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『ワーキングプア 解決の道』

NHKスペシャル『ワーキングプア』取材班編『ワーキングプア 解決の道』(ポプラ社,2008)を読む。
2006年から2007年にかけて放映されたNHKの番組で取り上げられた「ワーキングプア」の実態と解決策について論じられている。不況による労働市場の落ち込みよりも、非正規雇用の増加による生活の不安定化に重点が置かれている。

「ワーキングプア」とは、一般的に「働いているのに生活保護水準以下の暮らしを強いられている人」と定義される。生活保護を受給することに「恥」の意識が根強い日本社会において、社会保障のない非正規雇用で働けども、ワーキングプアから抜け出せないのは、個人の責任ではなく、社会の責任である。

ちょうど放映された2000年代半ばに、30代のワーキングプアが取り上げられており心が痛い。卒業がほんの数年違うだけで、就職先の企業が少し違うだけで、大きく人生が左右された世代である。あの時の30代のワーキングプアだった方は、その後どのような人生を歩んでいるのであろうか。

本書の最後は次のような言葉で締めくくられる。

働くということは、単に収入を得る手段ではなく、まさに人間の尊厳に探く関わることなのだ。ワーキングプアというのはその尊厳が損なわれることなのだ。
働くことの意味。人としての尊厳。他者との関係性。言葉の意味は私にも理解できる。しかし日々瑣末な事象に引きずられ、無為に過ごしている私はその本質的な意味を久しく考えたことはない。
働くことの意味や価値を重んじる社会を私たちは構築できるのか。問われているのはこの社会の一員である、私たち一人一人なのだ。

『教育という熱』

内田良『教育という熱:子どもと先生を苦しめる「教育リスク」』(光文社新書,2015)を一気に読む。
7年ほど前に内田氏の講演会を聞いたことがあり、その話の元となっていた内容で、すんなりと読むことができた。頑張ることや我慢すること、一体感や感動といった日本の教育の根幹部分を評価しつつも、そうした部分に踊らされて、重篤な怪我や致命的な心のダメージを負う教育システムに楔を打つ内容となっている。日本の教育思想や授業といった部分にはあえて触れず、統計データに基づくリスクを明らかにしている。

死亡事故の多い部活動としてラグビーと柔道が突出していた。柔道の数ある技の中で頭部や頸部の怪我が多いものが足技の大外刈りだそうだ。背負い投げや内股などの腰技が多いと思っていたが、後頭部を真っ直ぐに畳に打ち付ける危険性が大きい技として、柔道連盟でも注意を払っているとのこと。

『近代の呪い』

渡辺京二『近代の呪い』(平凡社新書,2013)を読む。
著者の渡辺京二さんであるが、私はあまり知らない研究者であった。Wikipediaによると、「旧制熊本中学校に通い、1948年(昭和23年)に日本共産党に入党する。同年第五高等学校に入学するが、翌1949年(昭和24年)結核を発症、国立結核療養所に入所し、1953年(昭和28年)までの約四年半をそこで過ごした。1956年(昭和31年)、ハンガリー事件により共産主義運動に絶望、離党する」とある。なかなか激しい経歴の持ち主である。

本書は、2010年前後、熊本大学等で講演された内容がまとめられている。近世までは自分の国が戦争をしていようと「オラ知らねえ」といった態度であったが、近代に入ると、有無を言わさず国民国家に組み込まれていく。そうした近代の声性質について、著者は次のように語る。

私たちの一生のうちに遭遇する大事な問題は、何も国家とか国政とかに関わる性質のものではありません。そんなものと関係がないのが人間の幸福あるいは不幸の実質です。また私たちはまったくの個人として生きるのではなく、他者たちとともに生きるのですから、その他者たちとの生活上の関係こそ、人生で最も重要なことがらです。そして、そういう関係は本来、自分が仲間たちとともに作り出してゆくはずのものです。

近代というのは、そういう人間の能力を徐々に襲わせてゆく時代だったのではないでしょうか。すべての生活の局面が国家の管理とケアのもとに置かれ、国家に対して部分利益を主張するプレッシャー・グループとして行動するか、正義やヒューマニズムの名のもとに異議申し立てをするかの違いはあっても、いずれも国家に要求するという行動様式に型をはめられてしまう。要求すればするほど国家にからめとられてゆく。そして、実質的な人生のよろこびから遠去かってゆく。

また、著者はそうした近代が生み出した市民社会については次のように論じている。

今日の市民はいろんな情報を与えられています。デトロイトの労働者は自分の会社の景気が悪く、自分たちが失業しかねないのは、トヨタやホンダのせいだと情報を与えられておりました。世界経済がグローバル化するにつれて、自分が属する国民国家の地位が自分の生活に直結する例は増加するのですから、グローバリズムは国民国家を逆に強化することになります。われわれはますます国民国家の枠組にとらわれ、国益以外の視点は閉されてしまうのです。

一方、社会の福祉化、人権化・衛生化が進むにつれ、個人はますます国家あるいは社会の管理を受けいれざるをえなくなります。人権化というのは変な言葉ですが、いわゆるポリティカル・コレクトネスを含めて、差別の徹底的排除の方向のことです。衛生化というのは、禁煙を含め社会環境を徹底的に殺菌・無害化しようとする方向のことです。いずれも膨大な官僚・テクノクラート、専門技術者を必要とします。国家の管理機能は増大するばかりです。いわゆる民営化は見かけは国家の機能を縮小させたとしても、管理機能を民間組織に譲渡しただけで、テクノクラート・専門技術者の数が減ったわけではありません。このような個人が国家(社会と言い換えてもよろしい)の管理に従属してゆく様相は、今後強まるばかりでしょう。それはみな、民衆世界の自立性を近代が撃滅した結果なのです。

長崎3日目

🐳平和集会フィールドワーク

昨日より2日間にわたって日教組平和集会が行われました。
昨日は講演会と分科会で、本日は夏日の中のフィールドワークでした。

長崎県教職員組合の方の案内で、平和公園内を出発し、爆心地公園や山王神社、長大医学部、浦上天主堂などを回ってきました。有名な平和祈念像が1955年当時に設置された時に指摘された疑念や中国のモニュメントのみ鉄柵で囲われている経緯、浦上天主堂が米国の思惑で保存されずに解体されてしまった背景などが理解でき、一味違ったフィールドワークを味わいました。

平和教育は、「原爆が落下されて悲しい被害がありました」という単線的な見方だけではなく、「原爆投下の背景にある被害と加害の両面からの検証、そして核兵器廃絶に向けて個人で何ができるのか」と問う主権者教育であるというガイドの方の熱い思いを受け取ってきました。

『イヌ・ネコ・ネズミ』

戸川幸夫『イヌ・ネコ・ネズミ:彼らはヒトとどう暮らしてきたか』(中公新書,1991)をパラパラと読む。
著者は動物の専門家ではなく、毎日新聞の記者出身で、『高安犬物語』という作品で直木賞も受賞している小説家である。また、ウィキペディアには「動物に関する正しい観察・知識を元にして動物文学を確立させ、日本においては椋鳩十と並ぶ第一人者」と紹介されている。

富山市科学博物館のホームページによると、ネズミやリスの仲間である囓歯目(げっしもく)とよばれる動物の仲間は、現在までに世界中に2300種以上(2022年現在)が知られている。現在、学名がついている哺乳類仲間が約6500種(2022年現在)なので、哺乳類の40%ほどを占めるそうだ。

これだけ人間に馴染みのあるイヌやネコ、世界で一番種類の多いネズミであるが、その習性や行動、認知能力はまだまだ分からないことが多いのである。