重村智計『金正日の正体』(講談社現代新書 2008)を読む。
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『サブプライム後に何が起きているのか』
春山昇華『サブプライム後に何が起きているのか』(宝島新書 2008)を読む。
2007年夏の金融ショックから半年あまりの変化を分かりやすく分析している。格付け機関は「金メッキ」であるとか、「言葉は踊れど策はなしの東京G7」とか、分かりやすい喩えが多用されており、「無」から「有」を生み出す金融バブルの仕組みの大枠を掴むことができた。
著者は日本はすでにものづくりに長けた工業国ではないとの分析から次のように述べる。
今後は知恵とお金を上手に結合することが重要になってくることは間違いないだろう。そうした新しいお金なら、資源や人口にハンデのある日本だってお金+知恵=人類の最終兵器なのだ。日本が復活し成長するには、社会を引っ張るリスク・テイク族を増やさなければならない。失敗を恐れず、何度もチャレンジすることを後押しする社会になるべきなのだ。
『はつ恋』
ツルゲーネフ『はつ恋』(新潮文庫 1952)を読む。
短い作品だったので一気に読んだ。「はつ恋」というタイトルから連想するような初々しい青春物語ではない。タイトルにもなっている主人公の年上の女性に憧れる恋心よりも、太宰治の『斜陽』に似た、主人公の青年の社会から取り残された没落貴族の虚無的な生き方の方が印象的であった。
『金色の象』
宮内勝典『金色の象』(河出書房新社 1981)を読む。
第3回野間文藝賞を受賞した表題作と、1974年度文藝賞候補作となった『行者シン』の2作が収められている。久しぶりに「純文学」風の小説を読んだ。『金色~』は、放浪生活の合間にふと日本に戻ってきた30手前の主人公と家出少女の出会いから、妊娠、出産、そして産後すぐに亡くなった嬰児の埋葬までの話である。現実の社会に確たる居場所のないふわふわした主人公が、亡くなった子どものために自ら墓の中に入り、遺骨を納めようとする姿が印象的だった。亡くなった子どもの埋葬で次のような主人公の気持ちが描かれる。
(父)「系図も外地で焼きましてな」
七百年ほど過去へ遡るという系図だった。その七百年という長さがいかにも胡散くさく、「系図買いのでっちあげだろ」と、よく両親をからかったりしたものだが、惜しかったな、と私は初めて思った。
出生届や死亡届とひきかえに手渡された一枚の埋葬許可証が胸をかすめた。あの無機質なてらてら光る紙ではなく、たとえでたらめの系図だとしても、その骨肉の累積のなかに竜太という名前を記してやりたかった。
『「家計破綻」に負けない経済学』
森永卓郎『「家計破綻」に負けない経済学』(講談社現代新書 2004)を読む。
著者は当時の小泉内閣における金融政策が富裕層に手厚いものであり、真面目に働いている中間層を切り捨てていると主張する。
デフレというのは、現金の価値が上がった状態を意味しますから、金を持っている者は非常に有利になります。底値で拾えば、同じ金額で土地なら(1990年に比べ)七倍、株なら五倍の資産を買うことができます。そして逆バブルがはじけ、資産価値が上昇する過程で売り抜けば、二倍、三倍もの利益をかんたんにあげることができるのです。
そして著者は次のように述べる。
金が金を生み出す、こんな社会がいいとは私は毛頭思いません。反対に、労働が金を生み出す社会、真面目にものづくりをおこなう者が、贅沢でなくてもそこそこの報酬を得て生きていける社会に立ち返るべきだと思っています。それが私の「年収三〇〇万円の経済学」の基本にあります。しかし、少なくとも、金が金を生み出すという考え方が新しいパラダイムになってしまったことを理解しておかないと、私たちは政府や弱肉強食の金融資本にいいようにやられてしまいます。経済格差をもっと拡大することが善だと思っているような政府は、家計の危機から私たちを決して救済してくれません。