月別アーカイブ: 2010年5月

今日の東京新聞より

今朝の東京新聞の朝刊に目を引くコラムが2編掲載されていた。
一つは、北海道大学教授の山口二郎氏のコラムである。山口氏は、辺野古沖に新しい滑走路を建設するためには、知事の許可が不可欠であり、沖縄はまだ辺野古移設に対して拒否権を持っていると指摘した上で、次のように述べる。

福島社民党のけんか別れは愚劣な判断だったと思う。辺野古移設が実現するまでにはあとひと山、ふた山ある。民主党をハト派に引き留めるためには、社民党が連立にとどまることが必要だった。一時に自己満足のために大局を見失うというのは、日本の左翼にありがちな玉砕主義である。

かつて、プロレタリア文学者中野重治は、組織や運動を裏切った「転向作家」とレッテルを貼られても、ねばり強く、国家によって制限された表現手段の中で、反戦平和を唱え続けた。社民党も、連立の枠組みの中で、沖縄を裏切った「転向政党」と揶揄されようが、基地の国外移転に向けて努力をすべきだったのではないだろうか。
そして、山口氏は保革を超えた沖縄県民の団結に注目し次のように述べる。

中央の政治家や官僚、メディアは、沖縄県民を侮るべきではない。中央政府や無関心な国民が沖縄だけにツケを回す姿勢を改めないならば、辺野古基地は第二の成田空港になる可能性がある。

ここで、山口氏は沖縄基地闘争の中に、成田空港闘争のようなねばり強い平和運動につながる萌芽を見ている。

もう一つは、一面コラム「筆洗」である。そのなかに次の一節が掲載されていた。

沖縄在住の芥川賞作家目取真俊さんはかつて「沖縄の現実に対して、あなたはどうするのか、という問いが、すべての日本人に向かって沖縄から発せられています」(『沖縄「戦後」ゼロ年』)と指摘した。ほとんどの国民は、保障の負担を感じずに生きている。「その醜悪さを日本人は自覚すべきです」と目取真さんは迫る。普天間問題は鳩山首相を批判して終わる話ではない。

大変ぐさりとくる文章である。イスラムの「剣か、コーランか」ではないが、「自分たちの幸せか、沖縄の犠牲か」といった二者択一が私たち日本人に突きつけられている。

また、今日も立教大学大学院教授、哲学者の内山節さんの「グローバル化時代の幸せとは」と題されたコラムを堪能した。さっそく来週からの「現代文」の授業で活用してみたい。

『高校を変えたい!:民間人校長奮戦記』

大島謙『高校を変えたい!:民間人校長奮戦記』(草思社 2004)を読む。
表題の通り、民間のエンジニアの著者が三重県立白子高等学校の校長として赴任するまでと着任してからの1年間の奮闘体験記である。大島校長は、組織力、教師力、環境力の3つの力を高め、吹奏楽部や卓球部、家庭科や伝統、心の教育といった白子高校の「ブランド」を高めようと高校経営に乗り出す。しかし、民間ビジネスマンの常識が県立高校では通用しない現実が次から次へと起こる。その中身は「あとがき」の中の著者のボヤキに如実に表れている。
大変読みやすい文体で、校長という一人の人間の成長記として読むこともできる良書であった。

 民間と学校世界はなぜこんなにも乖離してしまったのだろう。働くところはちょっとやそっとではつぶれない、解雇もされない、無競争、フルフラットな人間関係、生産製造活動に関与しないし関心もなく、周りの人と一緒に、いつかどこか遠くで聞いた反戦平和のスローガンを唱えていれば非難されることもない。そんな環境で暮らしていれば、いったいどんな人間になっていくのだろうか。
そんなネバーランドの住人(教師)たちが、毎年入ってくる新人類たちによって、自分たちの世界が「街中化」や「公園化」されていくのがわからない。一部のピーターパンたちが必死に頑張っても、サイレント・マジョリティの沈黙に吸い込まれ、その流れを止めようもない。そして、従来行事の消化と前例踏襲を繰り返すことに不安もない様子だった。
私はそんな「異界」が不思議で、居心地の悪さを感じていた。もっとスピードを上げて改革をと思っても、異界の重力は予想以上に大きかった。学校暦を一巡していない者に何がわかる、お手並み拝見という意識が、学校内には充満していたのかもしれない。それでも、二、三ヶ月もたつと、驚くほどの疑問、矛盾にぶつかった。「学校世界のこんなところが一般社会と異界なんだ」と叫びたい思いがした。

『パリより愛を込めて』

子どもをお風呂に入れて、久しぶりにララガーデンへ出かけた。
リュック・ベッソン原案脚本、ジョン・トラボルタ主演『パリより愛を込めて』(2010 仏)を観た。
ありがちなストーリーとありがちなドンパチで、「ザ・B級映画」という雰囲気の映画であった。ツッコミどころ満載だったのだが、スピード感があったので飽きることはなかった。

『空想より科学へ』

エンゲルス『空想より科学へ』(岩波新書 1946)を読む。
森鴎外の『舞姫』を現在扱っているので、ドイツということで本棚の奥に何年か鎮座していた文庫を手に取ってみた。
エンゲルスは、AだからB、BだからCと、数学の証明を展開するように、資本主義の構造的矛盾から生産手段の国有化を説く。

その結果、従来の一切の歴史は、原始時代を除けば、階級闘争の歴史であったことがあきらかになった、そしてこの闘争しあう社会階 級は常に生産と交換関係の、一言でいえばその時代の経済的諸関係の産物であること、それゆえに、そのときどきの社会の経済的構造が、つねにその現実の基礎 をなし、歴史上の各時代の、法律制度や政治制度はもちろんそのほかの宗教や哲学やその他の観念様式などの全上層建築は結局この基礎から説明すべきものであ るということがあきらかになった。ヘーゲルは歴史観を形而上学から解放して、それを弁証法的にした。--けれども、彼の歴史観は本質的に観念論であった。 いまや観念論はその最後の隠れ家たる歴史観から追放され、一つの唯物史観なるものがここに生まれた。そしてそれは従来のように人間の存在をその意識から説 明する方法ではなく、人間の意識をその存在から説明する方法であった。

『日本人を考える』

司馬遼太郎対談集『日本人を考える』(講談社文庫 1978)を読む。
10数年前に大学のサークル部室に転がっていたのか、大学の先輩から貰った本なのか忘れたが、ぷーんとした匂いが漂うかなり古い本である。
1969年から71年にかけて、作家司馬遼太郎と当時一流の評論家や学者との対談集である。梅棹忠夫、犬養道子、高坂正尭、陳舜臣、桑原武夫、今西錦司など、蒼々たる面々と司馬氏が、明治大正期の日本人や当時の全共闘の若者気質などを喧々諤々と論じ合う。
司馬遼太郎氏は、歴史の偉人を多数描いているので、右寄りな国家主義者なのだと私は勝手に思い込んでいた。しかし、司馬氏は、戦国時代や徳川時代といった 旧弊を打ち破っていくのは、常に儒教的社会を否定し、自らの理想を突っ走っていく若者であり、そうした若者に嫌われながらも成長を見届ける成熟した社会の あり方を口にする。
司馬氏の作品をもっと読んでみたいと思った。