■目次
1. 先について
2. 勘について
3. 平常心について
4. 初生の赤子とし
5. 人、人、人、すべては人の質にある
1 はじめに
思い返せば、高校入学の1989年に入門し、進学・就職に伴い、幾度かの休眠・転籍を繰り返した。四段取得から20年、さらに10年以上の武専休学を経て、今回武専修了論文を提出するに至った。人生の大半、少林寺拳法を意識して生活してきたので、少林寺拳法の修行を再考することは、自身の過去半生を省み、これからの指針となることであろう。
2 先について
私が少林寺拳法から学んだ人生のヒントは「先」である。教範の「先」の項では、まず「対の先」が取り上げられ、「相手が技をかけんとして来た場合に、相手の動きを予知して、我もそれに対応して、同時に動作を起し、相手の技が功を奏す以前に勝をとる方法」と説明されている。相手の攻撃は一動作なので、同時に動作を起して先を取るためには、こちらも一動作で反撃していくために、スピードを上げていくことが求められる。しかし、スピードだけでなく、肝心なことは瞬時に展開を予想する力である。
経営者や起業家、ビジネスマンを対象にコーチング研修を行っている藤由達藏氏も、著書の中で、「先」を取ることがビジネスだけでなく、あらゆる局面における成功のコツだと述べる。そして「先」をとったら、すぐに行動に繋げていく「見取り図」が持つことを指南している。
できる人は、常に頭の中にいわば「見取り図」を描いているのです。
「見取り図」には必ず、「現在地」「行程」「目的地」の3つが含まれています。「見取り図」の余白には、別の道に行くための情報も書き込まれています。当初通るべき道がふさがっていた場合、どの道を通ることができるかについても検討できる余地があります。
また、目的地のその先についても考えられるように、その土地に広がっている、そんな「見取り図」です。よく、「ゴールを決めることが大切だ」と言われますが、ゴールを決めただけでは、どう進めばいいかわかりません。ゴールへの道筋も描かれた「見取り図」こそが大事なのです。
教範においては、「先」を取る際に「攻勢転移の余裕を持った、心身ともに整備されたる陣形」が必要であり、「気を満たし、気の先を考えて行動出来るようになることが、あらゆる場合に於ける『先』を制する秘訣」だと説明されている。少林寺拳法における「先」は、行動に繋げていくための心身の整備であり、これは攻防の場面だけでなく、これからの社会生活において必要な心構えである。
2 勘について
プロボクシングの世界で2階級4団体統一王者に輝いた井上尚弥選手は、相手の動きを読む力に優れ、あらゆる攻防のパターンを繰り返しながら、世界ランカーを相手に勝利を上げている。テレビ番組の中で、井上選手は「将棋と同じで、自分がこういう動きをしたら、相手がどう反応してくるか、そこを読んで、対応してきたものに対して、自分がどう対応するか、2手3手先を読みながらパンチを出します」と話している。
この井上選手の言葉から、ボクシングでも単に相手よりも素早く、早いタイミングで動くのではなく、攻防の反復練習の中で「勘」を働かせることが大切なのである。教範の中でも「(攻防の)機会は全く瞬間の現象であるから、考えて決める暇はなく、閃いた時には既に行動していなければならない。そこには一瞬の考慮の余地もなく、全くの勘によるものである」と説明されている。「『勘』を良くし、感度を鋭敏にするには、自ら多くの経験を積み、体験を重ねて自ら体得する以外に方法がない」と数をかけて修練することの大切さが説かれている。
人生やビジネスの世界でも、攻防のチャンスを逃さないこと、様々なシミレーションを繰り返すことで勘を磨くことが成功の近道である。
2 平常心について
現在、テレビ通販ショップジャパンを展開する外資系企業の取締役を務め、少林寺拳法5段位のハリー・A・ヒル氏のコラムを紹介したい。
少林寺拳法の本当の素晴らしさは、単なる護身術である以上に、平常心を養うための精神修養や哲学にあると思っています。どんな場面に遭遇しても平常心を保ち、冷静に判断し、行動する。これはビジネスでも非常に大切です。経営者は日々さまざまな問題を解決していかなければなりません。そんな時にこの教えは非常に役立っています。
教範の「平常心」の項では「すすんで困難に立ち向い、危険に身をさらして、之に慣れると云うことが、平常心を育てる近道であり、これを行える者は、遂に大勇猛心を養って、真の平常心を有する」と説明されている。ハリー氏もこれまで日本になかったビジネスモデルを確立し、ビジネス活動と市民活動の両面においてリーダーを務めている。ここでも「冷静に判断し行動すること」がビジネスの基本であると述べられている。
教範では続けて「平常心」を得るには、「人間は一生に一度しか死なぬものであると云うことを知り、何事によらず、生命がけで取り組み、真剣に立ち向かい、恐れず、迷わず、先ずぶちあたること」が必要だという。これまでののらりくらりとした過去を振り捨てて、気持ち新たに奮い立たせていくことが果たしてできるであろうか。
3 初生の赤子として
誓願の2つ目に「我等一切の既往を精算し、初生の赤子として、真純単一に此の法修行に専念す」とある。これは過去の経験やプライドに囚われすぎると、新しいことが素直に入って来なくなり、成長が止まってしまう。そのため過去に区切りをつけ、謙虚な気持ちで修行をすべきだという教えである。禅行の教えにも、「日々是好日」という言葉がある。これは日々煩悩を捨て去って、今日は昨日との連続ではなく、毎日が新鮮であり、「永遠のような今」であるという、禅宗の悟りを表したものである。
