月別アーカイブ: 2023年7月

『1973年に生まれて』

速水健朗『1973年に生まれて:団塊ジュニア世代の半世紀』(東京書籍 2023)を読む。
久しぶりに新刊を購入し、一気に読み終えた。約210万人いる団塊ジュニア世代の中でも一番多い1973年生まれにフォーカスして、スポーツ選手や芸能人、IT業界の起業家などを取り上げ、さらに我々世代が経験してきた事件やメディアの進化、サブカルなど、ありとあらゆるモノやコトが紹介されている。PC-98やコードレスホン、おたっくす、通信カラオケの目次本など、デジタル化の波でいつの間にか消えていったエピソードが面白かった。
あとがきの一節が印象に残った。

73年世代の生きてきた時代の中で、多くのものがアナログからデジタルへと転換していった。その移行は、単線なものではなく、複線的に進み、いくつもの失敗の繰り返しでもあった。自分の世代が新しい側に乗れたこともあるし、乗り遅れたものもある。

『新哲学入門』

板倉聖宣『新哲学入門:楽しく生きるための考え方』(仮説社 1992)をパラパラと読む。
著者は1953年東京大学教養学部教養学科、科学史科学哲学分科を卒業。1958年東京大学大学院数物系研究科物理学課程博士コースを修了、物理学史の研究によって理学博士となった科学の専門家である。その著者があえて森羅万象を扱う哲学について論じる。

米国の禁酒法や江戸時代の生類憐みの令、毛沢東の文化大革命などは壮大な社会実験であり、その中身は間違ったものであったが、実験を経て人間は賢い方向に進歩してきたと論じる。つまり、自然科学であろうと社会科学であろうと、仮説を立て実験を繰り返すことで学問は進化していくのであり、最初から真実に到達したり、安易な弁証法で真理を得るのは間違いであるとする。

『山と写真 わが青春』

白籏史朗『山と写真 わが青春』(岩波ジュニア新書 1980)をパラパラと読む。
刊行当時47歳の著者が、山岳写真家として食っていけるまでの過去半生が綴られている。1933年生まれということもあり、中学卒業後から働き続ける。山に対する憧れを抱きつつも、スタジオ写真や写真の現像、新聞の写真部など、自分の夢に近づいていかない苛立ちが描かれている。ようやく30代に入ってから少しずつ山の写真を撮る仕事に触れるようになった。著者はそうした長い下積み時代を「青春」と呼ぶ。

「車8社 世界生産8.5%増」

本日の東京新聞朝刊に、2023年度上半期の国内自動車メーカーの生産・販売実績が掲載されていた。海外生産に比べ国内生産台数の少なさが目につく。マツダ(広島)やスバル(群馬)は国内生産が半分以上を占めるが、トヨタで3分の1、日産やホンダに至っては5分の1ほどに留まっている。

国内生産は昨年に比べ大きく伸びている。しかし、円安がこれだけ進行しているにも関わらず、日本の基幹産業である自動車で空洞化が進んでいる実態が伺われる。ダイハツは国内に4拠点(池田・滋賀・京都・大分)、海外に2か国(インドネシア・マレーシア)の工場を抱えている。国内生産は落ち込んでいるが、海外工場出荷分で十分に穴を埋めている。

自動車メーカーの国内外の工場の稼働率は、一人当たりのGNIや為替相場だけでなく、貿易協定や運送費、市場規模など、複雑な要因が絡んでくる。一概に答えがでるものではないが、時間があれば、どこに工場を置いたらよいかという発問をしてみたい。

『日本語が見えると英語も見える』

荒木博之『日本語が見えると英語も見える:新英語教育論』(中公新書 1994)をパラパラと読む。著者は広島大学や立命館大学で英文学や比較文化論を教えていた教授である。本書は著者の専門分野に関するエッセーのような内容であった。「さらさらした雪」「とろとろしたスープ」などのオノマトペが英語に訳しにくい理由や、電話口での「弟と代わりますから」というやりとりが会話主の「I 」もなければ電話相手の「you」すら省略されてしまう事例が紹介されている。日本語の曖昧さというか、日本語の持つ独特な力について論じられている。