月別アーカイブ: 2006年6月

『84歳大学生いきいき脳の秘密』

原田義道『84歳大学生いきいき脳の秘密』(祥伝社 2004)を読む。
土建会社での仕事を引退し、76歳から夜間中学に通い始め、定時制高校を経て、明星大学経済学部に入学したという異色の経歴を持つ著者が、年齢に関係なく日々学ぶことの面白さを語っている。
原田さんは、バランスよい食事と適度な運動で健康を保ち、家事もすべて一人でこなし、友人や地域の人たちとのコミュニケーションを大切にするなど、人間として自然な暮らし方を日々続けることが勉強の秘訣だという。

ふつう、夢を抱くことはできても、夢を実現するのはなかなか難しいことです。たとえば野球選手になるのが夢でも、その夢を叶えられるのはほんの一握りの人です。才能と努力、年齢、そして時には運なども必要になってくるかもしれません。
でも勉強は違います。学問に特殊な能力や才能はいりません。努力は必要かもしれませんが、年齢や運は関係ありません。学びたい気持ちがあれば、いくつになってもできるものです。あらためて振り返ってみると、「いくつになっても勉強はできる」と信じていたから、私の夢は叶ったのです。

『しょっぱいドライブ』

大道珠貴『しょっぱいドライブ』(文藝春秋 2003)を読む。
数年前に芥川賞を受賞した作品で、30代女性を主人公とした短編集である。各編とも、老人とデートしたり、男友達と寝ても、これまで積み上げてきた人生のレールが崩されるなんてことはなく、淡々と気だるい生活が続いていくリアルな日常が描かれる。
女性同士の親密かつ疎遠な友情も取り上げられ、大人の女性が読む日常生活を題材にした漫画を読んでいるような気分になる。当然のことながら、男性が読んでも恐らくはその面白さを理解できないであろう。

『理想の児童図書館を求めて』

桂宥子『理想の児童図書館を求めて:トロントの「少年少女の家」』(中公新書 1997)を読む。
30年近く前の、多分に脚色されたであろう学生時代の留学経験が話の大半を占め、カナダの児童図書館は予算や人的配置など充実している一方で、日本の図書館の貧困さを嘆くという極々つまらないエッセーである。児童にとっての読書の意義や効果に関する分析も甘く、図書館の未来像も描けていない。

ファンタジーは、大人の難解な言葉を使わずして、人生の根本問題を子どもたちに理解させることができる、児童文学特有のジャンルなのである。例えば、フィリッパ・ピアスの『トムは真夜中の庭で』は、時間の概念を、また、ジョージ・マクドナルドの『北風のうしろの国』では、死をテーマとしている。ファンタジー作家は、現実世界では、言葉の制約上、子どもたちを対象としてあつかえない抽象的または複雑なテーマを、自らが創造した物語世界の中で、子どもたちに垣間見せることができるのである。一級のファンタジー作品であればあるほど、単なる娯楽にとどまらず、生と死、善悪、友情、正義などの永遠の真実をうちに秘めている。

『空中ブランコ』

2004年に直木賞を受賞した、奥田英朗『空中ブランコ』(文藝春秋 2004)を読む。
仕事も家庭も円満で、順調に人生を歩んできた30代半ばになんなんとするサーカス団員やプロ野球選手、医師、ヤクザ、女流作家といった登場人物らが、ふとそれぞれの今現在の流れ作業的な仕事のあり方に疑問を抱いてしまうところから話は始まる。ストライクが入らない、空中ブランコで失敗する、ヤクザ稼業をやっているのに刀が怖い、ワンパターンな恋愛、不倫しか書けない……。しかし、これまで10年近く積み上げきたキャリアに対する自信からか、いくら周囲の者が指摘しても、彼らは決して自分の不備を認めようとしない。そして、周りからの信頼に応え切れない自分が嫌で彼らは嘔吐を繰り返したり、フロイトの言う反動形成や合理化などの行動に出てしまう。そのような中で、純真無垢な精神科医伊良部一郎と出会うことで、彼らは自分を取り戻す。
私自身も、今年で教員生活8年目を迎え、これまで通りの授業の進め方に一定の自信は持っている。しかし、それがために、心の片隅で自分の授業スタイルを受け入れてくれない生徒層の受け入れを拒むような防衛機制が働いてしまうことがある。精神科医伊良部氏はこれまでの自分のやり方をきっぱりと否定することで問題は解決すると述べ、自身がサーカスに挑戦したり、小説を書いたりして、新しい視点で仕事を捉え直すことを提案する。しかし、たかだか10年近い積み上げであるが、それを自分で崩していくのは大変なことである。
30代半ばの働く人に読んでほしい本である。