月別アーカイブ: 2001年7月
『超速読法』『驚くべき速読術』
佐藤泰正『超速読法』(メタローグ)、『驚くべき速読術』(講談社)を読んだ。
普段から意識して行っていることをもったいぶって解説しているだけの代物だった。
『溺れ谷』
松本清張『溺れ谷』(新潮文庫)を読む。
尾崎秀樹の解説が面白かった。有吉佐和子の『複合汚染』や城山三郎、堺屋太一などの小説を「情報小説」と位置づけ、読者の眼を社会へと向けさせていく啓蒙小説という論だ。ちょうど1870年代にそれまでの封建制と対峙する啓蒙小説が広く流布される時代があった。それらに影響された読者が自由民権運動を下支えしていった。この尾崎さんの論は1975年に書かれた古いものだが、何かしら新しさを感じた。
日本の大学はやめなさい』
レイモンド・ヨシテル オータニ『日本の大学はやめなさい』(ほんの木 1990)を読む。
アメリカ型大学を称賛した上で、日本の大学の閉鎖性を論じるという安易な内容であった。
『セックスレス・カップル』
吉廣紀代子『セックスレス・カップル』(NHK出版)を読んだ。
男女の関係の変化が職場や家庭の役割からセックスにまで及んでいるというルポルタージュである。セックスが夫婦・恋人のコミュニケーションだというのは古来からあった観念であるが、特に団塊の世代のフリーセックス論以降、コミュニケーションにおいて重きをおくセックスが「微妙」なものになった点が指摘されていた。個別個別のケースについて検証していくならば、夫婦のセックスなどいたづらな興味本位的なものになってしまいがちである。だが、この『セックスレス〜』では、最後に「セックスレスは何を物語っているのか」の中で12のカップルに共通する点を検証している。休日の遊びの多様化や子供を産み育てることへの不安、男性リード型の行為から男女相互型の行為がもたらす男女の関係の変化などまとめられている。
私はこのセックスレスという状況はもう少し別の角度から論じられるのではないかと思う。それは「ボランティア」との類似である。いわゆる日本的「ボランティア」というものはその中身については100%ピュアな純真なものとされ、その活動を通した人間関係も「きれい」なものであるといった前提認識がある。だからそれに関わるものは「心優しい人」を演じる。人間の心のなかにある拭いがたい差別感情や様々な欲望感情が「ボランティア」という横文字に隠ぺいされ、間違った行動に走ってしまうものが少なからずいる。
セックスレス状況におかれたセックス行為も自由に論じられるようになったにも関わらず、男女の平等な関係形成、愛の結実という名目を背負っている。その狭間で行為自体が「微妙」なものにならざるを得ないのだろう。
最近この「微妙」というタームを使う若者が多いが、大変気になる表現である。「○○系」や「○○っていうか」など物事をはっきり言わないのが現在の日本語の流行であるが、この「微妙」にはもっと深い背景があると考えるが、まだ結論は出ていない。
この文書を書きながら、ラジオで、ジェノバサミット会場付近での「反グローバリズム」を掲げるデモ隊のニュースを報道していた。日本の新聞ではあまり報道されないので、これからネットで調べてみたい。