月別アーカイブ: 2003年7月

『ターミネーター3』

terminator3_movie

ジョナサン・モストウ 監督・アーノルド・シュワルツェネッガー主演『ターミネーター3』(2003 米)を千葉県野田市にあるスーパーのジャスコに入っている映画館へ観にいった。
前作を見ていないので話しのつながりが理解出来なかったが、話の内容自体は分かりやすいものであった。徹底した最新のVFX技術が用いられているということだが、すでにどこからがCGでどこまでが現実の演技なのか見分けることはできない。アニメや漫画のように、変身したり人を投げ飛ばしたり首がもげたりと、もはや人間が想像できない映像はないというレベルまで達している。格闘シーンなどは格闘ゲームやアニメ「ドラゴンボール」のような重力と体力を無視した肉弾戦であり、これまでの格闘シーンとは一線を画している。
しかし話の筋自体はきわめて古典的なSFストーリーとなっている。システムの反乱に対し、ヒューマンロボットが立ち上がるという展開は手塚治虫の「鉄腕アトム」や永井豪の「デビルマン」を彷佛させるものがある。おそらくアメリカにも同種の物語が多数あるのだろう。「マトリックス」同様に、コミック的な内容に現実離れした映像を加えるという手法は、今後10年近くハリウッド大作映画の主流となっていくだろう。

amlより

amlから転載
以下、去る7・4の早大での実にささやかな企画をめぐるむちゃくちゃなる反動的事態を憂い、世も末じゃ、とほほ、で、転載いたします。早稲田大学処分策動撤回闘争

早稲田大学で、「ストリートレイヴ上映会」なる反戦デモの模様を上映し、反戦、反管理統制、キャンパス解放を訴えた企画を行った事で、現在私が大学当局から処分策動を受けています。

皆さんからの広範な支援が必要です。以下のアドレスに声明と署名テキストをアップしたので送ります。是非署名にご協力いただき、さらに知り合いにこのメールを送りつけまくってください。

http://tasukete.s36.xrea.com/
どうかよろしくおねがいします

『情報文明の日本モデル』

坂村健『情報文明の日本モデル:TRONが拓く次世代IT戦略』(PHP新書 2001)を読む。
月刊誌や雑誌に寄稿した文章を集めたもので論旨に一貫性はないが、日本で唯一OS開発に取り組む著者ゆえに、マイクロソフト独占の危機的現状やアジア系言語を軽視した文字コードに対する主張は熱い。
アメリカが国家的戦略でPCベースの常時接続高速回線のインフラ整備に取り組み、ヨーロッパが双方向デジタルテレビの普及に力を入れている中で、著者はPCに依存しない携帯電話などのモバイル機器に日本の将来のビジネスモデルを託す。そして漢字文化圏を代表する形で、17万字扱える「超漢字」という日本発のOSを提唱する。実際にトロンがどのような形で組み込まれていくのか明言していないが、中国や台湾、そして非ヨーロッパ系言語文化圏の大学や研究所との実質的な連携が求められる時期に来ていることは確かであろう。

主題とは離れるが、著者の次の言葉が気になった。

アメリカの長所は、社会全体を「面」でとらえ、個人という「点」以上に「面」を動かすことに意を注ぐところだ。そのために、理念をはっきりさせ、その推進のために法律をつくり、必要であれば補助金を出して、徹底的に実現させる。

ちょうど今日の東京新聞夕刊に、ニューヨーク市で同性愛者限定の公立高校が開校するとのニュースが載っていた。普通の高校ではいじめの対象となってしまうのが背景にあるのだという。これこそ、坂村氏の指摘するアメリカ人の「点」ではなく、「面」で社会を捉えようとする姿勢の端的な例であろう。これが日本だとある一つの「点」のみを捉え全体を推し量ろうとするであろう。どちらがよいと単純には言えないが、日米の考え方の違いを押さえていくための一つの切り口となろう。

『eメールの達人になる』

村上龍『eメールの達人になる』(集英社新書 2001)を読む。
簡潔・明瞭が求められるeメールにおいて、曖昧な日本語を如何にして使っていくのか、実際に村上氏がやり取りしたメールからその手法に解説を加えている。例えば、伝達や事務連絡といった用件は、要点を簡略に伝えることを心掛けるだけでよい。しかし、指示や依頼の際にはシンプルさが求められる一方で、きわめて日本的な謙譲のマナーを守る必要が生じる。確かに日本語のメールでは「〜して下さい」ではあまりに語調が強過ぎる。「〜していただくと助かります」「〜ではないでしょうか」といったように自分の意見を押さえるような言い回しがビジネスの世界では必要だ。

また文章構成においても、高校までの小論文指導では習わないような工夫を紹介している。例えば、日本語の文章でも箇条書きや罫線、「●」や「:」「>(引用符)」などの記号を効果的に用いることで見た目がすっきりする。一方で「”」「’」「−」「/」「@」などのアルファベットのための記号は日本語と入り交じることで逆に文章を分かりにくくする。著者自身も「コミュニケーションは本質的に非常に困難なものだという自覚が必要ではないか」と述べているように、まだまだメール文化も緒についたばかりであり、こうしたルールも過渡的なものであろう。

『ホワイトアウト』

真保裕一『ホワイトアウト』(新潮文庫 1998)を読む。
少し時間的に余裕があるのでサスペンス小説をと思い手に取ってみた。文庫でも628ページもある長編で、最後のページを繰るまでまるまる2日間かかってしまった。織田裕二主演の映画として有名な作品であるが、原作も場面の切り替えがうまくテンポをつくっており一気に読んでしまった。奥只見ダムを舞台にしており、地図を片手にダムの位置など確認しながら読んでいった。昨夏、奥只見の下流に位置する田子倉ダムにバイクで出掛けたので、夏の山の光景は容易に頭に思い描けるのだが、冬山の積雪や吹雪は想像すらすることが出来ない。しかし真保氏のこの作品における描写は微に入り細に穿っており、雪山の様子がリアルに読者に伝わってきた。直木賞の声も高いようだが、受賞はそう遠いことではないだろう。