井下優子『猫には猫の哲学がある:わがままキャットの生き方事情』(PHP 1994)を読む。
作者宅で飼っている2匹の猫の生活観察から、何事も気まぐれで、わがまま放題に生きていると一般的に考えられている猫であるが、実態はやっぱりわがままでのほほんと暮らすだけの愛くるしい存在であると結論付ける。
我が家の駄猫マルクスも図体だけはすっかり大人の猫になった。既に2歳を越えやや落ち着きさえ出てきたようだ。
明日から遠藤周作の『カプリンスキー氏』というアウシュビッツ強制収容所をテーマにした短編集を授業で扱おうと、家で少し予習をした。どうしても活字だけだとあのアウシュビッツの惨状が説明できないので、映像を参考資料にしようとアラン・レネ監督『夜と霧』(1956 フランス)というDVDを借りてきた。V.E.フランクルの同タイトルの本が有名だが、こちらも当時の貴重な映像が残されており、観るもの全てに、戦争がこれほど恐ろしい冷酷な人間を創り上げるのかと惨憺たる思いにさせる。最後のナレーションが印象に残った。さて私たちは何をすればよいのか。
戦争は終わっていない
今、点呼場に集まるのは雑草だけ
“都市”は見捨てられた。
火葬場は廃虚に、ナチは過去となる
だが、九〇〇万の霊がさまよう
我々の中の誰が、戦争を警戒し、知らせるのか
次の戦争を防げるのか
今もカポが将校が、密告者が隣にいる
信じる人、あるいは信じない人
廃虚の下に死んだ怪物を見つめる我々は
遠ざかる映像の前で、希望が回復した振りをする
ある国の、ある時期における特別な話と言い聞かせ、
消えやらぬ悲鳴に耳を貸さぬ我々がいる
恥ずかしながら今日はパソコンでテレビゲームをずっとやっていた。気が付けば8時間近く12インチの画面に釘付けであった。目や肩が疲れるはずである。そのソフトは、スーパーファミコンのRPG『クロノトリガー』というゲームの英語版である。英和辞典片手に冒険を続けたが、途中ですっかり行き詰まってしまった。AD.600年のゼノンブリッジの所から先に進めない。勇者のメダルなるものが必要だということだが、キーを握る王様の語る英語の細かいニュアンスが分からず困っている。
インターネット上で、東京アカデミーという資格試験の専門学校の解答速報最終版にて自己採点したところ、結局91点であった。最初の受験、そして1ヶ月という勉強期間としてはまずまずの結果であった。約3年あまり障害児教育や福祉の勉強をしてきて、やっと一段落である。ぼーっとする日々を過ごしている。次の目標に向けたスタートラインを早く見つけたい。