月別アーカイブ: 2002年9月

東京新聞夕刊より

本日の東京新聞の夕刊に便所の落書き的なコラムが掲載された。意味がとりにくいので全文引用してみたい。

小泉首相の平壌訪問で幕を開けた歴史的な9月17日は、拉致被害者たちの家族にとって新たな怒りと悲しみの日となった。わが子や兄弟の無事を固く信じる家族に北朝鮮赤十字の一枚の紙片がむごい消息を伝えたのである。本紙18日朝刊はこれへの、在日二世でノンフィクション作家金賛汀の言説を載せていた。「結果は悲惨で言葉もないが、植民地時代に強制連行されて亡くなった人、行方不明の人が大勢いる。この過去も併せて考えてもらい、今後二度とこんなことがないよう、正常化のための話し合いを続けてほしい」と。どちらも理不尽なことだが、植民地時代の強制連行と今日の拉致事件の相殺を図るかのようなこの時代錯誤の言説に、説得力があるのだろうか。あの時代の朝鮮は主権を喪失していた。北朝鮮が主権を持ったのは戦後のことであり、そこにあの時代との大きな違いがある。日本人の拉致事件は戦後の主権国家北朝鮮が日本の国家主権を一方的に侵害した日本国民への犯罪行為である。その事実を認めるから金正日氏は謝罪したのではなかったのか。「今後二度とこんなことがないよう」にすべきは北朝鮮である事実を、曖昧にすることは許されない。(怒)

この手の意見は何度も耳にしたものであるが、このような意見が堂々とペンネームで載ってしまう東京新聞社の民度の浅さを痛感した。戦前の朝鮮の主権の喪失という口実は、1910年の日帝による植民地化の過程を明らかにすることですぐに破たんする。また当時の日本の軍隊による強制連行がいかにむごいものであったのか、少しでも勉強すれば上記のような言説は出てこないはずである。このような「時代錯誤」な意見に私たちは何をなすべきなのか。

『iモード事件』

松永真理『iモード事件』(角川書店 2000)を読んだ。
imode誕生までの流れを簡潔に紀伝風にまとめた作品で1時間くらいで読み終えることが出来た。松永さんは一昨年あたり盛んにマスコミにとり上げられ、アジア経済を代表する女性ということで表彰されたこともある。彼女はリクルート社の『とらばーゆ』編集部からドコモへとらばーゆした経緯の持ち主で、そのバイタリティがimodeの開発にも色濃く表れていることが分かる。
昨年より、第3世代世代携帯の販売競争が本格化し、ドコモの”FOMA”の劣勢が伝えられているが、すでに5年前のimode開発の時点で、松永氏は”FOMA”の抱える本体重量・エリア・バッテリーの欠点が携帯普及の大きな阻害点になることを指摘している。なかなかの慧眼だ。

『わが憎しみのイカロス』

五木寛之著短編集『わが憎しみのイカロス』(文春文庫 1977)を読み返す。
五木氏が一度目の断筆宣言(72年4月〜74年9月)をする直前の作品を集めたものであり、内ゲバや学生運動から離れたにも関わらず、会社組織に身の置き場のない青年サラリーマンの悩みがうまく描かれていた。

昨日の休日はあいにくの雨天にも関わらず、中央自動車道をすっ飛ばして、山梨の御坂峠にある天下茶屋へ出掛けた。曇天と雨と濃霧で富士山の御姿は全く見ることが出来なかった。太宰治の「富嶽百景」を真似て、富士でも見てここしばらくの生活を省察しようとする試みはあえなく失敗に終わった。

mac@dentist

今日は歯の治療のため、横浜の外れの実家近くの歯医者に行った。
連休初日の土曜日ということもあってか、春日部から青葉台までバイクで3時間近くかかってしまった。約3年ぶりの歯医者であったが、相変わらず歯を削られるというのは嫌なものである。
ふと周りを見渡すと、診察台に脇にマックが置いてあったのにはびっくりした。歯医者さん用のソフトが入っていて、デジカメで撮影した口内の様子をすぐ画面上で確認することが出来た。家に居ながらデジカメで撮影した歯の様子をネットで送り、診察してもらうという近未来的な時代ももう間近に来ているのだろう。

『男だけの世界』

五木寛之『男だけの世界』(中公文庫 1973)を読み直す。
三十歳を過ぎたばかりの男が仕事の中で悪戦苦闘する話である。高校時代には何気なく読み捨てていた本であったが、この歳になって読むといろいろと考える場面も多かった。1968年から数年を経て、社会全体が情報化、管理化、緻密化していく中で、一匹狼的な人間が「敗北」していく姿をうまく描き出していた。そしてこの「敗北」の姿に、学生運動や労働運動、反戦運動といったものが強固な国家・産業権力によって潰されていった過程が象徴されているようにも感じた。