堀辰雄初期短編集『燃ゆる頬・聖家族』(新潮文庫 1947)を読む。
ごちゃごちゃとした心理描写と風景描写の多い正直つまらない作品であった。マルセル・プルーストやら、ジェイムズ・ジョイスらのヨーロッパ文学の影響があるそうだが、何か江國香織さんの著作を読んだ時のうっとうしい読後感と似ている。
月別アーカイブ: 2007年11月
さいたま水族館
先日家族を連れて、羽生にあるさいたま水族館へ出掛けた。
埼玉県の天然記念物である「ムサシトミヨ」や大山椒魚などの珍しい魚や巨大な鯉などが展示されていて面白かった。しかし、娘のほうは暗い廊下や見物客を嫌がって「あっちいこ、あっちいこ」と逃げ出そうとするばかりであった。
『蒲団・重右衛門の最後』
田山花袋『蒲団・重右衛門の最後』(新潮文庫 1952)を読む。
『蒲団』は1893(明治40)年、『重右〜』の方は1888(明治35)年に刊行されている。日本の自然主義文学の幕開けと言われる『蒲団』を読もうと思って手に取ってみた。
確かに言文一致の読みやすい文体で、旧い思想と新しい欧米的な思想の対決や、男女関係の変遷など社会的な問題を扱っており、自己の卑猥な欲望を白日の下にさらけ出すショッキングな告白小説である。しかし、30代半ばの中年男のありがちな妻への倦怠感や浮気心がテーマのつまらない内容で、文学史の転換点以上の価値はない。
むしろ、『重右〜』の方がワクワクして面白かった。障害者の心理と行動を、成育環境の面から検証を加えつつ、群集心理の危険性や排外主義な村意識などに触れ、しかも、それらにあまり拘泥することなく、展開にスピード感があり読みごたえがある。田山氏自身もこの『重右〜』を書いたことで、作家として自立していこうと決意したとのことだが、『田舎教師』などよりも注目されてよい作品である。
有機ELテレビ
今日の夕方、娘を連れて近所のコジマ電機へ散歩に出掛けた。
そこでソニーの世界初という有機ELテレビXEL-1の展示を見た。11インチの小さい画面であったが、月並みな表現ではあるが、輝くような色の美しさにはっと息を飲んだ。液晶フルハイビジョンも綺麗だと思っていたが、有機ELの写真のような美しさに比べると見劣りしてしまう。現在家で使っている20インチのモノラルテレビもあと4年で使えなくなってしまう。数年後には、液晶テレビを通り越して、有機ELテレビの表現美を堪能したい。
『仮面の告白』
三島由紀夫『仮面の告白』(新潮文庫 1950)を読む。
三島氏の自叙伝という形をとっており、男性のもつ死に彩られた悲劇性や英雄性に憧れる自分の性癖をあますところなく暴露する。一般に男性は、女性を意識することで、必然的に自らの男性性を意識するのであろう。しかし、三島氏は女性をセックスの対象として意識することが出来ないため、ことさら恋や愛、また接吻や結婚の意義を自らに納得させるために理論武装しなくてはならない。そうした内気な青年ならではの自らに問いかける説得が読者の共感を誘う。倒錯した性意識を描きながら青年の成長という一般テーマにつながっている。