月別アーカイブ: 2017年9月

『ブレーキのない自転車』

下重暁子『ブレーキのない自転車:私のまっすぐ人生論』(東京堂出版 2012)を読む。
NHKのアナウンサーや民放番組のキャスター、コメンテーターを経た後、幅広いジャンルの物書きとなった著者が、突如「日本自転車振興会」会長として活躍することになった6年間の顛末記である。在任中のオートレースとの合併や伊豆ベロドロームの建設、ガールズケイリンの立ち上げなどの裏話が紹介されている。自転車プロパーの話ではなく、JKAの会長も務めた著者自身の考え方や生き方に関するエッセイであり、女性タレントの本を読んでいるような感じであった。つまらない訳ではないが面白くもない本である。但し、東京ドームの地下に400メートルの競輪のバンクが埋まっているというのは初めて知った。

印象に残った一節を紹介しておきたい。

難しいと思うと、私は、必ず自分から出かけて行って交渉相手と直談判することにしていた。組織なのだから、順番があることはわかっているが、情報が伝わっていない事も多いため、私が直接相手のトップと会って話をした。簡単な事務的なことは別として人と人との交渉は、直接会わなければわからない。会って顔を見、言葉のニュアンスを嗅ぎわけることで理解も進み、うまくいく場合が多い。職員にも私は役所にしろ業界内にしろ、外の人にしろ、メールや電話ですませず大切な事は出かけていって直接顔を見て話すことをいつも言っていた。

政治でも野田佳彦総理と谷垣自民党総裁が国会討論の前に会ったとか会わないとか言っていたが、是非はともかく、会って話すことは全ての基本だ。恋人同士が隣に座ってお互いに会話もせずメールを交換している図など不気味でしかない。

『週末・休日 スポーツ自転車の本』

エイ出版社『週末・休日 スポーツ自転車の本』(エイムック 2002)を読む。
観光地をぐるぐる回ったり、小旅行に出かけたり、主にクロスバイクを中心に、自転車の魅力をおしゃれに紹介するムック本である。
薄手の本ながら、ダウンヒルやフルサスでのアクションライドなど、エイ出版ならではの特集記事が充実していた。

『自転車ぎこぎこ』

伊藤礼『自転車ぎこぎこ』(平凡社 2009)を読む。
著者は小説家・文芸評論家伊藤整を父に持ち、広告代理店勤務を経た後に日本大学芸術学部の教授を務めたである。
そうした華々しい経歴を持つ著者が、65歳の定年間近に自転車にハマり、そこから8年余り東京都心やら房州、笹子峠、渥美半島から知多半島、山陰など、あちこちを駆け回るドタバタ旅行記がまとめられている。
80歳近くになっても、自転車での冒険魂を忘れない著者に共感を感じた。

「ナチスの手口」

本日の東京新聞朝刊に連載されている「本音のコラム」で、山口二郎法政大学教授のコメントが良かった。

安倍首相は9月28日に臨時国会を召集し、冒頭に解散を行うと各紙は伝えている。これはナチスの手口を想起させる。

まず、ナチスの手口をいう流れが、ナチスの手口に酷似しているという。1933年のドイツ国会議事堂放火事件を共産主義者の放火だと喧伝し、翌週の国会選挙で過半数近い議席を得て、全権委任状を成立させ、独裁を始めた。国民に恐怖と憎悪をあおり、思考停止状態に追い込んで選挙を行って勝利するのがナチスの手口である。

もちろん、日本では国会が物理的に破壊されているわけではない。しかし、国会を開いても一切の議論をさせないまま解散するのは、国会の機能を破壊する行為である。また、首相は北朝鮮のミサイル発射に際して効果不明の警音を発して国民をおびえさせ、国連演説を国内向けの北朝鮮非難のプロパガンダに利用した。そのタイミングにあえて解散総選挙を設定しようとしている。これはナチスの手口に近い。

北朝鮮危機を収拾することは政治の急務であるが、力による解決を志向するのか、政治的解決を探るのかについては、国際社会同様、日本国内においても論議があるべきである。そうした議論を一切押し流すのが、今回の解散である。

幸い、日本にはまだ自由がある。我々は判断力を保たなければならない。

『漂流遊女』

中山美里『漂流遊女:路地裏の風俗に生きた11人の女たち』(ミリオン出版 2013)を読む。
今はなき月刊誌「漫画実話ナックルズ」に連載された、底辺で働く風俗女の人生に迫るインタビュー記事である。
デリヘルやAV出演というレベルではなく、熟女風俗や本番ヘルス、立ちんぼといった底辺風俗で生活を支えている女性が取り上げられている。タイトルこそ刺激的だが、一応真面目な内容である。

一時期は華やかな生活を享受しつつも、結局は自分を大切にすることができなくなる風俗嬢の人生を通して、男性以上に心と身体が結びついている女性の運命が見えてくる。
あとがきの筆者の言葉が印象に残った。

 いろんな風俗嬢を取材して気づいたことがある。
それは、身体を売るという職業につきながらも、心の中で線引きをして、妙なところで自分を肯定する偏ったロジックだ。その線引きは人によって違う。
「セックスをしているわけじゃないから、ヘルスはソープ嬢やAV嬢よりはまし」
「AVの仕事は、不特定多数の人を相手にしているわけじゃないし、管理された場所で仕事をしているから風俗と一緒にしてほしくない」
「本番や粘膜接触がないし、知的な駆け引きが必要だから、SMは普通の風俗ではない」
などと、勝手に決めたヒエラルキーに自らの業種を位置づけ、安堵したり人を見下したりする部分が、私が見てきたエロの世界にはある。
そして、ごく狭いエロの世界から一般社会に目を向けると、性を売る仕事についている人が幸せでなければいいと思っている人が少なからずいることもわかった。
性を売ってしまったら、幸せになってはいけないのだろうか、幸せになれないのだろうか、そして性を売り続けていくとどんな将来が待っているのだろうか。そんなことが知りたくて、このインタビュー連載をはじめた。