本を練り上げた作品である。
団塊の世代に美味しいところを奪われ、新人類である団塊ジュニアが下から迫ってくる1960年生まれの中途半端な世代の悲哀を、40代半ばの主人公を筧利夫がうまく演じている。

久しぶりに映画館で泣いてしまった。
昔、といっても15年くらい前だが、池袋東口の風俗街のど真ん中にあった文芸座という映画館で観た、同じ大林宣彦作品である『はるかノスタルジイ』と非常によく似た話であった。『22才の〜』を観ながら、ちょうど映画の展開と同じように『はるか〜』を観た頃の19歳、20歳の自分を思い出していた。

『売る男、買う女』

酒井あゆみ『売る男、買う女』(新潮社 2006)を読む。
著者の酒井さんは元風俗女でヘルスやソープランド、SM、AVまで経験したノンフィクション作家である。まさに裸と裸の付き合いが迫られる風俗業界の男女の機微を著わした作品が多い。本作ではかなり怪しげな偏見が付きまとう、ゲイや女性を相手にした出張ホストで働く男性へのインタビューを試みる。
女性が男性に体を売ること以上に、男性が体を売るというのは単純に割り切ることが難しい仕事のようだ。ゲイの男性に舐められまくってお尻の穴を掘られたり、女性に金を払わせることに男性としてのプライドが邪魔したり、心身ともに擦り切れてしまうようである。

『14歳の眼がとらえた戦争・狂気の時代』

岡健一『14歳の眼がとらえた戦争・狂気の時代』(光人社 2003)を読む。
ちょうど今週の授業の中で、野坂昭如の『火垂るの墓』を扱ったので、敗戦の直前直後の状況を再確認したいと思い手に取ってみた。おそらくは自費出版の本なのであろう。
1931年に生まれ、藤沢で敗戦を迎えた著者には、都市空襲や帝国軍人としての苛烈な体験はない。しかし、旧制中学では授業はほとんどなく、過酷な勤労動員に明け暮れ、そして、8月15日を境にした価値観の転換や教科書の墨塗りを直に経験している。つまり、物事を確と見据える判断力育たぬまま、勉強や思考を停止され、戦争翼賛体制の中で、いつかは日本は欧米に勝つ、神風が吹く、勤皇の志士を目指せと「大人」から騙されてきた世代である。
そうした著者のわだかまりは8月15日以後、反抗期の気質もあってか、政治家や学校の先生、新聞社への怒りとなる。

この本で一番言いたかったことは、地獄へ逆落としするはずだった鬼畜米英の総大将マッカーサー元帥の名が、やっと復興が始まったばかりの野毛に新設された映画館の名称として横浜市民によって命名されたことです。「逆転の舞台」としてこれほど象徴的な出来事はないと思います。