竹内淳『外国為替投資の基礎常識』(実業之日本社 2004)を読む。
為替取引の入門書としてはかなりまとまっていて読みやすい本である。為替変動の要因や分散投資の説明も要領を得ており、外貨預金も含めて外貨を持つことのメリットとリスクが分かりやすく解説されている。また、外国為替取引についても入門的なルールだけでなく、各通貨の種類と性格や日経新聞からの情報の読み方まで伝授される。また為替レートを動かす要因として、景気、金利、物価、株価、経常収支、その他の6点からのチャート式の解説も分かりやすい。ファンダメンタルズ分析、テクニカル分析もシンプルで的を得(射)ている。著者は外国為替取引業者の「外貨ドットコム」に勤務するが、自社の宣伝は少なく、広く入門書としてオススメである。
この手の本をここしばらく10冊ほど読んできたが、ごちゃごちゃ不要な情報を詰め込もうとして失敗している本が多かった。この『外国〜』は内容がすっきりしており、展開もテンポ良く、小説を読んだような読後感すらある。
月別アーカイブ: 2007年12月
『アイ・アム・レジェンド』
今夜も子どもをお風呂に入れてから、ララガーデンへ映画に出掛けた。
ウィル・スミス主演『アイ・アム・レジェンド』(2007 米)を観た。
人類が滅亡したニューヨークでただ一人生き残った男をウィル・スミスが演じる。SF的な近未来の話なのかと思っていたら、ハリウッドお得意のゾンビ映画であった。ガンの特効薬が突然変異し、狂犬病に似たウイルスが世界中にばらまかれ、人類の大半が死滅し、残った人間がゾンビとなり、人間を襲うという設定だ。『バイオハザード』や『バタリアン』とほとんど同じ設定である。「21世紀版ゾンビ映画」というキャッチフレーズがふさわしい。
途中、神の言葉を信じて、ウイルスが活動できない山岳の寒冷地にある人類生存の村へ行こうと誘いかける場面がある。ちょうど旧約聖書の『創世記』に出てくる「ノアの方舟」を彷彿させる。日本人には理解が難しいキリスト的な世界観がベースになっており、アメリカ人に受け入れやすいのだろうか。
『夕刻のコペルニクス』
鈴木邦男『夕刻のコペルニクス』(扶桑社 1996)を読む。
わざわざ年末のゆったりとした時に読む類の本ではないが、『水滸伝』を読んで、正義や仁義のために命すら捨ててしまう「憂国の志士」の心情を知りたいと思い手に取ってみた。本書は『週間SPA!』で1994年の秋から1996年の秋まで連載されたコラムを再構成したものである。著者の鈴木氏は一水会という右翼団体の代表を務めながら予備校でも教鞭を執る文化人である。本書では、見沢知廉氏の逮捕や「赤報隊」事件、また雑民党東郷健襲撃事件の内情が詳らかにされ、右翼と新右翼の水面下での対立が暴露される。
鈴木氏というと、学生時代に高田馬場の駅前ロータリーで、一水会の車に据え付けられた拡声器を片手にアジっている姿を見たことがある。演説慣れした流暢な話し方で、様になっていたのを覚えている。また、その脇で大学の自治会の学生がシュプレヒコールを挙げていた。これまた予定調和的な場慣れした振舞いで様になっていたと記憶している。確か本書の連載時の96年頃だったか。
右翼や左翼という古いカテゴライズを捨て、右も左も越えて言論でもって政治や社会を動かしていこうとする鈴木氏のスタイルが随所にかいま見える。しかし、そうした彼の立ち位置は、左翼陣営からは批判され、既成右翼から「あいつは右翼じゃない」と批判され、さらに行動派右翼からは、日和っていると糾弾される。タイトルが「憂国」ではなく、すでに「夕刻」となっているように、冷戦崩壊後の新右翼や新左翼の拠って立つ位置の難しさが伺われる。
『水滸伝:(中)』『同:(下)』
施耐庵著・松枝茂夫訳『水滸伝(中)』『同(下)』(岩波少年文庫 1960)を読む。
上巻を読みはじめてから3週間近く経っており、最初の頃の話はすっかり忘れてしまい、次から次へと登場してくる人物を頭の中で整理するだけで一苦労であった。後半からねずみ算的に仲間が増えていき、やれ妖術士や天からの雷、ドラゴンだの様々登場してきて、RPGの『ドラゴンクエスト』のようなファンタジー的な雰囲気が漂ってくる。そして、最後は梁山泊に集う108人の義士による総力戦で幕は閉じていく。
中盤では、それまで政府軍として梁山泊の悪党退治に馳せ参じていた武将が、恩義を感じて同志の盟を結び梁山泊の義士の一員となり、また新たに戦争に旅立っていくシーンが繰り返される。早稲田大学の校歌の「集まり散じて人は変われど、仰ぐは同じき理想の光」という一節がふと混乱している頭の中の片隅を駆け抜けていった。
原本がそうなのか、中学生向けの抄訳のためか最後は駆け足で話が進んでいってしまう。現在作家北方謙三氏も『水滸伝』を書いているそうだが、いつかじっくりと読み返してみたい作品である。
日光中禅寺湖へ
今日の午前中で今年の仕事がとりあえず一段落ついたので、昼から一人で日光中禅寺湖へドライブに行った。先日カロッツェリア(パイオニア)のDEH-P620というAACファイルがそのまま聞けるカーオーディオを付けたばかりであり、「一人車内カラオケルーム」状態であった。このオーディオは日本語のタイトル表示もしてくれるので大変便利である。
中禅寺湖の林道では雪にハマってスタックしてしまい、トランクに入っていた脛サポーターをタイヤの下に敷いてやっと脱出したというアクシデントもあった。日光から122号を突っ走り、足尾を抜けて草木湖というところから林道を入って、佐野の山奥を抜けて埼玉に帰ってきた。その林道はかつてバイクで走った道であり、数年前の自分を思い返しながら、と同時に、現在の自分との違いや成長していない部分を省察しながらハンドルを握り続けた。10時間近くも走り続けたので、良いストレス解消となった。