月別アーカイブ: 2015年9月

脱原発ソング

「限界臨界」 作詞:沢田研二   作曲:GRACE

どれ程の美辞麗句で   どれ程の嘘をかさね   心を踏みにじったか
どれ程の慇懃さで   どれ程の演技力で   心を折れさせたのか
これ以上 被災者を   動けない弱い者を   悲しみに耐える者を
馬鹿にしない  本音汲んで下さい  限界 臨界 心誠下さい
限界臨界
薔薇撒きの物語を   薔薇撒きの世界地図で   亜細亜を見下してきた
薔薇色政治家達が   薔薇色経済人達と  世界を手のひらに乗せ
これ以上 善人を  未熟でも若い者を  先行きに迷う者を
馬鹿にしない  愛と平和下さい  限界 臨界 生きる希望下さい
限界臨界
馬鹿にしない  愛と平和下さい  限界 臨界 生きる希望下さい
限界臨界

 

「こっちの水苦いぞ」 作詞:沢田研二   作曲:下山淳

誰のための 等閑な再稼働  桜島と川内断層
安全言わない 原子力委員長  福島の廃炉想う
トルコに押しつけ 羞恥の事実    リスクだらけ 世界基準
欲望全開の生産と消費   ずっと ずっと続けるの?
節電しよう 節電を   我慢します みんな
希望見つけるその日まで
こっちの水苦いぞ
金のために  御座なり基準合格  経団連政治献金
危険相殺  地元が潤うこと  被災地の痛み想う
インドに擦り寄る 苦渋の米国    相互利益で 安全保障
望全開の凄惨と傷悲    ずっと ずっと続けるの?
LEDがある LEDが   望みません みんな   心豊かになる日まで
こっちの水苦いぞ そっちの水甘いぞ
こっちの水苦いぞ そっちの水甘いぞ

『声と話し方のトレーニング』

村上由美『声と話し方のトレーニング』(平凡社新書 2009)を読む。
声や話し方といったものはその人の個性であり、鍛えたり治したりするものではないという考え方が日本では一般的である。
しかし、言語聴覚士の著者は、声や話し方は、不足している筋力トレーニングや音声外来による治療、意識的な生活習慣で大きく変わると述べる。
精神的なものなのか、肉体的なものなのかは不明だが、ここ半年ほど、大きな声を出そうとすると呼吸が苦しくなり、無理に声を出そうとするので口籠った声になってしまうことが延々と続いている。解決のヒントになればと思いながら読んでいった。
体幹トレーニングや首回り肩周りのストレッチ、舌の動かし方など、医学的な根拠に基づいた解説とイラスト入りで分かりやすかった。
まだ原因は不明であるが、参考にしてみたい。

本日の東京新聞朝刊投稿欄より

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本日の東京新聞朝刊の投稿欄に、学生時代の友人の投稿が載っていた。
普段、読者欄などは読み飛ばしてしまうのだが、何か繋がるものがあったのか、たまたま目を通した記事に、20年弱前の学生時代に1年間一緒に働いた友人の投稿があった。つい先日、学生時代のアパートを訪れたばかりだったので、再び学生時分の感覚に引き戻されたような感じがした。

記事を読みながら、ふつふつと記憶の底から20年前のとある光景が蘇ってきた。私の記憶に間違いがなければ、一緒に夕食を共にした時に何かの話のついでに、彼が「受験という勝負に勝ってきた」「将来は金融関係の仕事に就き、困っている経営者への融資など、積極的に人と関わる仕事がしたい」と漏らしていたことを思い出した。まさにその時の彼のセリフそのままの内容の投稿であった。つい中島みゆきの「時代」のメロディーが頭の中でリフレインしてしまう。

高校・大学時代に漠然とでも考えていた将来像は、その後のその人の人生に大きな影響を及ぼすというのが私の持論である。高校や大学を卒業後、社会に出て、時代の波に翻弄されながら、どんどん次へ次へと道を開拓し突き進んでいるようで、実は子ども時代の夢を懸命に追いかけているのが人間である。

最近、40代のスポーツ選手の引退報道が続いている。身体共に人生の節目を迎えるのが40代前半である。松尾芭蕉も人生を締めくくる旅の総仕上げとして、45歳で奥の細道の旅に出発している。ちょうど自分の足元を見つめなおし、来し方行く末をじっくりと考える、いや考えなくてはいけない時期に差し掛かっているのであろう。

『チンギス・ハーン』

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横山光輝『チンギス・ハーン』(秋田書店 1992)を読む。
全5巻セット漫画で、チンギス・ハーンの誕生から戦争に明け暮れる晩年までが描かれる。
モンゴル帝国の騎馬軍の活躍は世界史の教科書で学ぶところであるが、モンゴル族統一以前に、度重なる部族内や親族内の争いがあったことは知らなかった。謎に包まれた人物なので、多分に脚色が加えられていることは差し引いても、チンギス・ハーンの度胸の強さと度量の大きさが伝わってきた。