松居一代『欠陥マンションわが闘争日記』(PHP研究所 2000)を読む。
ゼネコンの欠陥につけ込み2000万近くせしめた成功談を嫌みたらしく語ったものだ。読むだけ時間の無駄だった。
月別アーカイブ: 2003年5月
『IT革命のカラクリ:東大で月尾教授に聞く!』
月尾嘉男・田原総一朗『IT革命のカラクリ:東大で月尾教授に聞く!』(アスキー 2000)を読む。
月尾教授は毎週TBSラジオのゲストとして趣味のカヌーの話やグローバルスタンダードの実情について面白い話を紹介しており、気になっていた人だった。最近は耳にすることも少なくなったが、「IT革命」なるものは産業革命以降の大量・計画生産方式から、消費者主体の一品注文生産構造へ転換することだと月尾教授は定義付ける。フォード式の大量生産からデルコンピュータの一品生産への転換に象徴されているように、情報通信技術の進展だけを指すのではなく、産業構造そのものが大きく変わり、旧来のシステムが破壊されていく過程を表すのだ。また情報競争の発展は二番煎じ的なものを許さず、メディアを含めた中間的なものも大きく淘汰されていく。また教育も英語と論理学をベースに「違うものを発想する力」の育成が問われると述べる。
『東京バカッ花』
室井滋『東京バカッ花』(マガジンハウス 1994)を読む。
富山から上京してきて早稲田大学に入学し、様々なバイトを経験するなかで東京生活に奮闘する姿が昔懐かしく描かれている。本人の手によるものなのかは不明だが、楽しく読むことが出来た。94年の1月の頃の写真だろうか、早稲田を中心に東京界隈での本人の写真が数十枚掲載されていた。その中でも17号館の近くにあった大学いもの店ハナヤの写真が懐かしい。また文連の大きいポスターを背景にした第一学生会館前の写真もあった。文連常任委員会や早稲田祭実行委員会の主体名の脇に「部室・新学館問題全学サークル会議」なるものの名称が並んでいる。これまた古き良き早稲田の姿なのだろうか。。。
『グローバル・メディア産業の未来図』
小林雅一『グローバル・メディア産業の未来図:米マスコミの現場から』(光文社新書 2001)を読む。
大半の日本人が知っているようで実はよく知らないアメリカメディア産業の舞台裏を追った内容だ。日本では旧来通りの「新聞社ーテレビ局ー系列ネット」の大枠で地上波デジタルの大波も乗り切るようだが、アメリカでは音楽、映画、ニュースのネット配信を巡って、既存メディア産業に加えマイクロソフト社やリアルネットワーク社、ケーブルテレビ局も参入しまさにメディア戦国時代の様相を示している。違法もしくは違法すれすれのコピー技術に悩まされ、なかなかネット配信に踏み切れない音楽産業や映画産業のいらだちが描かれていた。先日アップル社から新しいオンラインミュージックストアである「iTunes Music Store」のサービスが始まった。日本でのサービスはまだ先なので大して気にも止めてなかったが、ワーナーやEMIなどの5大レーベルの楽曲を提供するということが、そこに至る過程が如何に厳しいものであるのかこの本を読んで理解できた。
『「多動性障害」児:「落ち着きのない子」は病気か』
榊原洋一『「多動性障害」児:「落ち着きのない子」は病気か』(講談社+α新書 2000)を読む。
最近日本でも「キレる」子どもの要因として、マスコミに登場する機会の多くなった「多動性障害」であるが、病気なのか、個性なのかという判別が難しく、また治療を巡っても薬物治療、行動療法と医師の見解も大きく分かれている。アインシュタインやエジソンも「多動性障害」であったと言われ、薬物治療には二の足を踏む医師がヨーロッパや日本には多い。しかしアメリカでは中枢刺激剤 リタリンでの薬物治療が一般的で、世界の生産量の9割以上を消費し、「多動性」と診断された小学生の90%以上がリタリンを服用しているそうだ。
この違いには単なる医者の捉え方の差異以上に国民性が大きく反映しているように思う。世界のテロを支援しているとしてブッシュ大統領はイラクや北朝鮮を悪の枢軸国として名指ししたが、具体的な根拠のあることではなく、漠然とした世界の情勢不安に自国の都合の良い明確な答えを示しただけのことである。「多動性」についても同様で、脳という複雑な生物の神秘の世界に対して、神経伝達物質の一つであるドーパミンの生成を調節する「ドーパミントランスポーター」の過剰な働きが原因であると指し示すアメリカ医師会のあり方には、多分に物事をチャート化しようとするアメリカの国民性が感じられる。