月別アーカイブ: 2015年3月

『新アリゲーター 新種襲来』

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テレビ東京の午後の映画の時間に放映されていた、グリフ・ファースト監督『新アリゲーター 新種襲来(RAGIN CAJUN REDNECK GATORS)』(2013 米)を観た。
沼に垂れ流された化学物質で凶暴化した新種のアリゲーターが住民を次々と食い殺していくというパニック・アクション映画である。
たまには安っぽいCGを多用したB級映画でも楽しもうと思って録画しておいたものだ。最初からチープな画作りとこの手の映画にありがちなワンパターンな展開を期待していたので、十分に楽しむことができた。わざわざ危険な沼でキスする恋人や当事者以外はどうでもいい愛憎入り混じった人間関係、音楽が大音量で流れるダンスホール、銃や爆弾も効かないモンスターなど、定番のプロットをしっかりと踏まえた映画であった。

これはこれで面白かったのだが、心の中で、先ほど観た『おおかみこどもの雨と雪』の感動が一気に「中和」されてしまった。

『おおかみこどもの雨と雪』

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地上波で放映された、細田守原作・監督『おおかみこどもの雨と雪』(2012 東宝)を観た。
最近涙腺が弱くなったのか、主人公の花の健気な生き方や愛する子どもたちの自立を見守る親の姿に涙が止まらなかった。
狼の子どもというファンタジーな設定ながら、自己のアイデンティティーを必死に探ろうとする雨と雪や、子育ての責任を一人で背負い新天地で懸命に生活を建てようとする花の姿は極めて現実的であり、現代の日本社会で生活する親子の姿そのものである。
アニメという表現だからこそ、観客一人ひとりが自身の生活実感に即した感動が生まれるのであろうか。

「No Music, No Life?~音楽はいまどう聴かれているのか」

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Podcastで配信されえている、文化系トークラジオLife「No Music, No Life?~音楽はいまどう聴かれているのか」(TBSラジオ 2015年02月22日放送)を聞いた。
若者の音楽離れが指摘される現代において、改めて音楽を聴く意味や目的、生活との関連などについての四方山話に花が咲いていた。固有名詞が多かったので、全部を理解することはできなかったが、CDが売れない一方でライブやコンサートなどはむしろ観客が増えているという話が興味深かった。ネットからいくらでも音楽をダウンロードできるようになったここ数年、ただ一方的に視聴するだけのCDやiTunesのようなパッケージング化された音楽のコレクター的意味は完全に価値を失ってしまっている。一方で、音楽に合わせて踊ったり一緒にタオルを回したりするライブビューイングや、握手したり合唱したりする参加型イベントは、年代を問わず注目されている。

一方的な視聴スタイルはネットが受け皿となり、参加型のコミュニケーションは現地のライブ会場でという音楽業界の大きな流れは、いずれ教育業界も飲み込んでいくであろう。知識伝達はネットで済ませて、表現や討論などの双方向スタイルは教室で行うという「反転授業」が脚光を浴びている。教室で一方的に知識を注入する型の授業は早晩通用しなくなるであろう。効率良く伝え、かつ興味関心を引き出す参加型の授業について、4月以降じっくりと考えていきたい。

『王様ゲーム』

金沢伸明『王様ゲーム』(双葉社 2009)を読む。
非常にスピード感あふれる作品で、無茶な展開や首を傾げるようなディテールなどもすっ飛ばして、フルスロットルで話が突き進んでいく。
最初、小説『リアル鬼ごっこ』や映画『デスノート』『カイジ』といった作品に共通して見られるように、ゲーム感覚的な小説や映画が流行るのは、平板な現代社会の裏返しだろうかなどと格好つけて考察を加えながら読んでいた。。しかし、中盤に差し掛かるに連れて、あまりの話のテンポの速さに、そうした感想すら浮かんで来ないほど話に引き込まれていった。最後は続編を意識してか、しっくりこない結末であったが、久しぶりに小説を読みながらはらはらドキドキとした。

『ぐるり一周34.5キロ JR山手線の謎』

松本典久『ぐるり一周34.5キロ JR山手線の謎』(実業之日本社 2009)を読む。
山手線の車両の移り変わりや環状運転となった経緯、全29駅の乗降客数や開業した背景などがコンパクトにまとめられている。
池袋から赤羽まで沿線された歴史や、新橋駅の変遷、常磐線の起点が田端駅から上野駅に変わった理由など、鉄道オタクでなくとも通勤や通学の車窓からの風景が楽しくなる雑学ばかりであった。
タイムリーなことに、今日の夕刊は山手線の新型車両の記事であった。大正時代の木製の車両ホデ6100系から始まる山手線の「進化」に思いを馳せてみたい。

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