臨済宗の僧侶であり小説家でもある玄侑宗久氏は、人間は成長するにつれて、行動や考え方に偏見や先入観、要らぬ予想などが入ってきてしまい、本当の姿や真理を素直に見ることができなくなってしまうと述べている。そこで、臨済宗・曹洞宗などの禅の修行を通じ、心を無にすることで、自分や他人、社会を素直に見つめるように、自分を高めていくこと(悟り)が肝要だと教えている。
玄侑氏はそうした悟りに近づくために、克服しなければならない煩悩について、次の8つのキーワードでまとめている。私自身の解説を加えながら紹介したい。
- 全体視機能
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」といったように、一部と全体を曲解すること - 還元視機能「重箱の隅をつつく」ように、「木を見て森を見ず」の状態
- 抽象機能
具体的な事物に向き合い「そのもの」を見ずに、言葉で分かったつもりになってしまうこと - 定量機能
複雑な事象を、分かりやすく「多い」「少ない」と数で比較してしまうこと - 因果特定機能
これこれをしたからこうなるはずだと、「物語」化してしまうこと - 二項対立判断機能
複雑な価値判断を「上」「下」、「内」「外」などの一対の概念で、安易に理解しようとすること - 実存認知機能
言葉にできない感覚情報や見地に、安易に現実感や存在感を与えること - 情緒的価値判断機能
これまでの7つ全てに該当することだが、人間の喜怒哀楽や欲望、生きることへの執念といった、人間らしい感情の発露が正しい見方を曇らせてしまうこと
誓願にある「精算すべき一切の既往」について、玄侑氏は上記の8つの観点で説明している。確かに、「全体視機能」や「二項対立判断機能」などは物事の大枠を捉えるには有効である。また、「抽象機能」や「因果特定機能」などは効率的にものごとを詰め込んでいく際の有効な手法である。しかし、そうした分かった気持ちになるだけの安直な理解が、人間の成長という長いスパンでは大きな阻害要因となってしまう。そのことを十分に理解して、「初生の赤子として…」と修行に励んでいきたい。
3 人、人、人、すべては人の質にある
近年、参議院選挙や自民党総裁選でも、外国人への排撃や日本人優位な偏見差別が強くなっている。そうした中、少林寺拳法5段位の林信吾氏が著した『吾輩は【黒帯】である』の中に次の一節がある。
この頃はどういうものか、日本人であることに誇りを持て、だとか、国のためにどうだとか言う人が増えてきているようだが、見当違いなことを吠えるのはやめてもらいたい、と思う。僕は日本人であることに誇りを持っているし、サッカーの試合などで日本が勝てば大感激するが、だからと言って、単に日本人であるという理由だけでもって、外国人と比べてなにか優れているなどとは、考えたこともない。
異なる文化と歴史を背負って生きてきた外国の人達に対して、精神的になにかを与えることのできる日本人になってはじめて、日本人であることに誇りが持てるのであって、その逆ではないだろう。
人、人、人、すべては人の質にある。
少林寺拳法の開祖宗道臣の言葉である。子どもに何を教えるか、ではなく、いわんや、どんな教科書を与えるか、などということでもなく、次の世代を背負う子どもは、どんな人間にならなければいけないのか。真剣に考え直す時期が、今、来ていると思う。
25年前に刊行された本であるが、昨日の新聞に掲載されていたとしても違和感のない文章である。前述した玄侑氏の「還元視機能」にもあるが、一部の外国人や一部の日本人だけをみて、国家レベルの移民政策や労働政策について理解したつもりになってはいけない。林氏も述べているように、「人、人、人、全ては人の質にある」のだ。
教範の中で「法律も軍事も政治の在り方も、イデオロギーや宗教の違いや国の方針だけでなく、その立場に立った人の人格や考え方の如何によって大変な差の出ることを発見した」とある。つまり、個人単位で人を捉え、人を育てることが前提なのである。
ここでもう1冊紹介したい。外国人排斥問題や貧困問題に取り組んでいる雨宮処凛氏は著書の中で、外国人労働者が日本の安全を乱しているとの偏見に対して、移民政策や難民認定の仕組み、アフリカ・南米での暮らしから丁寧に反論を展開している。その中で、埼玉県に暮らすトルコ国籍のクルド人の大学生のアリさんのコメントが印象に残った。
集団に対して偏見を持たないでほしいですね。例えば「日系ブラジル人はこうだ」みたいな。頑張ってる日系ブラジル人はたくさんいるのに、1人でも罪を犯すと全員が罪を犯しているみたいに言われてしまう。クルド人においてもそれが言えるんです。だから、偏見はやめて、一人一人を見てほしい。そしてクルド人とか仮放免者とか、そういう視点で見るんじゃなくて、同じ人間という視点から見てほしいですね。
開祖の指摘する「人、人、人、すべては人の質にある」という言葉には、国籍や民族といった属性で人を判断するのではなく、個人の資質そのものを見極め、付き合っていく社会への希求が含まれている。ますます多文化共生の世界へと移行していく中で、出身地や宗教、容姿、家族構成といった属性に囚われずに、付き合っていく人間関係、社会関係を構築していきたい。
■参考文献
1.藤由達藏『結局、「すぐやる人」がすべてを手に入れる』,青春出版社,2015
2.東京新聞埼玉版夕刊記事「少林寺拳法の魂」,2011年7月11日付
3.初代師家宗道臣『少林寺拳法教範』金剛禅総本山少林寺,1979
4.玄侑宗久『禅的生活』,ちくま新書,2003
5. 林信吾『吾輩は【黒帯】である:日本人拳士ロンドン道場痛快修業記』,小学館,2000
6.雨宮処凛『移民・難民のわたしたち』,河出書房新社,2024




