昨日、トム・クルーズ主演、スティーブン・スピルバーグ監督『宇宙戦争』(2005 米)を観に行った。
全世界同時公開の初日ということで混雑を予想したが、平日の遅い時間ということもあってか、館内は半分も入っていなかった。
スピルバーグ監督で莫大な製作費をつぎ込んだSF作品ということで、期待に期待して出かけたが、中途半端な展開にがっかりだった。確かに前半はアニメか実写か分からない凄まじい映像と群衆の逃げ惑う姿のリアリティにはらはらした。しかし、後半はだらだらとした手抜きな映像が続くだけで、話の展開も強引で、頭の中で 「?!」マークが飛び交っていた。構えていった分だけ、残念な肩透かしとなってしまった。
月別アーカイブ: 2005年6月
『桃尻語訳 枕草子 上』
橋本治『桃尻語訳 枕草子 上』(河出書房 1987)を読む。
「春って曙よ!」で有名な桃尻語訳で、何度も目にしてきた作品であるが、全編通して読んだのは初めての経験であった。しかし、この本の醍醐味は女子大生風の現代語訳ではなく、平安時代をめった切りにする解説にある。橋本氏は、聖徳太子の冠位十二階制の導入以降、日本の権力構造は政治の実権を握ることではなく、人事をめぐる権力闘争をするために生み出された制度にすぎないと喝破する。そして、権力の頂点にある天皇に何らの政治的実権がなく、さらにその天皇に近い順の序列を示すだけの位階に自らの存在意義を見出す官僚制がこの平安時代に確立されたと述べる。ついつい私たちは1000年前の平安時代は身分制社会であり、天皇、または天皇を操る摂政関白を中心とした確固たる権力構造が出来ていたと考えがちである。しかし、実態は天皇にほど近い中間層の貴族が焼け太りしただけで、
『本当の学力をつける本』
陰山英男『本当の学力をつける本:学校でできること家庭でできること』(文藝春秋 2002)を読む。
読もう読もうと思っていてやっと読むことが出来た。現在では言わずと知れた「100マス計算」を用いて、反復学習の徹底によって子どもたちの能力開発を図ろうとする「陰山メソッド」の提唱者である著者のデビュー作である。著者は古典の暗唱と漢字の書き取り、そして計算ドリルの反復練習といった江戸時代の寺子屋式の「読み書きそろばん」能力の錬磨に力を置く。
有名大学に多数の合格者を輩出したという山間の兵庫県朝来町立山口小学校では「奥の細道」や「日本国憲法前文」「枕草子」「源氏物語」「方丈記」「平家物語」「伊勢物語」、はては「論語」「老子」「孟子」「徒然草」の暗唱までやらせていたというのだから驚きだ。近年文章読解の技術にばかり重点が置かれ、文章そのものを斉唱し暗記するというのは「古い」と考えられがちである。
しかし、確かに内容が分からなくてもとにかく口に出して暗唱するというのは文章の内容だけでなく、文章のもつ独特なリズムや言い回しを含めて覚えることが出来るので効果的である。
著者の提唱する100マス計算にしろ、古典の暗記にしろ、早朝マラソンや栄養と学力の比較など、昔から個人レベルで、学級レベルで行われてきた手法でなんら目新しいものはない。しかし、それを学校全体でシステム化してしまった所に陰山氏の功績があると思う。
時間を計測して生徒に計算ドリルを強制させたり、公式の暗記を優先させたりと、陰山氏のやり方はとかく管理的な教育手法だとする批判も多いようだ。けれども、小中学生段階でいたずらな応用力や表現力、鑑賞の育成に主眼を置き、かえって生徒に不安や劣等感を与えている現状を考えると十分に検討してみる余地はある。
『雨の日のネコはとことん眠い』
加藤由子『雨の日のネコはとことん眠い:キャットおもしろ博物学』(PHP研究所 1990)を読む。
いくら人間の家畜としての歴史が長いとは言え、ネコには元来の肉食動物として本能が備わっており、爪研ぎや排泄などは、ネコ本来の獲物を捕まえたり自らのテリトリーを示す行為の名残である。しかし、私たち人間は人間の勝手な想像力によって、ネコに対して「きれい好き」とか「執念深い」「きまぐれ」といったレッテルを貼ってしまう。揚げ句の果てには「猫に鰹節(油断出来ない)」や「猫を被る(うわべをおとなしく見せかける)」「猫ひろし(意味不明なギャグを連発する?)」などの猫を揶揄した言葉まで作っている。
しかし、猫の習性を少しでも理解すればいたずらにネコを誤解することもなくなるであろう。
我が家のネコはすっかり本能を失った単なるダメネコになりつつある。床にぐたーっと横になって、さながら「笑っていいともー!」と人間のご機嫌を伺っている。
『頭がいい人、悪い人の話し方』
樋口裕一『頭がいい人、悪い人の話し方』(PHP新書 2004)を読む。
小論文指導で著名な樋口氏が小論文の書き方を応用し、相手から信頼を得られる話し方を指南している。スポーツ新聞レベルの知識をさも自分の意見のように話したり、相手の会話を低レベルで理解する者を、筆者は会話の表層しか捉えていないと述べる。
また返す刀で、道徳的な説教をしたり、差別意識を口に出したりと物事をすべて断面的に捉えようとする者に対しては、現実を見ていないと断じる。話し方というよりも、現実の問題の捉え方という観点で提起されており、小論文の副読本として読む方がいいだろう。