月別アーカイブ: 2003年6月

葛西臨海公園〜六本木ヒルズ

昨日葛西臨海公園に出かけてきた。観覧車に乗ったが、生憎の曇り空で、上に上がっても何も見えなかった。そして観覧車に乗りながら、なぜ人は高いところへ登りたがるのだろうと考えた。創世記のバベルの塔ではないが、高い所に登りたがるのは人間の本性なのだろうか。

帰りに六本木ヒルズへ寄ってきた。こちらは完全な「お登りさん」ならぬ「お上りさん」である。敷地面積が東京ドーム数個分の広さがあるそうだが、ブランドの店ばかりでほとんど興味を引くような所はなかった。
ただ駐車場にはびっくりした。2700台近くが地下の駐車場に格納できるとのことである。入庫から出庫まで全てコンピューターで制御されている。SF映画に出てくるような近未来都市の風景である。

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私の愛車が六本木ヒルズの壁の中へ格納されていく

『中国がシリコンバレーとつながるとき』

遠藤誉『中国がシリコンバレーとつながるとき:中国発出全球人材信息網』(日経BP 2001)を読む。
遠藤さんは筑波大学留学生センター(物理工学系)の女性教授である。ルポルタージュの形式で、シリコンバレーで活躍する中国人留学生やベンチャービジネス華やかな中国沿岸地域の模様を伝える。彼女自身中国東北地方生まれということもあり、遅々として改革の進まない日本の産業構造と中国の産学協同での経済政策の溝に、自らのアイデンティティの揺れをなぞらえている一風変った作品である。読み進めながら既にシリコンバレーで働く者の半数以上を有色人種が占め、その大半がインドと中国というのが現実だ。すでに日本のIT産業企業を解雇され、中国のベンチャーに再就職をするという日本人が出て来ている。政府もマスコミもこぞってアメリカにしか目が向いていない現実が逆に見えてきた。

『変なおじさん』

志村けん『変なおじさん』(日経BP1998)を読む。
ドリフ入団前から98年までの彼の経歴と芸に対する姿勢を述べたものである。おそらくはゴーストライターの手によるものであろうが、今やベテランの域に達した志村けんのお笑いに対する真摯な態度が伝わってきて面白かった。スタッフや構成作家に対する感謝を忘れず、常にライブ感覚を大切する彼の芸風はたけしやさんま、タモリとも違う分野を築いている。そしてお笑いだからといって半ズボンのまま20代や学生だけにうけるようなコントをやる若手には批判的だ。

先日仕事で論語を扱った。その論語に「知之者、不如好之者。好之者、不如楽之者。」という言葉がある。何事も知ることよりも好きになること、そして好きになることよりも楽しむことが大切だとする教訓だ。『変な〜』を読みながらこの言葉が思い浮かんだ。

携帯電話

今日は普段使っている携帯電話の調子が悪いのでそろそろ買い替えようかと近所の量販店に出かけた。するとカメラ付きの携帯しか置いてなくて、会話とメールと乗り換え案内などの簡単なインターネットが出来る「普通」の携帯はもう並んでいなかった。しかし携帯電話ほど機能の充実の進化が激しかったものはない。

『リサイクル幻想』

武田邦彦『リサイクル幻想』(文春新書 2000)を読む。
著者は芝浦工業大学で資源材料工学を専攻している教授で『「リサイクル」してはいけない」などの過激なタイトルの著書もある。本書では「家電リサイクル法」の施行など日本でも近年リサイクル意識が高まっているが、実際問題としてリサイクルに係るコストとエネルギーは莫大なものであり、リサイクルをすればするほど、環境に大きなダメージを与えるということを材料工学の観点から指摘している。

社会は現実感を失っています。「そのまま燃やすより、少しでも利用できれば利用した方がよい」という話が、いつの間にか「石炭を使うくらいなら、多少高くついても捨てるプラスチックを使うべきだ」に変化し、さらには「廃棄物貯蔵所が満杯になるのだから、ゴミをなくす方法なら何をやってもよい」という考えに変っていくのです。このように循環型社会の問題点の系統的な整理が難しいのは、さまざまな主張に一見納得できそうな「部分的正当性」があるからですが、最終的にそれらの主張は、環境をいよいよ汚すことになる結論を出してしまうのです。

著者は上記のように、材料や資源の生成から廃棄までトータルに分析することなく、科学的な省察を無視した部分的な感情論に依拠してしまいがちな日本人の思考様式そのものに疑問を投げかけている。そして環境問題に際する第一歩として、「あなたは最近、真夏に暖房をつけていますか?」と聞かれて、すぐその意味が分かり「つけています」と答えられるような包括的な「視野」を養うことを提言する。日本は「第二次世界大戦という大きな犠牲を払って軍備も最小限になっている」という頓珍漢な文章もかいま見られるが、環境コストを考えることもなく、新聞紙のリサイクルに努めていた私自信のありようがその批判の矛先であるのは間違いない。