井出孫六・石埜正一郎『山里の四季をうたう:信州・1937年の子どもたち』(岩波ジュニア新書,2006)をパラパラと読む。
タイトルにもあるとおり、1937(昭和12)年、長野県諏訪郡本郷村立本郷尋常小学校(現富士見町立本郷小学校)の3年生が書いた自由口語詩が掲載され、当時の小学校の教員事情や時代背景などが補足されている。
当時、小学校教員は師範学校を卒業することが条件であったが、旧制中学校の卒業者でも代用教員として教団に立つ道が開かれていた。任期は1年で一番教えやすいとされる小学校3年生を受け持つのが慣例となっていたようだ。
また、当時の時代背景として気になって点を書き留めておきたい。1930年代は多くの農家で馬を飼い、農作業や荷物運びで使っていたそうだ。しかし、戦争の色が濃くなってくると、中国侵略のために中国へ連れて行かれ、二度と戻ってこなかった。
また、当時諏訪湖周辺は日本一の製糸業地帯で、周辺の農家は蚕を盛んに飼っていた。豊富な諏訪湖の水と乾燥した気候が要因としてあげられている。